Drivin' with The Devil

主に自作小説・ロック論・マンガ論などを”狭く深く”書いてます。 どうぞ気軽に楽しんでいってください。。。!! 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
MUSICMAN(通常盤)MUSICMAN(通常盤)
(2011/02/23)
桑田佳祐

商品詳細を見る



●現代人諸君!!(イマジン オール ザ ピープル) : 桑田佳祐


不謹慎な話なのかどうかは自分ではイマイチ判断がつかないのでご容赦。

東日本大震災が起きた日から三日間電気・水道・ガスのない生活を送った。
実は今も水道とガスは復旧していないのだが…

電気がない時は発電して聴くラジオのみが情報を取り込む手段だった。
このラジオで聴けるのはNHK-FMとDate fmという仙台FM放送。
Date fmでは被災した人向けにリクエストを取って災害情報の合間に曲を流していた。

さすがに地震当日は家族・家の無事しか頭になく全く考えなかったが、二日目辺りから急に音楽に対する欲求が頭をもたげてきた。
ラジオから流れてくる最近の曲ではない曲を聴きたい!
もっと端的に言うと桑田とビートルズが聴きたい!!

3月14日に電気が復旧した時に俺が真っ先に観たのは録画しておいたWOWOW放送の”桑田佳祐「MUSICMAN」スペシャル”である。
その後アルバム「MUSICMAN」とビートルズの「ラバー・ソウル」、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を浴びるように聴きまくった。

特に「MUSICMAN」は復旧以来毎日聴いている。
昨日は買い出し中に車の中で聴いた。

聴く度に、そして歌う度に胸が熱くなり涙がこみ上げてくる。
音楽を当たり前のように聴ける幸せ。

未だ音楽を当たり前のように歌える・演奏する幸せは訪れていないが、それも時間の問題だと思う。


精神の復興もちゃんとしないとね!




ではまた次回^^



スポンサーサイト
3月11日撮影


1.jpg





2.jpg





4.jpg



3月12日撮影



5.jpg





3月13日撮影



6.jpg





7.jpg





9.jpg





10.jpg





3月16日撮影



12.jpg






13.jpg




2011年3月11日

14:20頃 この日は仕事が詰まっていた。午後一の打ち合わせを終え、戻る途中で仙台市泉区のコンビニに車を停めて遠方にいる彼女とメールのやり取りをしながら遅い昼食を取る。

14:46頃 車中にて地震に遭遇。ラジオからは緊急地震速報が。今までに経験したことのない強烈な横揺れが3分くらい続く。身体があちこちに振り回されまるでロデオでもしているみたいだった。周りを見渡すと駐車場にいた人たちは社外に出て伏せている人もいたし、道路は皆停車していた。偶然にも消防車もいた。消防隊員が降りて揺れに慄きながら周辺事態を把握した。

14:50頃 揺れが落ち着いてきた。安否確認を行おうと家に電話をかけるも繋がらず。彼女から「大きい地震があったけど大丈夫?」とのメールが来る。返信したがこちらも繋がらず。車から降りる。コンビニ内を確認するとあらゆるものがひっくり返り、壊れていた。パートの中年女性が「もう駄目ね」と呟いた。

15:00頃 車を出しても大丈夫と判断してコンビニを出る。停電の影響らしく信号機が全て止まっていることと道路が隆起、陥没している所が多いのでゆっくりと走らせる(写真①)主要幹線道路に近付くと大渋滞だった。ラジオでは大津波警報が出ていることをアナウンス。津波の場所・到達予想時刻を何度も繰り返している。この時点では大津波の脅威について全く考えが及ばなかった。

16:00頃 会社到着。会社にいた社員に怪我などはなかったとのことで安堵する。中に入るとさっきのコンビニと変わらず物が倒れ壊れていた。帰宅指示が出る。当然電車も動いていないだろうから歩いて帰ることを決断。折りしも空からは雪が降ってきた。(写真②は会社の近くの百貨店。壁が崩れ落ち現在は立ち入り禁止ロープが張られている)

17:00頃 雪は止んできた。国道45号線をひたすら東へ向かって歩く。車は大渋滞。歩いているこちらの方が速いという不条理。途中苦竹駅前を見やると電車が停まっていた。「動けよ!」と心の中で無駄なことを思う。家と彼女、友人にずっと連絡を取り続けながら歩くが全くダメ。

17:45頃 福田大橋を通過。七北田川の水位が異常に上昇していることに驚く。台風の時でもこんなに上がっているのは見たことがない。そして、コールタールでも混じっているのかと思うほど黒い。相当大きい津波が来たことがわかった。チンタラ歩いていた男子高校生の集団が「スゲェ!」と声を上げている。この時は感じなかったが、ここも津波で決壊する可能性があった。もしかしたらと思うと今も戦慄する(写真③)

18:30頃 既に陽は落ちた。電気がないので本当の意味で暗闇。中野栄駅を越えた辺りから道路の様相が一変した。多重衝突事故でも起きたかのように車があちこちに停まっている。横倒し、反転しているものもある。トラックの積み荷らしきものやパレットが散乱していた。何より驚いたのが道路が冠水していたこと。壊れた車の大群を見て正確な分析ができず、水道管が破裂したのかと思ってしまった。地獄絵図としか形容できない光景だった。道路状況があまりにも悪いので枝道に入ることを決意。この時間帯に盟友黒猫藝帝さんと連絡が取れ、夫婦共々の無事を確認。よかった…

18:40頃 枝道も冠水している。しかし、もっと後戻りをすると体力も消耗するし何より帰宅が遅れる。意を決して冠水した道を行く。冷たい。刺すような痛みが足に、膝にジンジン伝わってくる。それでも歩くのは止めなかった。濡れた足で引き返したって帰れる保証はどこにもない。前を歩いていた中年女性や後ろを歩いていた青年二人組と「ここに段差がありますよ」と言い合い、励まし合いながら歩みを進める。途中女性が飴玉をくださった。その親切心に涙が出た。距離にすると約100~200メートルくらいだったと思うがこの時間帯が一番肉体的にも精神的にもきつかった。

19:40頃 ようやく帰宅。お袋は無事だった。よかった…家の中も思ったほど物は散乱していなかった。ただ、ライフラインは全てダメ。懐中電灯を灯りに夕食。そして唯一の情報源ラジオを聴くも手回しで聴くタイプのものなので手が疲れる。しかし、この後数日間はこれに本当に助けられた。わずかにメールが繋がる時間帯があったので彼女と友人知人に送れるだけ送信。以降メール・携帯は全く繋がらない状態になる。携帯の充電を行うために駐車場へ。すると仙台港のコンビナートが火事になっていた。充電後就寝。


2011年3月12日

8:00頃 起床。余震が多くてあまり眠れなかった。外に出ると給水をしているという情報を聞き、給水所へ向う。6㍑の水を4袋いただく。とりあえず水の確保ができた安堵からか寝てしまう。

12:00頃 昨日の強行軍が響いたこともあるのか目覚めが悪かった。食料の備蓄状態を確認する。ご飯が電子ジャーに約1合、鯖の味噌煮の缶詰が3個、パスタが一袋、うどんが一袋、ソーセージが一袋という寂しいもの。お袋を連れて買い出しに行く。しかし、どこのスーパーも長蛇の列。遠出しようにもガソリンの残りも少ない。食料調達の行動が遅きに失したことを後悔した。途方に暮れた状態で最後に立ち寄ったコンビニがまだ営業していた。メントスやチュッパチャップスといったお菓子しか売っていなかったがそれでも購入。嬉しかった。帰宅した時には16:00になっていた。(写真④は家の駐車場から見たコンビナート火災)

19:00頃 夕食。カラカラに干からびたご飯にドレッシングをかけ、ソーセージでいただいた。缶詰は最後まで取って置くことを決める。全くの暗闇で携帯の充電以外何もすることがないので21:00頃就寝する。


2011年3月13日

6:00頃 起床。昨日の二の轍を踏まないように近くの生協へ買い出しへ。行くともう結構な人数が並んでいたが、営業するのであればなんとか物が買えそうな順番にて並ぶことができた。9時開店とのこと。

8:30頃 大きな余震。しかし、構わずに並ぶ。ところが駅の方から「津波が来るぞ!」と叫ぶ声がして一斉に並んでいた人が散った。後で知ったところによると確かに津波警報は出たそうだ。しかし、いくらなんでもここまでは来ないだろう。気を取り直して並び直すとまた余震。そしてまた「津波が来るぞ!」という叫び声と散り散りになる人々。それが都合3回になった時に生協の職員が販売中止を判断した。がっかりとして家へ帰る。お袋は給水を受けてた。朝食兼昼食に水に3時間ほど浸けたパスタにドレッシングをかけていただく。不味い。けど、貪り食った。

13:00頃 家にばかりいても気が滅入るので明るいうちに町の状況を見に出かけた。国道45線と産業道路には津波が押し寄せたらしく町全体に災害の爪痕が残っていた。よく飯を食べに行ったり、飲みに行ってた場所が変わり果てていて虚脱感が身体を襲う。コンビナート火災はまだ続いていた(写真⑤~⑧)

14:00頃 帰り足に45線沿いのスーパーへ。ここは浸水していないと聞いていたのでダメ元で寄ってみた。そしたら人が並んでいて買えそうな雰囲気。一人五個限定。1時間半ほど並んで缶詰やりんご等を買った。

19:00頃 夕食。今日の食材は後日回しにして固いご飯にドレッシングをかけていただく。あと、昨日買ったお菓子もいただく。未だライフラインは復旧せず。

21:00頃 車の中で繋がらない携帯を充電する。コンビナート火災は相変わらず。30分ほどで戻り就寝。


2011年3月14日

ここからは時系列省略。朝起きると通電していた。凄く嬉しかった!けど、アンテナがおかしいらしくテレビはスカパーしか観れない。ようやく会社携帯が繋がる。会社からは出社命令があったようだが行けない旨を上司に伝える。個人携帯も少しずつ繋がるようになって安否確認のメールが友人・知人からたくさん届いた。皆様、本当にありがとうございます。彼女ともメールが繋がった。昨日物が買えなかった生協へ行き、今度は買えた。しかも5キロだけど米が買えた!あとは13日とほぼ同じ感じ。あぁ、身体と髪がかゆいから水で洗ったっけ。この日本家の親戚が無事を伝えに来てくれた。皆無事だけど本家とお墓は流されてしまったとのこと。辛いな。


2011年3月15日

自車で出社。45号線の惨状は3日経っても変わらない(写真⑨⑩)俺の仕事に関して業種は言えないが既に色々と動いている。安否確認とお客様との折衝に追われる。テレビとネットをようやく見ることができ、宮城県や近隣県の惨状を目の当たりにして改めて絶句した。福島原発も深刻な状況だということを認識。仕事中にブログとmixiを更新した。ごめんなさい。帰宅途中で給油ランプが点灯。明日は歩いて会社に行く決意をする。


2011年3月16日

歩いて出社。会社までは約20Km。2時間45分くらいで着いた。速いんだか遅いんだかわからん。仕事は昨日と同じ。昨日もそうだが、買い出しと給水をお袋に任せていて不安になっている。けど、気丈に頑張ってくれている。お袋、ありがとう。帰りは1時間くらい歩いて知人の車に乗せていただく。感謝!感謝!


2011年3月17日

昨日の知人の車に乗せていただき出社。宮城県内が大雪に見舞われる。家のことも心配だが、避難所に避難されている方々はどんな風にして寒さをしのいでいるのだろうか?想像を絶する困難だと思う。この日は雪がひどかったので社有車を貸し出していただき乗り合いで帰宅。家に帰るとテレビとネットと家電話が復活していた。食料はかつかつだけどまだいけるレベル。何より炊きたてのご飯が食べられるのがありがたい。この日が一番寒かった。


2011年3月18日

社有車で出社。仙台の中心街は結構な勢いで復旧している印象。けど、営業していない店は多いしダメージは想像以上かな。昼間仕事で客先へ行ったついでに友人が営業しているオイスターバーに立ち寄る。方々の店で1000円以上の弁当が売られている実情の中、ここは400円という破格値でかにめしを売っていた。仙台におられる皆様、是非行ってみてくださいませ!
( かきや NO KAKIYA )

余談だが、この日仕事で上司のすることに大いに憤慨した。抗議の意味を込めて歩いて帰った。その際にツイッターにて呟き、友人の皆様に余計な心配をかけさせてしまったことをお詫びいたします。

申し訳ありませんでした。



東北地方太平洋沖地震以後私drivemycarはこのような生活を送っています。

まだまだ不自由な生活ではありますが元気です。


生き抜いてみせます!




ではまた次回^^


私は家族共々無事です。

まだ電気しか復旧しておらず(水道・ガスはダメ。テレビ・電話・ネットも未だ不通)食料もあまりなく不自由な生活に変わりはありませんが、心は折れていません。

ご安心ください。

ただ、実家は津波で流されてしまったようです。

そして、私の住む多賀城市も津波で壊滅的な被害を受けました。

災害に遭われた友人・知人の皆様、未曾有の危機ですがお互い力を合わせて乗り切りましょう。

離れていても皆様の無事をお祈りいたします。

皆様の温かい言葉、心遣いに感謝いたします。

落ち着いたらまた更新します。


それではまた。。。^-^


From : drivemycar


俳優・コメディアンの坂上二郎氏が亡くなった。

享年76歳(ソース)

萩本欽一との伝説のお笑いコンビ、コント55号で一世を風靡したのはあまりにも有名であろう。

しかし、俺にとっての坂上氏はピン芸人と役者としての”二郎さん”だ。

あの親しみのある風貌で「カックラキン大放送!!」や「ぴったしカン・カン」などのバラエティ番組でお茶の間を笑わせたかと思えば、「夜明けの刑事」や「江戸川乱歩の美女シリーズ」などでコミカルな中にも重厚な演技を披露し観る者を唸らせることのできた器用な人だった。

それは全てコント55号時代に培われたものなのだと思う。

今の芸能界を見渡してもこれだけ振り幅の広い活動をしている人は少ない。

お笑いと役者を並行して行っている人もいるにはいるが坂上氏のような独特の感覚、言葉にし辛いが”鍛え上げたお笑い・演技”の出来る人は少ない。

そして、その感覚とは紛れもなく”昭和”がバックボーンにあった。



また一人偉大な昭和が逝ってしまいとても悲しい…


いくつか映像を紹介して坂上氏の追悼といたしたい。


●ぴったしカン・カン OP

1975年~1984年(坂上氏レギュラー)に放送されたクイズ番組。

バラエティの要素が非常に強い番組で司会の久米宏と坂上氏、欽ちゃんの丁々発止のやり取りが面白かった。

3人がスピーディーな会話で飛ばしつつレギュラーの藤村俊二がゆったりとしたテンポの珍回答をするというスタイルは後続のクイズ、バラエティにも多大な影響を与えたのではないだろうか?

映像は久米が欠席した時の珍しい回。

緊張する欽ちゃんをイジる坂上氏が最高。。。!


●夜明けの刑事 OP

役者としての坂上氏の代表作。

1974年~1977年のロングラン放送となったことからも人気の高さが窺える。

実にオーソドックスな作りの刑事ドラマで犯人逮捕・事件解決までの道のりを坂上氏演じる鈴木刑事の目線から見た内容で、オープニングからも感じられる人情味溢れる鈴木刑事の存在が今観るととてもいい。

それにしてもカッコイイ映像&音楽だ。

昭和の魅力がギッシリ詰まっている。

そういえば鈴木ヒロミツも石立鉄男も亡くなったんだな…


●デーゲーム : 坂上二郎とユニコーン

1989年リリースのユニコーンのシングルで、当時売り出し中の若手バンドと坂上氏とのコラボが話題になった。

坂上氏は”学校の先生”などで歌手としても実績があったが、ロックバンドとのコラボには驚かされた。

聴いてまたビックリ。。。!

歌がとても上手い。。。!

所謂朗々歌唱なんだけど、古過ぎないんだよね。

ユニコーンの演奏にマッチしている。

そしてこのPVが最高。。。!

歌手と役者両面で坂上氏の真髄が味わえる。






二郎さん、お疲れ様でした。

謹んでご冥福をお祈りいたします。




合掌







「仮面ライダー」第68話より。



飽きるまで続けるぞ、これ。。。!(狂)




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。