Drivin' with The Devil

主に自作小説・ロック論・マンガ論などを”狭く深く”書いてます。 どうぞ気軽に楽しんでいってください。。。!! 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「なぁ…」
 男が落ち着いた口調で話しかける。
「ん…?」
 男を正面に見据えていた女が応える。


 

「俺たちってさ、こうなる運命だったのかなぁ?」
「うーん、わからないわ。でも、今ここにこうして二人でいるってことはもしかしたらそうなんじゃないかしら。」


「そうか、やっぱり運命だったんだ。」
「こういう話、前にもしなかった?」
「覚えてないなぁ…」
「したわ、確かベッドの上だった。」
「よくそんなこと覚えてるな。」
「”デ・ジャ・ヴ”ってことよ。」
「なるほど、ちょっと意味が違うような気もするけど、考えてみれば”デ・ジャ・ヴ”かもな。」
「私たちがまたどこかで逢うことがあれば今日みたいに話すと思うわよ、きっと!」
「そうかもしれない。どこか、別の世界で君と逢ったとしても…」

 


 こうした会話がおよそ似つかわしくない状況下で男と女は話し続けた。


 

(この時間がもっと長く続けば良いのに…)
 二人は偶然にも極限の状況下でそんなことを考えていた。

 

それより五年前のこと。


「ねぇ…」
 男の腕枕の中で横たわっていた女が不意に話しかけた。
「どうした?」


「私たちってこうなる運命だったのかしら?」
 男の方を向いて男の露になった胸の辺りを指で弄びながら女が訊いてくる。
「うーん。」
 男は女の愛撫に軽く身を捩じらせつつ考えた。


 

「わからないよ、けど…」
「けど?」
「今俺たちがここにこうしているってことはもしかしたら運命の一部なのかも知れないよな。」
「ウフフフ」
 女が笑みを浮かべる。


 

「どうしたんだ?俺何か変なこと言ったか?」
「変じゃないわ。変じゃないけど、ただ…」
「ただ?」
「難しいこと言うから何だか可笑しくなっちゃったのよ!」
「何か馬鹿にされたみたいでイヤだなぁ。」
「あっ、ゴメン!そんなつもりで言ったんじゃ…」

 男の表情が曇ったのを察知した女は品を作って男の胸に顔を埋めた。


「わかってるよ、俺も冗談で言った!」
「もう!」
「アハハハ!」

 

『バサッ!』
 男は二人の身体を覆っていた毛布を乱暴に払いのけ女の身体を抱きしめた。
「あぁっ…」
 女は男に身を委ね、歓喜の声を上げ、息を荒げ出した。


(このまま時が止まってしまえば良いのに)
 男も女も同じことを思っていた。
 

 この時点での二人はとても幸せであった…

 

 同じく五年前のこと。

 

「ジョウジ!ジョウジったら!早く起きないと遅刻するわよ!」
 楡井(にれい)ミウは身支度をしながら横で寝息を立てている恋人の楠木(くすのき)ジョウジに声をかけた。
「ウーン…」
 ジョウジは何とか眼を覚ましたようだが、ベッドの上で細かく呻いていた。


 

「もうっ、今日のゴミ出しはジョウジの番なのに知らないからね!」
 一足も二足も先に準備をしていたミウは既に着替えを終え、化粧の終盤に入っていた。
「ウーン…粗大ゴミは今度の土曜日のはずだろ!?」
 かったるそうな調子で応えるジョウジ。
「違うったら!今日の燃えるゴミのこと!」
 的外れなジョウジの言葉にミウの声も普段の優しい口調とは違い、自然と荒くなる。


「そうかぁ…今日は燃えるゴミの日だったんだっけ…って…!」
『ガバッ!』 
 ようやく状況を察したジョウジが一気に飛び起きた。


「えぇっ?もう八時になっちまうじゃん!どうして起こしてくれなかったんだよ?」
「何回も起こしたわよ、寝ぼすけさん。」
 ミウはさっきまでの荒さを意識的に押し込め、努めて冷静に言った。
 その落ち着きが逆にジョウジの胸に響いたようだ。


 

「ゴメンな。」
「うん、平気。それより急がないとホントに遅刻しちゃうよ。ゴミは私が出しておくからジョウジは早く準備して。」
「あ、ありがとう」
「先に行ってるわね。」
 そう言うとミウは左手にバッグを持ち、玄関先に手早く用意していた燃えるゴミの袋を右に抱えドアを開けようとした。


 

「ミウ。」
「何?」
「今日はゴメン。明日は一緒に行こうな。」
 ジョウジの心からの謝罪を感じたミウは優しく微笑み、
「うん!行ってきます!」
 静かにドアを閉めて出て行った。


 

「さてと。」
 ミウが完全に外へ出たことを確認してからジョウジは慌てて身支度を始めた。

 

 楡井ミウは二十三歳。


 

 日本を代表する一部上場企業、間旺(まおう)食品株式会社の本社で受付の仕事をしている。
 新卒で入社したミウは快活な性格で、もともと営業志望であったのだが、どことなく小鹿を思わせるような愛らしい風貌が上層部の目に留まり、会社の窓口ともいえる受付に配属となった。


 当初は希望した部署に配属されなかったこともあって沈んだ日々を送っていたミウだったが、持ち前の明るさと会社で最初に来訪者と接するこの仕事にやりがいを覚え、三ヶ月もする頃には外部は当然のこと社内でも話題の的となっていた。

 

 

 一方の楠木ジョウジも二十三歳。


 

 ミウと同じ間旺食品株式会社本社内にある第一東京支店の営業社員である。
 彼もまた新卒で入社したが、企画志望のところ望み叶わず営業に配属となった。
 どちらかというと内向的であまり人付き合いが得意ではないジョウジにとって営業の仕事は非常に苦痛を感じるものであったが、その実直さが顧客に受け徐々に成績を上げていき、それに伴って仕事の楽しさを感じ始めていた三ヶ月目であった。

 

 

 ミウとジョウジは高校の頃からの知り合いで、大学に入ってから交際をスタートさせた。
 社会人になろうとしたこの三月にジョウジはミウの両親に挨拶をして、結婚の意志を伝えた。
 それはミウにも知らされていなかったことであり、ジョウジの想いを聞いた彼女は歓喜のあまりその場に泣き崩れてしまった。
 ミウの両親も戸惑いながらも若い二人の愛を祝福し、すぐの結婚こそ認めなかったが同棲を容認した。


 

 こうして二人は新生活を迎えるにあたり、一緒に暮らすこととなった。
 二人が同棲をしていることは会社の人間は誰一人知らない。
 ミウは実家から通っていることになっているからだ。
 それどころか二人が交際していることすら知らない者がほとんどであろう。
 それくらい細心の注意を払っている二人だった。


 

 別にミウもジョウジもやましいことをしているつもりはこれっぽっちもなかったし、隠し立てするつもりも毛頭なかったのだが、社会的通念のようなものに二人は囚われてしまっていたのかもしれない。
 ともあれ、二人が家にいる時以外に二人でいる空間というのは出勤時の電車の中だけであった。
 だから常にジョウジと一緒にいたい気持ちが強いミウにとって彼の朝寝坊はその貴重な機会を失う忌むべきことだったのだ。
 それはジョウジも自覚していることだった。
 しかし、このところ仕事が忙しく帰りもミウよりいつも2・3時間遅い日々が続いていた。
 その疲れのせいもあるが、ジョウジは朝寝坊以上に自分がミウのことを十分構ってやれていないのでは、という自責の念をこのところ抱いていた。


 

『シャカシャカ』

「これじゃダメだよなぁ。」
 ぞんざいに歯を磨きながら鏡の中の自分をぼんやりと眺めるジョウジだった。

 

 

 その日一日をジョウジはどこか上の空のような状態で過ごした。
 いや、上の空というよりも何かに没頭するが故の呆けとでもいうべき状態であった。
 彼は一つの提案を思いつき、それをミウに発表したくてウズウズしていたのだ。
 外回りをしていて客先に趣いた時でも心ここにあらずなのだった。


 

「フフン、フフフン♪」
 家路を急ぐ頃には自分の思いつきがミウとの時間を深めることができると確信し、普段はやらない鼻唄など唄っていた。


 

「フンフンフン♪」
『トントントントン』
 一方のミウは一足先に帰宅していた。
 偶然にもジョウジと同じく鼻唄を唄いながら包丁をリズミカルに操っていた。
 自家製の焼き豚を切っているところだった。
 側らでは味噌汁が入った鍋の蓋が沸騰するかしないかのタイミングでカタカタと音を立てていた。

 

 

 ミウ自身は行きと同様帰りもジョウジと一緒に帰りたいという願望を持っており、当然そのことは彼に伝えていた。
 しかし、ジョウジがそれを断ったのだ。
「俺の仕事はいつ終わるか約束できないからミウを何時間も待たせたくないんだ。」
 ジョウジの気遣いは痛いほど伝わってきた。
 だから自分の意見を引っ込めた。
 その代わりこうして必ず夕食を作ることで少しでも彼の役に立とうと決めたのだった。


 

「フンフフフン♪」
 鼻唄がよりリズミカルになる。
 何だかジョウジが素敵な知らせを持って帰ってきそうな気がしたからだ。
『ガチャガチャ!』
 ジョウジだ。
「おかえり!」
 ミウは素早く料理の手を休め、愛する男を迎えた。


 

「ウソッ、マジで…?」
 驚きの声を上げるミウ。
「ホントだよ。今度の週末二人で旅行へ行こう。」
 ジョウジはさっき言った言葉をもう一度優しくミウへ伝えた。
「二泊だと近場になっちゃうけど、何処か行きたい所選んでさ。」
 夕食を終え、ミウの手作りプリンを美味そうに口に運ぶジョウジ。
「アハッ、嬉しい!」

 

 ミウは慌てて立ち上がり、コーヒーがなくなりつつあるジョウジのためにサーバーを持って来ようとした。
 その目にうっすらと嬉し涙が光ったのをジョウジは見逃さなかったが、あえて何も言わずにプリンを食べることに没頭した。
「私のために金曜日有給まで取ってくれて。今営業課月末で追い込みでしょ?なのに…」
 滲んでくる涙を拭おうともせずにミウはコーヒーのおかわりをジョウジのティーカップに注いだ。
「いいんだって!仕事も大事だけどそれよりもミウの方が俺にとっては大事なんだ。気にしないで君も遊休取りなよ。」
「ウン、ありがとう。」
 ジョウジの想いを感じ、一層胸が熱くなるミウ。


 

「さて、これ食べたらどこへ行くか決めようぜ!」
 ジョウジがそう提案すると、
「アッ、私別に行きたい所ってないんだ。逆にジョウジが行きたい所に行ってみたいわ。」
と、モジモジしながら答えた。
 その様子を見てジョウジは改めてミウのことをいとおしいと思った。
「本当にいいの?」
「ウンッ!」
「それじゃ、俺が決めるね。」


 

『ブゥン』
 喜び勇んでジョウジはリビングの隅に置いてあるデスクトップのパソコンを起動させた。
「カタカタカタ…」
 パソコンが立ち上がった瞬間に、凄い速さで検索エンジンから情報を探り出す。


 

「俺さぁ、前からここに行きたいと思ってたんだよねぇ。」
「エッ?お、面白いかもね…」
 少し怪訝な表情を見せるミウ。


 

 何故ならパソコンに映った旅行会社のサイトには、
”魔女伝説探訪ツアー”
の文字が派手に踊っていたからだ。

 

 

「なぁ、ミウ…」
「ん?」
「ホントに旅行ここで良かったのかな?」
「うん、もちろん!ジョウジが行きたい所へ行くって最初から決めてるって言ったじゃない。」

 

 

「でもさ。」
「でも、何?」
「せっかくミウを連れて来たのがこんなホラーっぽいツアーで。」
「気にしないで。びっくりしなかったと言えば嘘になるけど。」
「うん?」
「ジョウジが今まで見せたことのない顔を私の前に見せてくれて嬉しいんだ!」
「ミウ…」
「だからジョウジもそんなこと思わずに思い切り旅を楽しもうよ!」
「ありがとう!」
 礼を言われたミウはジョウジに思い切り抱きついた。

 

 

「ワッ!おいおい、くすぐったいよ!」
 ジョウジの胸に顔を埋めたミウはそのまま頭をグリグリと振った。
 ミウが上機嫌の時にする仕草だ。
 ミウの美しい黒髪が動く度にジョウジの顎の辺りを撫ぜる。


 

「ジョウジ、大好き!」
 顔を埋めたままのくぐもった声でミウが愛情の言葉を口にする。
「ミウ!」


 

 二人はツアーの宿泊宿であるシティホテルの一室にチェックインした直後だった。
 ”魔女伝説探訪ツアー”の目的地は東京から車で高速道路を使い約三時間程北へ走った某県の山間部に位置していた。
 ツアーとはいえども国内であるし、あまり人気のあるものではなかったと見受けられ、添乗員はおろか同行する客もいなかったのだ。
 従って旅行会社が用立ててくれたのは宿と周辺施設のチケットくらいだった。

 

 

 だが、二人きりの時間を過ごしたいと考えていたジョウジとミウにとってこの不人気ぶりはもっけの幸いであった。
 二人はレンタカーを借り、時間を忘れて気ままな移動を楽しんだ。
 車の運転は全てジョウジが行った。
 途中で休憩を入れたりなどして来たので肝心の観光は明日回しになっている。

 

 

「アァッ…」
 ミウも観光のことを忘れ、ジョウジの愛撫に身体を任せていた。
 甘美なまどろみの中でミウは確かな幸せを感じた。
 それはジョウジも同じだ。


 ”好事、魔多し”という言葉の意味を後で二人は、特にミウは嫌と言うほど思い知らされることを絶頂の中ではわかろうはずもなかった。

 

 

 翌日。
 ミウとジョウジは魔女伝説を裏付けるものといわれる”魔女の墓標”という石碑の前に来ていた。


 墓標は山間部にある小高い高原にあった。
 この高原、伝説のせいか緑が生い茂っている割にはどことなくうら寂しく、不気味な雰囲気を漂わせている。


 

 石碑は高さこそさほどでもないが、横幅がかなりあり、およそ三メートルはあろうかと思われた。
 石碑には“魔女伝説”についての解説が事細かに書かれているから、その幅であった。


 

 その内容はそれが実話であるとすれば非常にショッキングなものである。
 古来より“魔女”という存在というか概念のない日本において何故このような言い伝えが残ったのだろうか?


 

 そこに書いてある文面を二人は食い入るように読み始めた。
 すると、そこ書いてあったことは所謂西洋的概念による悪魔狩りや異教徒狩りの中で発生したものでもなければ、やはり西洋的物語の中に出てくるステロタイプなモンスターとしての魔女ではなかったのだ。

 

 

【ここに眠る魔女は、人間の進化の過程において生まれた突然変異的存在か、もしくは人間ではない化物であろう。太平の世が続いた江戸時代中期に彼女はこの地で生を受けた。いや、出現した。】

 

 

【とある石高三百石の武家の長女として生まれた卯美姫(うみひめ)は際立った美貌の持ち主として城下の下々にまで知られていた。性格も穏やかで、優しく、慈悲深くどのような身分の者にも老若男女を問わず慕われていたのだった。】

 

 

【十四の歳を迎えた卯美姫は隣領の五百石武家の長男の許へ嫁いでいった。それを境に姫は変貌した。夫は姫より四つ年上で、彼女に輪をかけて優しく、それでいて武芸にも長けたまさに理想的な存在であったが、それに反比例するかの如く卯美姫は悪い方向へ転がっていった。】

 

 

【まず何よりも顔つきが変わった。優しさの象徴であった大きく丸い瞳が、今は明らかに険が現れ、目つきもきつくなった。人々を癒していた視線が蛇のように睨みつけ、人を黙らせ、萎縮させるものになってしまった。】

 

 

【卯美姫の変異はそればかりではなかった。あろうことか彼女は獣の肉を食べるようになったのだ。それも当時食用とはされていなかった牛や豚の肉を生食でだ。魚も生きたまま食べていたという証言まであった。城内の者で姫が嬉々として生肉を喰らい、口を獣の血で汚している姿を見た者は枚挙にいとまがなかったほどである。】

 

 

「怖い!」
 ここまで一気に読み進めたミウは一旦石碑から目を離した。
 そしてジョウジに視線を移すと、
「…!」
 まるで他の事など意識に入ってこないかのように集中した状態で石碑の文章を読んでいた。
 その様子にミウは今まで彼に感じたことのない感覚を覚えた。
 それを忘れるかのようにミウは再び石碑の文章を読むことに没頭した。

 

 

【そのうちもっと奇妙な出来事が起こるようになった。卯美姫の夫が病床に伏したとのことで全く人前に姿を見せなくなったのだ。側近はもとより、彼の肉親である城主や母親である城主の妻でさえも会うことができなくなった。たった一人部屋に入ることができたのは卯美姫だけだ。姫以外立ち入り禁止のその部屋で何があったのかは想像の限りでしかないが、最終的にそこへ側近連中が無理矢理侵入した際に、彼らの視界に入ってきたものは布団に横たわっていた長男と思しき白骨体であった。】

 

 

【実に不思議であったのは、白骨の周りに一片の肉片も落ちていず、骨そのものにも全く肉らしきものがつていない、まるで刃物で綺麗に肉を削ぎ落としたような状態だったことである。白骨は綺麗な白色をしていた】

 

 

【また、息子の心配をあれだけしていたはずの城主も、どういうわけかそのことを口にしなくなり、そして或る日忽然と姿を消してしまった。城主の妻も同様であったが、彼女が失踪してしばらく経ってから、城を流れている川の下流で見るも無残な腐乱死体が発見され、どうやらそれが失踪した奥方であるらしいと城の御付医者が吐き気を堪えて診断したのだった。】

 

 

「ウプッ…」
 ミウは軽い吐き気を催した。
 それでもジョウジは相変わらず集中して文章を読んでいた。


 

【他にも城下にて男の子ばかりのかどわかしが発生したり、城の担い手である家臣の男、町の男たちといった連中が次々行方不明になった。その数は実に三十人余にも及ぶ有様だった。】

 

 

【さて、これらの異常で異様な事件は何故起こったのだろうか?突き詰めていくと卯美姫の変貌が原因、少なくとも遠因であることは想像に難くない。そう考えた城の者は捜査の手を彼女へと伸ばした。しかし、その頃には卯美姫は余人の手の届かない所へと行ってしまっていた。彼女は人間であって人間ではない禍々しい者へと化身してしまったのであった。】

 

 

『ブルルルル…』
 ジョウジが小刻みに身体を震わせていたことに残念ながらミウは気が付かなかった。

 

 

【卯美姫の顔つきに変化が生じたのと同時に、彼女の内面にも重大なる変化が起こっていたのだ。慈悲深さが影を潜め、替わって残虐性が表面に出てきた。彼女は部屋に迷い込んできたトンボや蝶といった虫を捕獲してはその体をバラバラにした。トンボの翅を毟って嬉しそうに微笑む姫を見て御付の女たちは戦慄した。またゴキカブリのような人が忌み嫌う害虫ですら平気で手掴みしてキーキー鳴いている様を確認しては楽しそうにその胴体を捥いだ。】

 

 

【果ては犬・猫といった愛すべき畜生をも捕らえてきては四肢を切り離したり、首を切り落とすなど、あとはここに記すのも憚られるほどの残虐な殺し方をして、まるで人に見せびらかすかのように外へ死骸を放り捨てた。】

 

 

 

【もはや心が人間ではなくなってしまった卯美姫は自分のことをいつしか“魔女”と呼ぶようになっていた。魔女はやがてその残虐行為の対象を人間へと求めるようになった。手始めに御付の茶坊主が餌食となった。立て続けに三人行方不明となったのだ。交替したものも全てだ。続いて家臣の者で二十歳代の若い男たちがやはり十人も行方不明になった。そして、ついに彼女がかつて愛した夫が亡き者となり、それを不審に思った城主夫妻も惨殺されたのであった。】

 

 

【魔女はどうやら男の肉を食料としていた節が見受けられる。それは発見された男たちの遺体が全て白骨化していたのに対して、唯一殺された奥方の遺体が腐乱していたことから導き出されたことだった。】

 

 

「ムゥ…」
 ミウは気分が悪くなっていくのを必死になって耐えた。

 


【やがて卯美姫、いや魔女は五百石の城下町だけでは飽き足らず、他の土地へ打って出たのだった。食欲も半端ではないが、権力志向も凄かったからだ。魔女は江戸を目指した。今では顔形もすっかり別人になってしまっていたが、それでもこの世に二人といない美貌を備えており、そこから発散される色香が男を惑わせる力を持っていた。すなわち“毒牙にかける”というものだ。】

 

 

【老若を問わずあらゆる身分の男が魔女の軍門に下り、彼女の食料として召された。男の肉を喰らうことで魔女の美しさはより磨きがかかっていった。その勢いで江戸城進出を企て、時の将軍徳川家治を殺し、喰らい、天下を奪わんと意気込んでいた。】

 

 

【しかしながら魔女の野望は意外なところで潰えた。かつて卯美姫だった時、夫に仕えていた忍びの者の手によって倒されたのだった。彼は主君の仇討ちを成就したのだ。このことでこの“魔女伝説”は大衆の知るところとなった。ただ、あれほど多くの男を惑わせてきた魔女が何故忍者の手に落ちたのかは今もって謎のままである…】


 

「わぁ…」
 全てを読み終えたミウは恐怖と気持ち悪さですっかり落ち込んでしまった。
「こ、こんな怪物、実在したんて信じられないわ!」
と、あえて大きな声を発したりもした。


 

 それでも彼女の恐怖が完全に消えることはなかった。
 魔女伝説が架空のおとぎばなしと断言することもできない。
 それだけこの物語は荒唐無稽さとリアリティが奇妙な同居を見せていたからだ。

 


「ねぇ、ジョウジもそう思ったでしょ?」
いたたまれなくなったミウは傍らにいた恋人に声をかける。

 


「ジョウジ…?」
 ここでミウは改めてジョウジの異変を認めた。
 最初は自分と同じで怖がっているだけなのだと思っていたのだが、それだけで説明がつかないくらい彼は激しく震えていた。


 

『ブルブルブルブル!』
『ガチガチガチガチ!』
 身体の震えばかりではなく歯まで鳴っている。
 そして何よりも彼は目を開いていない。


 

「キャアッ!」
 ただ事ではない事態にミウは狼狽し、身を硬くした。
 慌ててジョウジの身体を揺さぶってみる。


 

『ガクガク…』
 いくら強く揺さぶっても彼は返事をしない。
「ジョウジ!ねぇ、ジョウジってば!大丈夫なの?」
 意識を確認する声も自然と大きくなる。
 しかし、無常にもジョウジから応答は一切無い。
 目を開こうとすらしない。
 恐怖で気持ちが萎縮しそうなミウであったが、身体が震えていることで逆に彼が生きていることは冷静に判断できた。


 

「そうだ、誰か助けを呼ばないと。」
と、石碑の周囲を見渡すミウ。
「…!」
 しかし、何故かどの方角を見ても視界に人っ子一人見つけることが出来なかった。
「何でよぉっ?」
 苛立ちを声にするミウであったが、事態は一刻を争うことを承知していた。


 

『スクッ!』
 まずミウは身に着けていたスカーフを外し、敷き布団の代わりに地面に置いた。
 そして、震えに震えているジョウジをゆっくりとその場へ寝かせた。
 それは女性にとって力のいる行動であった。


 

「よしっ!」
『タタタッ…!』
 そこから今まで走ったことのないようなスピードで助けを求めに行った。
 ミウがいなくなった石碑前では更なる異変が起きようとしていた。


 

『ボビュボビュボビュ…』
 石碑から異様な音が聞こえてきた。
 それはこの世では聞いたことのない様な物音であった。


 

『ボビュボビュボビュ!』
 音はより大きくなり、
『ボビュウッ!』
一旦止まった。


 

 すると、
『ジェシャアアアアアアァァァッ!』
 石碑から真っ赤な気体が立ち昇った。
 それはユラユラと陽炎のように上がったかと思うと、
『ジャーッ!』
一気に無数の水滴となり上昇した。
 雨が逆に降るような実際には存在することのない恐るべき光景であった。


 

『ムウン…』
 上昇した赤い水滴群はジョウジの頭上約3mの所で赤い雲として浮かんでいる。
『ドッジャアアアアァァァァッ…!』
 そして、赤い雨となって一気にジョウジの身体に降り注いだ。
『ザブザブザブ…』
 ジョウジの身体がみるみるうちに赤い液体で覆われた。
 その光景はおぞましくもジョウジが血塗れになっているように見える。


 

『ジュブジュブジュブ…』
 ジョウジの身体を浸していた赤い液体が今度は身体に染み込んでいく。
『ジュブジュブ…シュウッ…!』
 あっという間に染み込み、ジョウジは元の状態に戻った。
 あれだけ酷かった身体の震えはもう治まっていた。
 しかしながら、意識は回復していない。


 

 すると、また異変が起きた。
『グワアァァァァァァァッ!』
 今度は石碑が地鳴りを上げたのだ。
『フワッ!』
 間もなく石碑はその巨大さにも拘らずあっさりと宙に浮いた。
『スゥー』
 赤い水滴と同じようにジョウジの頭上まで移動する。
 石碑の周りには黒い靄のようなものが発生している。


 

『ギュワリギュワリギュワリ…!』
 石碑からはまるでそれが生き物であるかのような不気味な音が聞こえている。
 それはもの凄く大きな音量となって高原全体に鳴り響く。
 それでもジョウジはピクリともしないで横たわっている。


 

 数十秒ほど石碑は浮遊していただろうか。
 刹那に、
『ボッガアアアアアアァァァンッ!』
石碑は爆発でも起こしたかの如く四散した。
『ブチブチブチブチブチィッ!』
 石の飛礫は全てがジョウジの身体めがけて飛んでいく。
 そして、彼の身体にめり込んでいった。
 

 

 何千、いや何万という飛礫がめり込んでいく。
 しかし、不思議なことにジョウジの身体からは一滴の血も流れない。
 それどころか傷さえ確認することができない。
 あれだけの石飛礫が彼を襲ったというのに。
 

 

 異変はこれだけでは終わらなかった。
『ビバァァァァァァァァッ…!』
 石碑が建っていた地点から突如光が発せられた。
 その光は先般の靄と似ており、どす黒いものであった。
 光が消えた後には、
『ズンッ!』
あろうことかまた石碑が建っていた。
 さっき砕け散ったものと寸分違わぬものだ。

 


『パッ!』
 ここまでの出来事が終わった途端にジョウジが目を覚ました。
 うすぼんやりとした表情で辺りを見回す。
「俺…?」
 自分が何処にいるのかを把握していない様子である。
「あっ、旅行…魔女……」
 次第に記憶が呼び覚まされているようだ。
 断片的であるが、現状を確認している感じのジョウジ。


 

「ミウ…ミ……ど…こ…だ…?」
 ここでようやくジョウジは恋人が側にいないことに気がついた。
『ガバァッ!』
 慌てて起き上がろうとするジョウジだったが、
「ウッ!」
激しい立ち眩みですぐに立ち上がることができなかった。
「ミウ……何処へ…行った……?」
 猛烈な寂しさに見舞われるジョウジだった。
 しかし、そんな暗い気持ちもすぐに消されることとなった。


 

 

「こっちです!早くっ!」
 彼方から耳に慣れた愛しい人の声が聞こえてきたからだ。
「ミウ!」
 まだだるさで自由に動かない身体を必死になって意中にしようとするジョウジ」
「あぁっ、良かった!ジョウジ気が付いたのね!」
 ジョウジの様子を認められる地点まで来たミウは喜びで声を上ずらせた。
「ミウ…」
 ミウの後ろには石碑を管理している施設の人間と思しき男が二人いた。
 彼女が自分を助けるために人を呼んできてくれた事実をジョウジはようやくここで理解した。


 

 

「もしもし、あなた大丈夫ですか?」
 男の一人が心配そうにジョウジの顔を覗き込む。
「えぇ、ウッ!」
『ブチンッ!』
 すると、どういうわけか大丈夫であると受け答えをしようとしたジョウジ頭の中で何かが弾けた。


 


(何だ…この…感覚は……?)
 下を向き考え込むジョウジ。
 明らかに体調が悪そうに見える。


「ジョウジ?どうしたの?やっぱりどこか具合でも…」
『スッ』
「えっ!?」
 恋人を心配して駆け寄ってきたミウをジョウジは右手で制した。
「ジョウジ?」
 困惑するミウをよそにジョウジはピョンと飛び起きた。


「おぉっ!?」
 その様を見て施設の男たちが頓狂な声を上げる。
「お騒がせしてすいませんでした。」
「ジョ…」
 ミウはジョウジが自分の想定範囲よりも元気であることを悟り嬉しい気持ちでいっぱいだったが、何故自分が制せられたかということに一抹の不安を覚えていた。


 

「実は僕、こういう怖いスポットに来て舞い上がっちゃって、大好きな彼女をちょっと困らせてやろうと失神したフリをしていたんですよ。」
「はぁ?」
「そうしたらいつの間にか寝入っちゃったんです。仕事の疲れが溜まっていたんでしょうね。」
「ちょ、ジョウジったら。」
『サッ』
 ミウの横槍を制するジョウジ。


 

「とにかくイタズラが過ぎてしまったことはお詫びいたしますので、どうかここはお引取りください。」
「そうですか。人騒がせなことは止めていただきたいものですね!」
「本当ですよ!今後気をつけてくださいね!」
 呆れた様子で通り一片の説教言葉を残し、職員たちは帰って行った。


 

「ジョウジ、あなた…」
 納得がいかないミウは声を荒げる。
「大丈夫だ。ゴメンよ」
 それに対しジョウジは落ち着き払って応える。
 謝罪こそしているが、有無を言わさぬ威圧感がそこにはあった。
『ブルッ!』
 ミウはジョウジの態度に何故か悪寒を覚えた。


 

 その日の夜。
「スゥーッ、スゥーッ…」
 ミウたちが泊まっているホテルの部屋。
 自分の腕枕で愛しい恋人ミウが可愛らしい寝息を立てて眠っている。
 その横顔をジョウジはジッと見詰めていた。


 

「グッ!」
 すると突然ジョウジは頭を抱えて呻き出した。
「ムムムッ!」
 相当痛むようで頭を抱えたままベッドに蹲ってしまった。
「ムムムッ!」
 それでも隣で寝ているミウに悟られないように枕に顔を埋めて痛みを堪えるジョウジであった。


 

(ジョウジ…)
 ミウはこの時点でジョウジの異変に気付いていた。
 しかしながら彼女にはどうすることもできなかった。

 

 

 

 ミウが危惧していた通り、旅行から帰って以来一月間にジョウジはすっかり人が変わってしまった。
 会社内において、今までのジョウジは前に出過ぎることを良しとせずに常に周りの営業と協調し合い仕事をしていた。
 つまり潤滑油のような役割を果たしていたのだ。


 

 それが旅行以降我先に行動するようになった。
 その積極性は営業としては大きな武器になるものであったのだが、度が過ぎてスタンドプレーに走ることが多くなったのだ。
 他の社員の担当業者であろうが、エリアであろうが平気で荒らした。


 

 また、顧客に対しても高圧的な態度に出ることが多くなり、売り上げは上げるも顧客からは嫌われる存在となった。
 会社の業績に貢献しているとはいえあまりに度を越したその行動に営業部長が注意をした時も、
「”営業は成績が全て”と仰ったのは部長、アンタじゃないですかっ!」
と食って掛かり、顰蹙を買った。


 

 今やジョウジは社外はおろか社内の要注意人物としてマークされていた。
 プライベートにおいても例外ではなかった。
 表立ってミウに暴力を振るったり、大声を出したりということはなかったが、ミウの提案をほとんど聞かずに自分の意見を押し通すようになった。
 ミウが何か言おうものなら頑として拒絶した。


 

 また、元来博愛主義者で動物などもその範疇内としてこよなく愛していたジョウジだったが、最近は外を歩いている時に散歩している犬を見ると露骨に顔をしかめるようになったし、ひどい時には吠える犬を足蹴にして飼い主とトラブルを起こすこともしばしばあった。
 更には部屋に侵入してきた昆虫や蜘蛛といった虫類も以前は捕まえて外に逃がしていたのに、平気で殺すようになっていた。


 

 ミウはそんなジョウジの豹変に心を痛め恐怖すら感じていたが、彼と別れようとは決して思わなかった。
 むしろ自分がジョウジを元に戻すのだという使命感に似た感覚が今のミウを支えていた。
 だが、意識とは逆になかなか行動に出られないでいるミウがいた。
 理由はわからなかった。

 

 

 そんなある休日の深夜、二人の住むアパートにて。
「ウーン…」
 眠っていたミウはあまり良い夢を見ていなかったようで、若干苦しげな表情で目を覚ました。
「あれ!?」
 傍らにジョウジの姿がないことを認めるミウ。


 

「ん?」
 キッチンの方から光が漏れている。
 そこにジョウジがいることは瞭然だ。


 

『スゥーッ』
 ミウはゆっくりと起き上がり静かに、極めて静かに歩を進めた。
「キィ』
 そしてドアを少しだけ開ける。


 

「ハッ!?」
 そこに飛び込んできた光景は異様なものであった。
『ギシギシ、ギシギシッ!』
 ジョウジが包丁で何かを切っていた。
 肉を切る音に混じり、骨を切る音がミウの神経に障った。


 

「ヒッ!」
 どこで捕まえてきたのだろう?
 彼が切り刻んでいたのは、はっきりとは確認できないが犬か猫のような動物に見えた。
『ギシギシッ!』
 既に動物は絶命していたが、それまで生きていたことを証明するかのように切り離された各部分から液体、つまり血が滴っているの見て取れた。


 

「ウゲッ!」
 すえた血の臭いのせいだろうか、ミウは強烈な吐き気を催し、その場を離れた。
『ズサッ!』
 そしてそのままベッドにうつ伏せに倒れた。
「ググンッ、ググンッ!」
 ミウの身体を猛烈な動悸が襲う。


「ジョウジ、どうしちゃったのよ?」
 ミウの目から涙が溢れる。
「ウッウッウッ…」
 胸が詰まるほどの悪寒を止めることが出来ずにミウは泣き続けた。


 

『ギシギシ、カタンッ!』
 まるで自分が見られていることに気付いていたかのようにジョウジは包丁を動かす手を止め舌なめずりを一つした。

 

 

 翌日の日中、昼休みの時間帯。

 


「…」
 ミウは同僚女子社員からの食事の誘いを断り、独り公園のベンチに座って考え事をしていた。
 昨夜の出来事がまだ自分の中で生々しいものであったことで食欲が全く湧かず、ひたすらそのことについてのみ意識を張り巡らせていたのだ。
 ミウ自身自覚するところではなかったが、ジョウジの性格が変化して以来彼女の精神は安らかになることがなく、それは青褪めた顔色、落ち窪んだ瞳、こけた頬に現れていた。


 

(ジョウジ。あそこで一体何が起こったの?)
 ミウはジョウジが失神し、助けを呼びに行った時のことを思い出していた。
 あの時その場を離れたことを激しく後悔している。
「フゥーッ」
 何とかして元のジョウジに戻って欲しいとずっと思案していたが、明確な解決策が浮かばず、思い悩む日々が続いていた。


 

 一番手っ取り早く確実な方法はジョウジを病院へ連れて行くことであると結論は既に出ている。
 しかし、今の攻撃的な性格の彼にその提案をすれば無下に断られるばかりでなく、その後の自分の身の安全も保障されないだろうとミウは恐れた。
 けれども、昨夜の異常な行動を見るにつけ事態は一刻を争っている。


 

 

「話そう。」
 ミウは自分の意志を小さい声ではあったが確実に口にした。
「何をだい?」
 不意に声が聞こえた。
「ヒィッ!?」
 声の主はジョウジだった。


 

「ジョ、ジョウジ!急にどうしたのよ?びっくりしたじゃない!」
 ミウの心臓が早鐘を打っている。
「驚かせてごめん。けど、俺はもう何分も前から君の目の前に立ってたんだぜ」
「エッ?あ、そう、そうだったの。こっちこそごめんね。ちょっと経理課のひとみから厄介な恋愛話持ちかけられちゃってさ。それで考えに集中してたの。」
 ミウはジョウジに気取られないように必死に場を取り繕った。


 

「そうなんだ。」
『ゾクッ!』
 言葉とは裏腹にそれを見透かすようなジョウジの冷たい表情と視線にミウはまたひとつ戦慄を覚えた。

 

 

 その日の夜、二人の住むアパート。
 時計の針はもう十一時になろうとしていた。
「遅いな、どうしたんだろ?」
 いつもなら遅くとも十時過ぎには帰宅するジョウジのことも心配だったが、ミウには別の心配事もあった。


 

 ジョウジを病院へ連れて行くことに実家の両親に協力を仰いだのだ。
 娘のただならぬ様子に両親は願いを聞き入れアパートへと向かっている。
 しかしながら、実家を出るという連絡があったのが七時半頃。
 3時間以上も時間が経っている。
 さっきから何度も二人の携帯に電話を入れているが、どちらの電話も留守電のまま。


 

(いくらなんでもおかしい…何かあったのかしら?)
 不安に思ったミウは警察に相談しようとテーブルの上に置いてある携帯を取ろうとした。
「ピンポーン!」
 まさにそのタイミングでインターホンが鳴った。


 

「あっ、はーいっ!」
 両親が到着したと思い、ミウは受話器を取らずに玄関へと赴いた。
「もう、遅いじゃない!今電話しようと思ったんだから!」
『ガチャッ!』
 

 

 ミウがドアを開けると、
「ギャッ…!」
 思わず声を上げてしまった。

 

「何だよ!彼氏が帰ってきたってのにその驚きようは?」
 そこに立っていたのはジョウジだった。


 

 彼は何故かドアを半開きにしたまま半身の体勢になっていた。
「いや、ジョウジならいつも鍵でドアを開けるから。」
「それなら何でドアを開ける時”遅いじゃない!”なんて言ったんだい?」
「あっ…」


 

 ミウはそこで初めて自分が重大な間違いをしてしまったと確信した。
 明らかにジョウジは自分のことを疑っている。
(もしかして私が浮気でもしてると思ってる?それとも…?)
 ミウの頭の中で物凄いスピードで試行が渦巻いていく。


 

「当ててみようか、ミウ。」
 そう言って薄ら笑いを浮かべるジョウジ。
 その下卑た目線、醜く曲がった口をしげしげと眺めるミウ。
 これまで見せたことのない気味の悪い表情にミウの背筋が凍りついた。


 

「ミウは旅行以来俺の性格が変わってしまったと思っているだろ?確かにそれまでの俺はどっちかって言うと内気で優しい人間だったからな。」
「…」
 ミウは蛇に睨まれたカエルのように身をすくめている。


 

「変わったんじゃないんだ!俺はな、人間を超えたんだよミウ!」
「ジョウジ、何言ってるのよ?さっぱりわかんないよ…」
 ミウの目から涙が溢れ出てきた。


 

「人のことを思いやったりとか、気を遣ったりするのが人間社会のルールだろ?そういう煩わしいことから俺は解き放たれたんだよ!そして俺は人間を超える存在として君臨するんだ!」
「ウッ、ウッ、ウッ」
 およそ正気とは思えないジョウジの告白にミウは嗚咽を漏らす。


 

「けど、ミウはそんな俺のことを元に戻そうと考えている。だから親を助っ人としてここに呼ぶなんて行動に出たんだね。」
「!!」
 自分の行動が完全に読まれていたことに驚くミウ。


 

「知ってたの?じゃあ…」
 新たな疑問が恐怖とともに涌いてきた。
「俺が頂点に君臨すること、それは誰にも邪魔なんかさせない!たとえ愛している君にもねっ!」


 

『ズゥサァ!』
 そう大声で捲くし立てるとジョウジはドアを全開にして半身で隠れていた左手を出した。
 そこには何かが握られている。
 二つの巨大なスイカのように最初は見えた。


 

「キャアァァァァァーッ!」
 物体を認めた瞬間、ミウの嗚咽が絶叫へと変わった。
 ジョウジが持っていたのはミウの両親の生首だったからだ。


 

『ズサッ!』
 立っていることができずに床に突っ伏してしまうミウ。
 生首の底からは夥しい量の血が滴っていて、瞬く間に玄関先に血だまりができた。
 狂ったジョウジは二つの生首の髪の毛を持っていて、ジョウジが動く度に哀れな両親はゴツゴツと鈍い音を立ててぶつかり合っている。


 

「アァァァァァァァーッ!」
 喉もちぎれんばかりのミウの絶叫が周囲にこだまする。


 

「俺の邪魔は誰にもさせないって言ったろ。邪魔者は消すんだよ、こんな具合に!」
「フンッ!」
 ジョウジはそう吐き捨てると、まるで砲丸投げでもするかのように両親の生首を部屋の中に放り投げた。


 

『ビュンッ…グガチャァッ!』
 哀れな二つの生首は壁に凄い勢いで激突して、そのまま床に転がった。
 二つともカッと目が見開かれており、だらしなく開いた口元に象徴されるその表情には今上への無念が見て取れた。


 

「アギャッ、アギャアァァァァァァーッ!」
 ミウの絶叫がピークに達した瞬間、
「苦しいよな、楽にしてやるぜ!」
 懐からダイバーナイフのような刃物を取り出したジョウジ。
 そして、
『グッシュウウウゥ!』
 床に伏しているミウの背中を一突きにした。
「ガボッ…!」
 ミウの口から血が溢れる。
 喉を血の味が逆流して広がり、噎せ返った。


 

(ジョウ…ジ…!)
 自分を裏切った男の名前が彼女の最後の思考だったのか。
『バタッ!』
 程なくして倒れ込むミウ。
 全く身動きしないことから絶命したのだろう。


 

「ケッ、ヒャハハハハハハハ!」
 まだ温もっている恋人の亡骸を見詰めているうちにジョウジの歪んだ口元から喚起の笑い声が発せられた。


 

「ヒャハハハハハハアッハハハハハァッ!」
 もはやその表情はジョウジ本来のものではなく、悪鬼としか形容できないほど残忍なものであった。

 

 

 翌日、楠木ジョウジは楡井ミウ、そして彼女の両親を殺害した容疑者として全国に指名手配された。
 当然のことながら勤務先の間旺食品株式会社も解雇された。
 しかし、ジョウジは手がかりひとつ残すことなく忽然と姿を消してしまった。
 この猟奇的な殺人事件は新聞やワイドショーを賑わせ、犯人が捕まっていないことから世間的にも注目の的となったが、物事が風化していくのは人の世の常。


 

 やがて何もかもが綺麗に忘れ去られた。

 

 

 

 それから五年後。
 新宿を拠点に暗躍する地下組織、所謂マフィアの中で急速に力を付けている集団があった。


 

 『樫山(かしやま)興業』は日本のどこの暴力団にも属さない愚連隊的集団である。
 リーダーである樫山シゲルに惹かれる構成員が集まり、麻薬密売、売春といったものから果ては人身売買や殺人請負に至るまで他の暴力団が尻込みする犯罪をやってのける狂犬どもの集まりだ。


 

 シゲルは若干三十歳未満(誰も彼の実年齢を知らない)という若さでありながら男を惹きつける強烈なカリスマ性と、女を虜にする異様なフェロモンを兼ね備えていた。
 彼は喧嘩が滅法強く、抗争相手を素手であっさり片付けてしまうほどのステゴロだった。
 何よりも彼はその眼力で目の前に立つものを平伏させてしまう超能力にも似た力を持っているのだ。


 

 こうして人数こそ十数人と少ないが、地下組織の中で確固たる地位を築き上げている。
 噂のレベルに過ぎないが、ここ五年間で若い女性が次々と誘拐される事件が頻発しているが、その犯人はシゲルなのではといわれている。


 

 シゲルのフェロモンに吸い寄せられた女性はさんざん弄ばれた末に売春婦に身を堕しているという。
 その臓器を闇で売買されることもあるという。
 そして、シゲル自身が女性の肉体を食べているのではないかという話までもがまことしとやかに囁かれたりもしている。


 

 最近では犯罪行為を見逃してもらうべく警察や代議士らと癒着しているとのことだ。
 混迷の度を深める日本社会は樫山興業が生きていくのにピッタリの場所なのであろう。


 

 今夜もシゲルは悪の限りを尽くす。


 

「馬鹿野郎!そんな安い金額で売るほど今回のハッパは質が悪くないぜ!」
 深夜の首都高速。

 赤いアウディの後部座敷にて携帯電話で怒鳴っているシゲル。
 そのあまりの怒気に運転手をはじめとする子分達も怖さで小刻みに震えていた。


 

「一億だ、一億!ビタ一文まけないぞ!さもなけりゃてめぇら全員切り刻んで富士の樹海に生ゴミとして捨ててやるからな!わかったな!」
 散々怒鳴り倒して、シゲルはさっさと電話を切ってしまった。


 

「フゥーッ、人間どもが…!」
 今度は抑揚のある口調で呟く。
『ガクブル…』
 余計怖くなってしまう子分達であった。


 

「おい、Kホテルで降ろせ。」
 それだけ言うと今度はブンと無口になってしまうシゲル。
『ウィン』
 車の窓を開けて空を見やると満月だった。

 

 

 都内有数のシティホテルであるKホテルはシゲルの定宿となっていた。
 シゲルには当然住まいである高級マンションもあるのだが、そこに足を踏み入れた者は誰一人としていなかった。


 

 一度冗談めかしてシゲルの子分とその彼女が忍び込もうとしたことがあったのだが、シゲルに見つかってしまい惨殺され、東京湾の藻屑となってしまった。


 

『シュンッ』
 エレベーターを颯爽と降り、自分の部屋へと向かうシゲル。
『カチッ』
 カードキーでドアを開け、無言で入って行く。


 

「マリコ。帰ったぞ、マリコ!」
 いつもなら愛人の杉山マリコがバスローブ姿で誘惑せんと待ち構えている。
 しかし、今日に限ってマリコの姿はリヴィングスペースにはなかった。


 

「何だよ、キメて寝ちまったのか?」
『ガチャッ』
 乱暴に寝室のドアを開ける。


 

「…」
 しかし、そこにもマリコの姿はなかった。


 

「ふむ、何処行きやがったんだ?」
 シゲルの苛立ちは結構なところまで来ていた。
 リヴィングと寝室にいなければバスルームしか後は考えられない。
 だが、バスルームの灯りは消えている。


 

『ガチャッ、パッ!』
 鍵はかかっていない。
 扉を開け、灯りを点ける。


 

「ウワッ!」
 滅多に驚きの表情など見せないシゲルが思わず声を上げた。


 

「マリコ…」
 マリコが全裸で死んでいた。
 バスタブに窮屈そうに身体を押し込められて。


 

 背中を鋭利な刃物のようなもので一突きにされていた。
 バスタブに水は張られてなく、代わりにマリコが流した血で彼女自身がヒタヒタに浸されていた。


 

「ウーム…」
 普段狼狽することのないシゲルの顔に困惑が表れている。
 鉄っぽい血の臭いがバスルーム内に充満している。


 

「まぁ、いずれ食うつもりだったからこれは良しとして…一体誰に殺されたんだ?」
 異常な思考回路で物事を考えるシゲル。


 

『バタムッ!』
 シゲルは乱暴にバスルームのドアを閉め、リヴィングへと戻ってきた。


 

「…」
 マリコを惨殺した人間がまだこの部屋に潜んでいるかもしれない。
 そう考えて彼は神経を研ぎ澄ませた。


 

『タッ』
 再び寝室へと歩を進めるシゲル。
 灯りを点けしげしげと周囲を観察した。


「ヘタクソめがっ!」
 争った形跡があるクローゼットに気付いた。
『グイッ!』
 一気に扉を開けた。

 

 

『シュウッ!』
 物凄いスピードで何かが飛んできた。
「クッ…!」
『シパッ!』
 咄嗟に身をかわすシゲルだったが、何かが頬を翳めた。
 自分の皮膚が裂ける音を聞いて逆に高揚感を覚えている自分がいる。


 

「誰だっ!?」
 短時間にしてここまで自分を追い詰める賊の存在を問い質した。

 

 

「久しぶりねジョウジ…」
「何だと!?」
 懐かしい呼び名が懐かしい声によって聞こえてきた。
 クローゼットの中にいたのは死んだはずの楡井ミウだった。

 

 

「生きていたとはな…」
 驚きを隠さずにシゲル、いやジョウジが沈黙を破った。

 


「棺桶の中から甦ったわ。」
 薄い笑みを湛えてミウが返す。


 

 五年という歳月は人を変えるのに十分だ。
 かつての快活さや明るさが消え失せていた。
 それでもミウの美しさだけは変わっていなかった。
 大人びたことでより美しさが際立っていた。


 

「よく俺がジョウジだとわかったな。」
 あっさりと正体を認めるジョウジ。
 その獣のような表情の奥底に幾許か人間らしさが少し覗いている。


 

「愛した男のことくらいわかるわ。顔形の違いなんか問題じゃない。」
 ミウの右手には手製の銛のようなものが握られている。
 これでジョウジを狙ったのだ。


 

「五年間ずっと私は貴方を見つけて殺すためにだけ生きてきたのよ。」
「復讐のためかい?自分と親を蹂躙した俺への…」
「それもあるわ。けど、一番の理由はそこじゃない。」
「ほう?」


 

「貴方を生かしておくわけにはいかないの!貴方はもう人間じゃないから。あの旅行で何が貴方の身に起きたのか今でもわからないし、知りたいとも思わない。けど…」
「けど!?」


 

「貴方が暗躍し続けることで人が不幸になる。これ以上私のような人を増やしたくないのよ!」
「相変わらず優しいというか、ヒューマニストなんだな」
「貴方も相変わらず鬼畜ね。」
 二人のやり取りには棘もあったが、どこか再会を喜んでいるような、会話を楽しんでいる様子も見受けられた。

 

 

「なぁ…」
 男が落ち着いた口調で話しかける。
「ん…?」
 男を正面に見据えていた女が応える。


 

「俺たちってさ、こうなる運命だったのかなぁ?」
「うーん、わからないわ。でも、今ここにこうして二人でいるってことはもしかしたらそうなんじゃないかしら。」


「そうか、やっぱり運命だったんだ。」
「こういう話、前にもしなかった?」
「覚えてないなぁ…」
「したわ、確かベッドの上だった。」
「よくそんなこと覚えてるな。」
「”デ・ジャ・ヴ”ってことよ。」
「なるほど、ちょっと意味が違うような気もするけど、考えてみれば”デ・ジャ・ヴ”かもな。」
「私たちがまたどこかで逢うことがあれば今日みたいに話すと思うわよ、きっと!」
「そうかもしれない。どこか、別の世界で君と逢ったとしても…」

 

 

 こうした会話がおよそ似つかわしくない状況下でミウとジョウジは話し続けた。

 


(この時間がもっと長く続けば良いのに…)
 二人は偶然にも極限の状況下でそんなことを考えていた。


 

 だが、物事には必ず終わりが訪れるものだ。

 

 

「そろそろケリをつけないか?」
「そうね…」
「いつでも来いよ!」
「うん、わかった!」


 

『ビュウンッ…!』
 ミウは自分の言葉が終わるか終わらないかのうちに銛を突き立てた。


 

「ハアッ…!」
 今度はジョウジも正確に避けた。


 

 しかし、
「何っ?」
 あろうことかカーペットに躓いてしまった。


 

『ドッサァッ!』
 そのままもんどり打って床に仰向けに倒れ込むジョウジ。
 この絶好のチャンスをミウが逃すはずはない。


 

「ヤアァァァァァァーッ!」
 五年前の絶叫を凌駕せんばかりの気合でミウは銛を振り下ろした。


 

『ビジュウゥゥゥゥゥッ!』
「ぐはっ…!」
 鋭い銛がジョウジの身体を貫いた。
 それは銛がジョウジの肉体を刺した音だけでなく、床に刺さったことでミウに実感として伝わった。


 

「グボッ!」
 刹那に血をゴボゴボと吐くジョウジ。
「み、み…ごと…だったよ…」
 嘔吐物ではっきりと聞き取れないがミウにはこう聞こえた。


 

『ブワッ』
 堪え切ることができずにミウは泣き出した。
 涙はたちまち彼女の双眸を濡らす。


 

「ミウ、愛…し…てるよ…」
 ジョウジの目にも涙が浮かんでいた。
「私も。今でもジョウジを…愛してる…」
 ミウは泣きじゃくっていた。


 

「そうか…なら…早くと、どめを…頼む!」
『コクッ』
 ジョウジの願いにミウは無言で頷いた。


『ジャキッ!』
 銛をゴルフクラブのように両手で持つミウ。
「ハアッ!」
 そのままジョウジの首めがけスイングした。


 

『ブウンッ!ドバッ!』
 銛の横に備わっていた切っ先はジョウジの首を正確に捉え、一瞬にして彼を生首と胴体とに二分した。


 

『ゴロン…』
 血飛沫とともに床に転がるジョウジの生首。
 銛を捨てたミウはそれを両手で拾い上げ、慈しむように胸に抱いた。


 

「ウッウッウッ…」
 五年前と同じ嗚咽を漏らすミウだった。

 

 

 

「以上で全部です…」
 無表情のままミウは話を切り上げた。


 

「嘘言っちゃいかんよ、アンタ!」
 スーツ姿の中年男が声を荒げた。


 

「本当です。私はジョウジを殺しました。それは事実です。けど、ジョウジが悪魔のような男であったということもまた事実なのです。彼は…もはや人間ではありませんでした…」
 虚空をぼんやりと見詰めながら呟くミウ。
 

 

 ここは警察署、捜査一課の取調室。
 

 

 楠木ジョウジを殺害した容疑者として楡井ミウは逮捕、留置されていた。
 これまでの顛末をミウは取調べの刑事に話していたのだ。


 

「アンタねぇ、ふざけちゃいけないよ!」
 さっきの刑事が声を更に荒げ、掴みかからんばかりの勢いでミウに迫った。
「私は事実しか述べていません…」
 ミウの回答は同じだった。


 

「おいっ、ふざけるなって言ってるだろう!」
「こらっ、落ち着け」
 上司と思しき年配の刑事が中年刑事を制した。
「はい…」
 中年刑事も苛立ちを堪えて無言になり、椅子に座った。


 

「失礼しましたね」
「いえ、事実です…」
「今度は私から話しますね」
 年配刑事がミウの機械的な返事を無視して話し出した。


 

「楡井さん、貴女の証言には残念ながらいくつもの矛盾があるんですよ」
「事実ですから…」


 

「貴女の話で事実なのは貴女が楠木ジョウジさんを殺害したということだけです。楠木さんが五年前に貴女のご両親を殺害し、貴女のことも殺害しようとしたのも嘘なら、楠木さんが闇の組織を結成していたというのも全くの事実無根なんですよ」
「事実です…」


 

「厳然たる事実は貴女が楠木さんを殺害したことだけなんですよ。そして遺体を切り離してその生首を肌身離さず持ち歩いていた。それだけが事実で動機も何も皆目わからないんです。ですから楡井さん、貴女の確かな自白と言いましょうか、証言が必要なわけで…」


 

「厳然たる事実は今お話した通りですわ。私はジョウジを、人間ではないものへ変わったジョウジを運命から解放してあげたんです。」
 何を言われても同じ内容を繰り返すだけのミウ。


 

「フゥーッ」
 さしものベテラン刑事も根負けしたようだ。


 

「わかりました。ここで頭を冷やしていただくために一旦休憩を取りましょう。十分です、十分後にまた来ます。お手洗いの際はお手数ですが申し出てください」
『ガタッ』
 そういうと二人の刑事は調書を取っている刑事を残して取調室を後にした。

 

 

「……」
 虚空を見詰めたままのミウ。


 

(私は正しいはず!けど、けど…)
 彼女の脳の中で様々な思いが蠢いている。


 

(あの刑事の言うことが本当なのかしら?)
『ピキンッ!』
 ミウの脳内の奥深くで何かが弾けた音がする。


 

「アァッ!」
 突然何事かを思い出したのだろう、ミウの眼に生気が戻り、思わず声を発した。


 

(私は今まで人が変わってしまったのはジョウジだと思い込んでいた。けど、それこそが間違いだったんだわ!)


 

『ピキンッ!』
 脳内音は止まない。


 

(性格が変わったのは私…)
 生気を帯びたミウの表情がたちまち醜く歪み出した。


 

(旅行で『血の雨』を浴びたのは私だったんだわ!)
『ピキンッ!』


 

(卯美姫は私、すなわちミウそのもの!)
 彼女の思考は世にも恐ろしい方向へと発展する。
 ミウが『血の雨』に打たれたということも彼女の想像の範疇でしかないのに。
 それが真実であるという保証はどこにもない。


 

(ならばここだって簡単に出られるはず)
 しかしながら、ミウの自我はどんどん肥大化していく。
 彼女にとっての正義や正論は彼女の脳内の産物でしかない。

 


 けれどもそれは全ての人間に言えることなのではないだろうか?

 

 

 この世で一番恐ろしいもの。
 それは…?

 

 

(私こそが人間を超える魔女だったんだわ!)


 

 

 

 

 

 

~未完~

 

 

*この物語はフィクションです。

 

 

Copyright (C) 2009 by drivemycar All Rights Reserved

 

 


 

スポンサーサイト

「そろそろケリをつけないか?」
「そうね…」
「いつでも来いよ!」
「うん、わかった!」

 

『ビュウンッ…!』
 ミウは自分の言葉が終わるか終わらないかのうちに銛を突き立てた。

 

「ハアッ…!」
 今度はジョウジも正確に避けた。

 

 しかし、
「何っ?」
 あろうことかカーペットに躓いてしまった。

 

『ドッサァッ!』
 そのままもんどり打って床に仰向けに倒れ込むジョウジ。
 この絶好のチャンスをミウが逃すはずはない。

 

「ヤアァァァァァァーッ!」
 五年前の絶叫を凌駕せんばかりの気合でミウは銛を振り下ろした。

 

『ビジュウゥゥゥゥゥッ!』
「ぐはっ…!」
 鋭い銛がジョウジの身体を貫いた。
 それは銛がジョウジの肉体を刺した音だけでなく、床に刺さったことでミウに実感として伝わった。

 

「グボッ!」
 刹那に血をゴボゴボと吐くジョウジ。
「み、み…ごと…だったよ…」
 嘔吐物ではっきりと聞き取れないがミウにはこう聞こえた。

 

『ブワッ』
 堪え切ることができずにミウは泣き出した。
 涙はたちまち彼女の双眸を濡らす。

 

「ミウ、愛…し…てるよ…」
 ジョウジの目にも涙が浮かんでいた。
「私も。今でもジョウジを…愛してる…」
 ミウは泣きじゃくっていた。

 

「そうか…なら…早くと、どめを…頼む!」
『コクッ』
 ジョウジの願いにミウは無言で頷いた。

『ジャキッ!』
 銛をゴルフクラブのように両手で持つミウ。
「ハアッ!」
 そのままジョウジの首めがけスイングした。

 

『ブウンッ!ドバッ!』
 銛の横に備わっていた切っ先はジョウジの首を正確に捉え、一瞬にして彼を生首と胴体とに二分した。

 

『ゴロン…』
 血飛沫とともに床に転がるジョウジの生首。
 銛を捨てたミウはそれを両手で拾い上げ、慈しむように胸に抱いた。

 

「ウッウッウッ…」
 五年前と同じ嗚咽を漏らすミウだった。

 

 

 

「以上で全部です…」
 無表情のままミウは話を切り上げた。

 

「嘘言っちゃいかんよ、アンタ!」
 スーツ姿の中年男が声を荒げた。

 

「本当です。私はジョウジを殺しました。それは事実です。けど、ジョウジが悪魔のような男であったということもまた事実なのです。彼は…もはや人間ではありませんでした…」
 虚空をぼんやりと見詰めながら呟くミウ。
 

 

 ここは警察署、捜査一課の取調室。
 

 

 楠木ジョウジを殺害した容疑者として楡井ミウは逮捕、留置されていた。
 これまでの顛末をミウは取調べの刑事に話していたのだ。

 

「アンタねぇ、ふざけちゃいけないよ!」
 さっきの刑事が声を更に荒げ、掴みかからんばかりの勢いでミウに迫った。
「私は事実しか述べていません…」
 ミウの回答は同じだった。

 

「おいっ、ふざけるなって言ってるだろう!」
「こらっ、落ち着け」
 上司と思しき年配の刑事が中年刑事を制した。
「はい…」
 中年刑事も苛立ちを堪えて無言になり、椅子に座った。

 

「失礼しましたね」
「いえ、事実です…」
「今度は私から話しますね」
 年配刑事がミウの機械的な返事を無視して話し出した。

 

「楡井さん、貴女の証言には残念ながらいくつもの矛盾があるんですよ」
「事実ですから…」

 

「貴女の話で事実なのは貴女が楠木ジョウジさんを殺害したということだけです。楠木さんが五年前に貴女のご両親を殺害し、貴女のことも殺害しようとしたのも嘘なら、楠木さんが闇の組織を結成していたというのも全くの事実無根なんですよ」
「事実です…」

 

「厳然たる事実は貴女が楠木さんを殺害したことだけなんですよ。そして遺体を切り離してその生首を肌身離さず持ち歩いていた。それだけが事実で動機も何も皆目わからないんです。ですから楡井さん、貴女の確かな自白と言いましょうか、証言が必要なわけで…」

 

「厳然たる事実は今お話した通りですわ。私はジョウジを、人間ではないものへ変わったジョウジを運命から解放してあげたんです。」
 何を言われても同じ内容を繰り返すだけのミウ。

 

「フゥーッ」
 さしものベテラン刑事も根負けしたようだ。

 

「わかりました。ここで頭を冷やしていただくために一旦休憩を取りましょう。十分です、十分後にまた来ます。お手洗いの際はお手数ですが申し出てください」
『ガタッ』
 そういうと二人の刑事は取調室を後にした。

 

 

「……」
 虚空を見詰めたままのミウ。

 

(私は正しいはず!けど、けど…)
 彼女の脳の中で様々な思いが蠢いている。

 

(あの刑事の言うことが本当なのかしら?)
『ピキンッ!』
 ミウの脳内の奥深くで何かが弾けた音がする。

 

「アァッ!」
 突然何事かを思い出したのだろう、ミウの眼に生気が戻り、思わず声を発した。

 

(私は今まで人が変わってしまったのはジョウジだと思い込んでいた。けど、それこそが間違いだったんだわ!)

 

『ピキンッ!』
 脳内音は止まない。

 

(性格が変わったのは私…)
 生気を帯びたミウの表情がたちまち醜く歪み出した。

 

(旅行で『血の雨』を浴びたのは私だったんだわ!)
『ピキンッ!』

 

(卯美姫は私、すなわちミウそのもの!)
 彼女の思考は世にも恐ろしい方向へと発展する。
 ミウが『血の雨』に打たれたということも彼女の想像の範疇でしかないのに。
 それが真実であるという保証はどこにもない。

 

(ならばここだって簡単に出られるはず)
 しかしながら、ミウの自我はどんどん肥大化していく。
 彼女にとっての正義や正論は彼女の脳内の産物でしかない。

 


 けれどもそれは全ての人間に言えることなのではないだろうか?

 

 

 この世で一番恐ろしいもの。
 それは…?

 

 

(私こそが人間を超える魔女だったんだわ!)

 

 

 

 

 

 

~未完~

 

 

*この物語はフィクションです。

 

 

Copyright (C) 2009 by drivemycar All Rights Reserved

 

 

 

「久しぶりねジョウジ…」
「何だと!?」
 懐かしい呼び名が懐かしい声によって聞こえてきた。
 クローゼットの中にいたのは死んだはずの楡井ミウだった。

 

 

「生きていたとはな…」
 驚きを隠さずにシゲル、いやジョウジが沈黙を破った。

 


「棺桶の中から甦ったわ。」
 薄い笑みを湛えてミウが返す。

 

 五年という歳月は人を変えるのに十分だ。
 かつての快活さや明るさが消え失せていた。
 それでもミウの美しさだけは変わっていなかった。
 大人びたことでより美しさが際立っていた。

 

「よく俺がジョウジだとわかったな。」
 あっさりと正体を認めるジョウジ。
 その獣のような表情の奥底に幾許か人間らしさが少し覗いている。

 

「愛した男のことくらいわかるわ。顔形の違いなんか問題じゃない。」
 ミウの右手には手製の銛のようなものが握られている。
 これでジョウジを狙ったのだ。

 

「五年間ずっと私は貴方を見つけて殺すためにだけ生きてきたのよ。」
「復讐のためかい?自分と親を蹂躙した俺への…」
「それもあるわ。けど、一番の理由はそこじゃない。」
「ほう?」

 

「貴方を生かしておくわけにはいかないの!貴方はもう人間じゃないから。あの旅行で何が貴方の身に起きたのか今でもわからないし、知りたいとも思わない。けど…」
「けど!?」

 

「貴方が暗躍し続けることで人が不幸になる。これ以上私のような人を増やしたくないのよ!」
「相変わらず優しいというか、ヒューマニストなんだな」
「貴方も相変わらず鬼畜ね。」
 二人のやり取りには棘もあったが、どこか再会を喜んでいるような、会話を楽しんでいる様子も見受けられた。

 

 

「なぁ…」
 男が落ち着いた口調で話しかける。
「ん…?」
 男を正面に見据えていた女が応える。


 

「俺たちってさ、こうなる運命だったのかなぁ?」
「うーん、わからないわ。でも、今ここにこうして二人でいるってことはもしかしたらそうなんじゃないかしら。」


「そうか、やっぱり運命だったんだ。」
「こういう話、前にもしなかった?」
「覚えてないなぁ…」
「したわ、確かベッドの上だった。」
「よくそんなこと覚えてるな。」
「”デ・ジャ・ヴ”ってことよ。」
「なるほど、ちょっと意味が違うような気もするけど、考えてみれば”デ・ジャ・ヴ”かもな。」
「私たちがまたどこかで逢うことがあれば今日みたいに話すと思うわよ、きっと!」
「そうかもしれない。どこか、別の世界で君と逢ったとしても…」

 

 

 こうした会話がおよそ似つかわしくない状況下でミウとジョウジは話し続けた。

 


(この時間がもっと長く続けば良いのに…)
 二人は偶然にも極限の状況下でそんなことを考えていた。

 

 だが、物事には必ず終わりが訪れるものだ。

 

 

 

 

~つづく~

 

 

*この物語はフィクションです。

 

 

Copyright (C) 2009 by drivemycar All Rights Reserved

 

 

 

 それから五年後。
 新宿を拠点に暗躍する地下組織、所謂マフィアの中で急速に力を付けている集団があった。

 

 『樫山(かしやま)興業』は日本のどこの暴力団にも属さない愚連隊的集団である。
 リーダーである樫山シゲルに惹かれる構成員が集まり、麻薬密売、売春といったものから果ては人身売買や殺人請負に至るまで他の暴力団が尻込みする犯罪をやってのける狂犬どもの集まりだ。

 

 シゲルは若干三十歳未満(誰も彼の実年齢を知らない)という若さでありながら男を惹きつける強烈なカリスマ性と、女を虜にする異様なフェロモンを兼ね備えていた。
 彼は喧嘩が滅法強く、抗争相手を素手であっさり片付けてしまうほどのステゴロだった。
 何よりも彼はその眼力で目の前に立つものを平伏させてしまう超能力にも似た力を持っているのだ。

 

 こうして人数こそ十数人と少ないが、地下組織の中で確固たる地位を築き上げている。
 噂のレベルに過ぎないが、ここ五年間で若い女性が次々と誘拐される事件が頻発しているが、その犯人はシゲルなのではといわれている。

 

 シゲルのフェロモンに吸い寄せられた女性はさんざん弄ばれた末に売春婦に身を堕しているという。
 その臓器を闇で売買されることもあるという。
 そして、シゲル自身が女性の肉体を食べているのではないかという話までもがまことしとやかに囁かれたりもしている。

 

 最近では犯罪行為を見逃してもらうべく警察や代議士らと癒着しているとのことだ。
 混迷の度を深める日本社会は樫山興業が生きていくのにピッタリの場所なのであろう。

 

 今夜もシゲルは悪の限りを尽くす。

 

「馬鹿野郎!そんな安い金額で売るほど今回のハッパは質が悪くないぜ!」
 深夜の首都高速。

 赤いアウディの後部座敷にて携帯電話で怒鳴っているシゲル。
 そのあまりの怒気に運転手をはじめとする子分達も怖さで小刻みに震えていた。

 

「一億だ、一億!ビタ一文まけないぞ!さもなけりゃてめぇら全員切り刻んで富士の樹海に生ゴミとして捨ててやるからな!わかったな!」
 散々怒鳴り倒して、シゲルはさっさと電話を切ってしまった。

 

「フゥーッ、人間どもが…!」
 今度は抑揚のある口調で呟く。
『ガクブル…』
 余計怖くなってしまう子分達であった。

 

「おい、Kホテルで降ろせ。」
 それだけ言うと今度はブンと無口になってしまうシゲル。
『ウィン』
 車の窓を開けて空を見やると満月だった。

 

 

 都内有数のシティホテルであるKホテルはシゲルの定宿となっていた。
 シゲルには当然住まいである高級マンションもあるのだが、そこに足を踏み入れた者は誰一人としていなかった。

 

 一度冗談めかしてシゲルの子分とその彼女が忍び込もうとしたことがあったのだが、シゲルに見つかってしまい惨殺され、東京湾の藻屑となってしまった。

 

『シュンッ』
 エレベーターを颯爽と降り、自分の部屋へと向かうシゲル。
『カチッ』
 カードキーでドアを開け、無言で入って行く。

 

「マリコ。帰ったぞ、マリコ!」
 いつもなら愛人の杉山マリコがバスローブ姿で誘惑せんと待ち構えている。
 しかし、今日に限ってマリコの姿はリヴィングスペースにはなかった。

 

「何だよ、キメて寝ちまったのか?」
『ガチャッ』
 乱暴に寝室のドアを開ける。

 

「…」
 しかし、そこにもマリコの姿はなかった。

 

「ふむ、何処行きやがったんだ?」
 シゲルの苛立ちは結構なところまで来ていた。
 リヴィングと寝室にいなければバスルームしか後は考えられない。
 だが、バスルームの灯りは消えている。

 

『ガチャッ、パッ!』
 鍵はかかっていない。
 扉を開け、灯りを点ける。

 

「ウワッ!」
 滅多に驚きの表情など見せないシゲルが思わず声を上げた。

 

「マリコ…」
 マリコが全裸で死んでいた。
 バスタブに窮屈そうに身体を押し込められて。

 

 背中を鋭利な刃物のようなもので一突きにされていた。
 バスタブに水は張られてなく、代わりにマリコが流した血で彼女自身がヒタヒタに浸されていた。

 

「ウーム…」
 普段狼狽することのないシゲルの顔に困惑が表れている。
 鉄っぽい血の臭いがバスルーム内に充満している。

 

「まぁ、いずれ食うつもりだったからこれは良しとして…一体誰に殺されたんだ?」
 異常な思考回路で物事を考えるシゲル。

 

『バタムッ!』
 シゲルは乱暴にバスルームのドアを閉め、リヴィングへと戻ってきた。

 

「…」
 マリコを惨殺した人間がまだこの部屋に潜んでいるかもしれない。
 そう考えて彼は神経を研ぎ澄ませた。

 

『タッ』
 再び寝室へと歩を進めるシゲル。
 灯りを点けしげしげと周囲を観察した。

「ヘタクソめがっ!」
 争った形跡があるクローゼットに気付いた。
『グイッ!』
 一気に扉を開けた。

 

 

『シュウッ!』
 物凄いスピードで何かが飛んできた。
「クッ…!」
『シパッ!』
 咄嗟に身をかわすシゲルだったが、何かが頬を翳めた。
 自分の皮膚が裂ける音を聞いて逆に高揚感を覚えている自分がいる。

 

「誰だっ!?」
 短時間にしてここまで自分を追い詰める賊の存在を問い質した。

 

 

 

~つづく~

 

 

*この物語はフィクションです。

 

 

Copyright (C) 2009 by drivemycar All Rights Reserved

 

 

 

「何だよ!彼氏が帰ってきたってのにその驚きようは?」
 そこに立っていたのはジョウジだった。

 

 彼は何故かドアを半開きにしたまま半身の体勢になっていた。
「いや、ジョウジならいつも鍵でドアを開けるから。」
「それなら何でドアを開ける時”遅いじゃない!”なんて言ったんだい?」
「あっ…」

 

 ミウはそこで初めて自分が重大な間違いをしてしまったと確信した。
 明らかにジョウジは自分のことを疑っている。
(もしかして私が浮気でもしてると思ってる?それとも…?)
 ミウの頭の中で物凄いスピードで試行が渦巻いていく。

 

「当ててみようか、ミウ。」
 そう言って薄ら笑いを浮かべるジョウジ。
 その下卑た目線、醜く曲がった口をしげしげと眺めるミウ。
 これまで見せたことのない気味の悪い表情にミウの背筋が凍りついた。

 

「ミウは旅行以来俺の性格が変わってしまったと思っているだろ?確かにそれまでの俺はどっちかって言うと内気で優しい人間だったからな。」
「…」
 ミウは蛇に睨まれたカエルのように身をすくめている。

 

「変わったんじゃないんだ!俺はな、人間を超えたんだよミウ!」
「ジョウジ、何言ってるのよ?さっぱりわかんないよ…」
 ミウの目から涙が溢れ出てきた。

 

「人のことを思いやったりとか、気を遣ったりするのが人間社会のルールだろ?そういう煩わしいことから俺は解き放たれたんだよ!そして俺は人間を超える存在として君臨するんだ!」
「ウッ、ウッ、ウッ」
 およそ正気とは思えないジョウジの告白にミウは嗚咽を漏らす。

 

「けど、ミウはそんな俺のことを元に戻そうと考えている。だから親を助っ人としてここに呼ぶなんて行動に出たんだね。」
「!!」
 自分の行動が完全に読まれていたことに驚くミウ。

 

「知ってたの?じゃあ…」
 新たな疑問が恐怖とともに涌いてきた。
「俺が頂点に君臨すること、それは誰にも邪魔なんかさせない!たとえ愛している君にもねっ!」

 

『ズゥサァ!』
 そう大声で捲くし立てるとジョウジはドアを全開にして半身で隠れていた左手を出した。
 そこには何かが握られている。
 二つの巨大なスイカのように最初は見えた。

 

「キャアァァァァァーッ!」
 物体を認めた瞬間、ミウの嗚咽が絶叫へと変わった。
 ジョウジが持っていたのはミウの両親の生首だったからだ。

 

『ズサッ!』
 立っていることができずに床に突っ伏してしまうミウ。
 生首の底からは夥しい量の血が滴っていて、瞬く間に玄関先に血だまりができた。
 狂ったジョウジは二つの生首の髪の毛を持っていて、ジョウジが動く度に哀れな両親はゴツゴツと鈍い音を立ててぶつかり合っている。

 

「アァァァァァァァーッ!」
 喉もちぎれんばかりのミウの絶叫が周囲にこだまする。

 

「俺の邪魔は誰にもさせないって言ったろ。邪魔者は消すんだよ、こんな具合に!」
「フンッ!」
 ジョウジはそう吐き捨てると、まるで砲丸投げでもするかのように両親の生首を部屋の中に放り投げた。

 

『ビュンッ…グガチャァッ!』
 哀れな二つの生首は壁に凄い勢いで激突して、そのまま床に転がった。
 二つともカッと目が見開かれており、だらしなく開いた口元に象徴されるその表情には今上への無念が見て取れた。

 

「アギャッ、アギャアァァァァァァーッ!」
 ミウの絶叫がピークに達した瞬間、
「苦しいよな、楽にしてやるぜ!」
 懐からダイバーナイフのような刃物を取り出したジョウジ。
 そして、
『グッシュウウウゥ!』
 床に伏しているミウの背中を一突きにした。
「ガボッ…!」
 ミウの口から血が溢れる。
 喉を血の味が逆流して広がり、噎せ返った。

 

(ジョウ…ジ…!)
 自分を裏切った男の名前が彼女の最後の思考だったのか。
『バタッ!』
 程なくして倒れ込むミウ。
 全く身動きしないことから絶命したのだろう。

 

「ケッ、ヒャハハハハハハハ!」
 まだ温もっている恋人の亡骸を見詰めているうちにジョウジの歪んだ口元から喚起の笑い声が発せられた。

 

「ヒャハハハハハハアッハハハハハァッ!」
 もはやその表情はジョウジ本来のものではなく、悪鬼としか形容できないほど残忍なものであった。

 

 

 翌日、楠木ジョウジは楡井ミウ、そして彼女の両親を殺害した容疑者として全国に指名手配された。
 当然のことながら勤務先の間旺食品株式会社も解雇された。
 しかし、ジョウジは手がかりひとつ残すことなく忽然と姿を消してしまった。
 この猟奇的な殺人事件は新聞やワイドショーを賑わせ、犯人が捕まっていないことから世間的にも注目の的となったが、物事が風化していくのは人の世の常。

 

 やがて何もかもが綺麗に忘れ去られた。

 

 

 

 

 

 

~つづく~

 

 

*この物語はフィクションです。

 

 

Copyright (C) 2009 by drivemycar All Rights Reserved

 

 

 

 ミウが危惧していた通り、旅行から帰って以来一月間にジョウジはすっかり人が変わってしまった。
 会社内において、今までのジョウジは前に出過ぎることを良しとせずに常に周りの営業と協調し合い仕事をしていた。
 つまり潤滑油のような役割を果たしていたのだ。

 

 それが旅行以降我先に行動するようになった。
 その積極性は営業としては大きな武器になるものであったのだが、度が過ぎてスタンドプレーに走ることが多くなったのだ。
 他の社員の担当業者であろうが、エリアであろうが平気で荒らした。

 

 また、顧客に対しても高圧的な態度に出ることが多くなり、売り上げは上げるも顧客からは嫌われる存在となった。
 会社の業績に貢献しているとはいえあまりに度を越したその行動に営業部長が注意をした時も、
「”営業は成績が全て”と仰ったのは部長、アンタじゃないですかっ!」
と食って掛かり、顰蹙を買った。

 

 今やジョウジは社外はおろか社内の要注意人物としてマークされていた。
 プライベートにおいても例外ではなかった。
 表立ってミウに暴力を振るったり、大声を出したりということはなかったが、ミウの提案をほとんど聞かずに自分の意見を押し通すようになった。
 ミウが何か言おうものなら頑として拒絶した。

 

 また、元来博愛主義者で動物などもその範疇内としてこよなく愛していたジョウジだったが、最近は外を歩いている時に散歩している犬を見ると露骨に顔をしかめるようになったし、ひどい時には吠える犬を足蹴にして飼い主とトラブルを起こすこともしばしばあった。
 更には部屋に侵入してきた昆虫や蜘蛛といった虫類も以前は捕まえて外に逃がしていたのに、平気で殺すようになっていた。

 

 ミウはそんなジョウジの豹変に心を痛め恐怖すら感じていたが、彼と別れようとは決して思わなかった。
 むしろ自分がジョウジを元に戻すのだという使命感に似た感覚が今のミウを支えていた。
 だが、意識とは逆になかなか行動に出られないでいるミウがいた。
 理由はわからなかった。

 

 

 そんなある休日の深夜、二人の住むアパートにて。
「ウーン…」
 眠っていたミウはあまり良い夢を見ていなかったようで、若干苦しげな表情で目を覚ました。
「あれ!?」
 傍らにジョウジの姿がないことを認めるミウ。

 

「ん?」
 キッチンの方から光が漏れている。
 そこにジョウジがいることは瞭然だ。

 

『スゥーッ』
 ミウはゆっくりと起き上がり静かに、極めて静かに歩を進めた。
「キィ』
 そしてドアを少しだけ開ける。

 

「ハッ!?」
 そこに飛び込んできた光景は異様なものであった。
「ギシギシ、ギシギシッ!」
 ジョウジが包丁で何かを切っていた。
 肉を切る音に混じり、骨を切る音がミウの神経に障った。

 

「ヒッ!」
 どこで捕まえてきたのだろう?
 彼が切り刻んでいたのは、はっきりとは確認できないが犬か猫のような動物に見えた。
「ギシギシッ!」
 既に動物は絶命していたが、それまで生きていたことを証明するかのように切り離された各部分から液体、つまり血が滴っているの見て取れた。

 

「ウゲッ!」
 すえた血の臭いのせいだろうか、ミウは強烈な吐き気を催し、その場を離れた。
『ズサッ!』
 そしてそのままベッドにうつ伏せに倒れた。
「ググンッ、ググンッ!」
 ミウの身体を猛烈な動悸が襲う。

「ジョウジ、どうしちゃったのよ?」
 ミウの目から涙が溢れる。
「ウッウッウッ…」
 胸が詰まるほどの悪寒を止めることが出来ずにミウは泣き続けた。

 

『ギシギシ、カタンッ!』
 まるで自分が見られていることに気付いていたかのようにジョウジは包丁を動かす手を止め舌なめずりを一つした。

 

 

 翌日の日中、昼休みの時間帯。

 


「…」
 ミウは同僚女子社員からの食事の誘いを断り、独り公園のベンチに座って考え事をしていた。
 昨夜の出来事がまだ自分の中で生々しいものであったことで食欲が全く湧かず、ひたすらそのことについてのみ意識を張り巡らせていたのだ。
 ミウ自身自覚するところではなかったが、ジョウジの性格が変化して以来彼女の精神は安らかになることがなく、それは青褪めた顔色、落ち窪んだ瞳、こけた頬に現れていた。

 

(ジョウジ。あそこで一体何が起こったの?)
 ミウはジョウジが失神し、助けを呼びに行った時のことを思い出していた。
 あの時その場を離れたことを激しく後悔している。
「フゥーッ」
 何とかして元のジョウジに戻って欲しいとずっと思案していたが、明確な解決策が浮かばず、思い悩む日々が続いていた。

 

 一番手っ取り早く確実な方法はジョウジを病院へ連れて行くことであると結論は既に出ている。
 しかし、今の攻撃的な性格の彼にその提案をすれば無下に断られるばかりでなく、その後の自分の身の安全も保障されないだろうとミウは恐れた。
 けれども、昨夜の異常な行動を見るにつけ事態は一刻を争っている。

 

 

「話そう。」
 ミウは自分の意志を小さい声ではあったが確実に口にした。
「何をだい?」
 不意に声が聞こえた。
「ヒィッ!?」
 声の主はジョウジだった。

 

「ジョ、ジョウジ!急にどうしたのよ?びっくりしたじゃない!」
 ミウの心臓が早鐘を打っている。
「驚かせてごめん。けど、俺はもう何分も前から君の目の前に立ってたんだぜ」
「エッ?あ、そう、そうだったの。こっちこそごめんね。ちょっと経理課のひとみから厄介な恋愛話持ちかけられちゃってさ。それで考えに集中してたの。」
 ミウはジョウジに気取られないように必死に場を取り繕った。

 

「そうなんだ。」
『ゾクッ!』
 言葉とは裏腹にそれを見透かすようなジョウジの冷たい表情と視線にミウはまたひとつ戦慄を覚えた。

 

 

 その日の夜、二人の住むアパート。
 時計の針はもう十一時になろうとしていた。
「遅いな、どうしたんだろ?」
 いつもなら遅くとも十時過ぎには帰宅するジョウジのことも心配だったが、ミウには別の心配事もあった。

 

 ジョウジを病院へ連れて行くことに実家の両親に協力を仰いだのだ。
 娘のただならぬ様子に両親は願いを聞き入れアパートへと向かっている。
 しかしながら、実家を出るという連絡があったのが七時半頃。
 3時間以上も時間が経っている。
 さっきから何度も二人の携帯に電話を入れているが、どちらの電話も留守電のまま。

 

(いくらなんでもおかしい…何かあったのかしら?)
 不安に思ったミウは警察に相談しようとテーブルの上に置いてある携帯を取ろうとした。
「ピンポーン!」
 まさにそのタイミングでインターホンが鳴った。

 

「あっ、はーいっ!」
 両親が到着したと思い、ミウは受話器を取らずに玄関へと赴いた。
「もう、遅いじゃない!今電話しようと思ったんだから!」
『ガチャッ!』
 

 

 ミウがドアを開けると、
「ギャッ…!」
 思わず声を上げてしまった。

 

 

 

 

 

 

~つづく~

 

 

*この物語はフィクションです。

 

 

Copyright (C) 2009 by drivemycar All Rights Reserved


 

 

「わぁ…」
 全てを読み終えたミウは恐怖と気持ち悪さですっかり落ち込んでしまった。
「こ、こんな怪物、実在したんて信じられないわ!」
と、あえて大きな声を発したりもした。

 

 それでも彼女の恐怖が完全に消えることはなかった。
 魔女伝説が架空のおとぎばなしと断言することもできない。
 それだけこの物語は荒唐無稽さとリアリティが奇妙な同居を見せていたからだ。

 


「ねぇ、ジョウジもそう思ったでしょ?」
いたたまれなくなったミウは傍らにいた恋人に声をかける。

 


「ジョウジ…?」
 ここでミウは改めてジョウジの異変を認めた。
 最初は自分と同じで怖がっているだけなのだと思っていたのだが、それだけで説明がつかないくらい彼は激しく震えていた。

 

『ブルブルブルブル!』
『ガチガチガチガチ!』
 身体の震えばかりではなく歯まで鳴っている。
 そして何よりも彼は目を開いていない。

 

「キャアッ!」
 ただ事ではない事態にミウは狼狽し、身を硬くした。
 慌ててジョウジの身体を揺さぶってみる。

 

『ガクガク…』
 いくら強く揺さぶっても彼は返事をしない。
「ジョウジ!ねぇ、ジョウジってば!大丈夫なの?」
 意識を確認する声も自然と大きくなる。
 しかし、無常にもジョウジから応答は一切無い。
 目を開こうとすらしない。
 恐怖で気持ちが萎縮しそうなミウであったが、身体が震えていることで逆に彼が生きていることは冷静に判断できた。

 

「そうだ、誰か助けを呼ばないと。」
と、石碑の周囲を見渡すミウ。
「…!」
 しかし、何故かどの方角を見ても視界に人っ子一人見つけることが出来なかった。
「何でよぉっ?」
 苛立ちを声にするミウであったが、事態は一刻を争うことを承知していた。

 

『スクッ!』
 まずミウは身に着けていたスカーフを外し、敷き布団の代わりに地面に置いた。
 そして、震えに震えているジョウジをゆっくりとその場へ寝かせた。
 それは女性にとって力のいる行動であった。

 

「よしっ!」
『タタタッ…!』
 そこから今まで走ったことのないようなスピードで助けを求めに行った。
 ミウがいなくなった石碑前では更なる異変が起きようとしていた。

 

『ボビュボビュボビュ…』
 石碑から異様な音が聞こえてきた。
 それはこの世では聞いたことのない様な物音であった。

 

『ボビュボビュボビュ!』
 音はより大きくなり、
『ボビュウッ!』
一旦止まった。

 

 すると、
『ジェシャアアアアアアァァァッ!』
 石碑から真っ赤な気体が立ち昇った。
 それはユラユラと陽炎のように上がったかと思うと、
『ジャーッ!』
一気に無数の水滴となり上昇した。
 雨が逆に降るような実際には存在することのない恐るべき光景であった。

 

『ムウン…』
 上昇した赤い水滴群はジョウジの頭上約3mの所で赤い雲として浮かんでいる。
『ドッジャアアアアァァァァッ…!』
 そして、赤い雨となって一気にジョウジの身体に降り注いだ。
『ザブザブザブ…』
 ジョウジの身体がみるみるうちに赤い液体で覆われた。
 その光景はおぞましくもジョウジが血塗れになっているように見える。

 

『ジュブジュブジュブ…』
 ジョウジの身体を浸していた赤い液体が今度は身体に染み込んでいく。
『ジュブジュブ…シュウッ…!』
 あっという間に染み込み、ジョウジは元の状態に戻った。
 あれだけ酷かった身体の震えはもう治まっていた。
 しかしながら、意識は回復していない。

 

 すると、また異変が起きた。
『グワアァァァァァァァッ!』
 今度は石碑が地鳴りを上げたのだ。
『フワッ!』
 間もなく石碑はその巨大さにも拘らずあっさりと宙に浮いた。
『スゥー』
 赤い水滴と同じようにジョウジの頭上まで移動する。
 石碑の周りには黒い靄のようなものが発生している。

 

『ギュワリギュワリギュワリ…!』
 石碑からはまるでそれが生き物であるかのような不気味な音が聞こえている。
 それはもの凄く大きな音量となって高原全体に鳴り響く。
 それでもジョウジはピクリともしないで横たわっている。

 

 数十秒ほど石碑は浮遊していただろうか。
 刹那に、
『ボッガアアアアアアァァァンッ!』
石碑は爆発でも起こしたかの如く四散した。
『ブチブチブチブチブチィッ!』
 石の飛礫は全てがジョウジの身体めがけて飛んでいく。
 そして、彼の身体にめり込んでいった。
 

 

 何千、いや何万という飛礫がめり込んでいく。
 しかし、不思議なことにジョウジの身体からは一滴の血も流れない。
 それどころか傷さえ確認することができない。
 あれだけの石飛礫が彼を襲ったというのに。
 

 

 異変はこれだけでは終わらなかった。
『ビバァァァァァァァァッ…!』
 石碑が建っていた地点から突如光が発せられた。
 その光は先般の靄と似ており、どす黒いものであった。
 光が消えた後には、
『ズンッ!』
あろうことかまた石碑が建っていた。
 さっき砕け散ったものと寸分違わぬものだ。

 


『パッ!』
 ここまでの出来事が終わった途端にジョウジが目を覚ました。
 うすぼんやりとした表情で辺りを見回す。
「俺…?」
 自分が何処にいるのかを把握していない様子である。
「あっ、旅行…魔女……」
 次第に記憶が呼び覚まされているようだ。
 断片的であるが、現状を確認している感じのジョウジ。

 

「ミウ…ミ……ど…こ…だ…?」
 ここでようやくジョウジは恋人が側にいないことに気がついた。
『ガバァッ!』
 慌てて起き上がろうとするジョウジだったが、
「ウッ!」
激しい立ち眩みですぐに立ち上がることができなかった。
「ミウ……何処へ…行った……?」
 猛烈な寂しさに見舞われるジョウジだった。
 しかし、そんな暗い気持ちもすぐに消されることとなった。

 

 

「こっちです!早くっ!」
 彼方から耳に慣れた愛しい人の声が聞こえてきたからだ。
「ミウ!」
 まだだるさで自由に動かない身体を必死になって意中にしようとするジョウジ」
「あぁっ、良かった!ジョウジ気が付いたのね!」
 ジョウジの様子を認められる地点まで来たミウは喜びで声を上ずらせた。
「ミウ…」
 ミウの後ろには石碑を管理している施設の人間と思しき男が二人いた。
 彼女が自分を助けるために人を呼んできてくれた事実をジョウジはようやくここで理解した。

 

 

「もしもし、あなた大丈夫ですか?」
 男の一人が心配そうにジョウジの顔を覗き込む。
「えぇ、ウッ!」
『ブチンッ!』
 すると、どういうわけか大丈夫であると受け答えをしようとしたジョウジ頭の中で何かが弾けた。

 


(何だ…この…感覚は……?)
 下を向き考え込むジョウジ。
 明らかに体調が悪そうに見える。

「ジョウジ?どうしたの?やっぱりどこか具合でも…」
『スッ』
「えっ!?」
 恋人を心配して駆け寄ってきたミウをジョウジは右手で制した。
「ジョウジ?」
 困惑するミウをよそにジョウジはピョンと飛び起きた。

「おぉっ!?」
 その様を見て施設の男たちが頓狂な声を上げる。
「お騒がせしてすいませんでした。」
「ジョ…」
 ミウはジョウジが自分の想定範囲よりも元気であることを悟り嬉しい気持ちでいっぱいだったが、何故自分が制せられたかということに一抹の不安を覚えていた。

 

「実は僕、こういう怖いスポットに来て舞い上がっちゃって、大好きな彼女をちょっと困らせてやろうと失神したフリをしていたんですよ。」
「はぁ?」
「そうしたらいつの間にか寝入っちゃったんです。仕事の疲れが溜まっていたんでしょうね。」
「ちょ、ジョウジったら。」
『サッ』
 ミウの横槍を制するジョウジ。

 

「とにかくイタズラが過ぎてしまったことはお詫びいたしますので、どうかここはお引取りください。」
「そうですか。人騒がせなことは止めていただきたいものですね!」
「本当ですよ!今後気をつけてくださいね!」
 呆れた様子で通り一片の説教言葉を残し、職員たちは帰って行った。

 

「ジョウジ、あなた…」
 納得がいかないミウは声を荒げる。
「大丈夫だ。ゴメンよ」
 それに対しジョウジは落ち着き払って応える。
 謝罪こそしているが、有無を言わさぬ威圧感がそこにはあった。
『ブルッ!』
 ミウはジョウジの態度に何故か悪寒を覚えた。

 

 その日の夜。
「スゥーッ、スゥーッ…」
 ミウたちが泊まっているホテルの部屋。
 自分の腕枕で愛しい恋人ミウが可愛らしい寝息を立てて眠っている。
 その横顔をジョウジはジッと見詰めていた。

 

「グッ!」
 すると突然ジョウジは頭を抱えて呻き出した。
「ムムムッ!」
 相当痛むようで頭を抱えたままベッドに蹲ってしまった。
「ムムムッ!」
 それでも隣で寝ているミウに悟られないように枕に顔を埋めて痛みを堪えるジョウジであった。

 

(ジョウジ…)
 ミウはこの時点でジョウジの異変に気付いていた。
 しかしながら彼女にはどうすることもできなかった。

 

 

 

~つづく~

 

 

*この物語はフィクションです。

 

 

Copyright (C) 2009 by drivemycar All Rights Reserved

 

 

 

「なぁ、ミウ…」
「ん?」
「ホントに旅行ここで良かったのかな?」
「うん、もちろん!ジョウジが行きたい所へ行くって最初から決めてるって言ったじゃない。」

 

 

「でもさ。」
「でも、何?」
「せっかくミウを連れて来たのがこんなホラーっぽいツアーで。」
「気にしないで。びっくりしなかったと言えば嘘になるけど。」
「うん?」
「ジョウジが今まで見せたことのない顔を私の前に見せてくれて嬉しいんだ!」
「ミウ…」
「だからジョウジもそんなこと思わずに思い切り旅を楽しもうよ!」
「ありがとう!」
 礼を言われたミウはジョウジに思い切り抱きついた。

 

 

「ワッ!おいおい、くすぐったいよ!」
 ジョウジの胸に顔を埋めたミウはそのまま頭をグリグリと振った。
 ミウが上機嫌の時にする仕草だ。
 ミウの美しい黒髪が動く度にジョウジの顎の辺りを撫ぜる。

「ジョウジ、大好き!」
 顔を埋めたままのくぐもった声でミウが愛情の言葉を口にする。
「ミウ!」

 

 二人はツアーの宿泊宿であるシティホテルの一室にチェックインした直後だった。
 ”魔女伝説探訪ツアー”の目的地は東京から車で高速道路を使い約三時間程北へ走った某県の山間部に位置していた。
 ツアーとはいえども国内であるし、あまり人気のあるものではなかったと見受けられ、添乗員はおろか同行する客もいなかったのだ。
 従って旅行会社が用立ててくれたのは宿と周辺施設のチケットくらいだった。

 

 

 だが、二人きりの時間を過ごしたいと考えていたジョウジとミウにとってこの不人気ぶりはもっけの幸いであった。
 二人はレンタカーを借り、時間を忘れて気ままな移動を楽しんだ。
 車の運転は全てジョウジが行った。
 途中で休憩を入れたりなどして来たので肝心の観光は明日回しになっている。

 

 

「アァッ…」
 ミウも観光のことを忘れ、ジョウジの愛撫に身体を任せていた。
 甘美なまどろみの中でミウは確かな幸せを感じた。
 それはジョウジも同じだ。

 ”好事、魔多し”という言葉の意味を後で二人は、特にミウは嫌と言うほど思い知らされることを絶頂の中ではわかろうはずもなかった。

 

 

 翌日。
 ミウとジョウジは魔女伝説を裏付けるものといわれる”魔女の墓標”という石碑の前に来ていた。

 墓標は山間部にある小高い高原にあった。
 この高原、伝説のせいか緑が生い茂っている割にはどことなくうら寂しく、不気味な雰囲気を漂わせている。

 

 石碑は高さこそさほどでもないが、横幅がかなりあり、およそ三メートルはあろうかと思われた。
 石碑には“魔女伝説”についての解説が事細かに書かれているから、その幅であった。

 

 その内容はそれが実話であるとすれば非常にショッキングなものである。
 古来より“魔女”という存在というか概念のない日本において何故このような言い伝えが残ったのだろうか?

 

 そこに書いてある文面を二人は食い入るように読み始めた。
 すると、そこ書いてあったことは所謂西洋的概念による悪魔狩りや異教徒狩りの中で発生したものでもなければ、やはり西洋的物語の中に出てくるステロタイプなモンスターとしての魔女ではなかったのだ。

 

 

【ここに眠る魔女は、人間の進化の過程において生まれた突然変異的存在か、もしくは人間ではない化物であろう。太平の世が続いた江戸時代中期に彼女はこの地で生を受けた。いや、出現した。】

 

 

【とある石高三百石の武家の長女として生まれた卯美姫(うみひめ)は際立った美貌の持ち主として城下の下々にまで知られていた。性格も穏やかで、優しく、慈悲深くどのような身分の者にも老若男女を問わず慕われていたのだった。】

 

 

【十四の歳を迎えた卯美姫は隣領の五百石武家の長男の許へ嫁いでいった。それを境に姫は変貌した。夫は姫より四つ年上で、彼女に輪をかけて優しく、それでいて武芸にも長けたまさに理想的な存在であったが、それに反比例するかの如く卯美姫は悪い方向へ転がっていった。】

 

 

【まず何よりも顔つきが変わった。優しさの象徴であった大きく丸い瞳が、今は明らかに険が現れ、目つきもきつくなった。人々を癒していた視線が蛇のように睨みつけ、人を黙らせ、萎縮させるものになってしまった。】

 

 

【卯美姫の変異はそればかりではなかった。あろうことか彼女は獣の肉を食べるようになったのだ。それも当時食用とはされていなかった牛や豚の肉を生食でだ。魚も生きたまま食べていたという証言まであった。城内の者で姫が嬉々として生肉を喰らい、口を獣の血で汚している姿を見た者は枚挙にいとまがなかったほどである。】

 

 

「怖い!」
 ここまで一気に読み進めたミウは一旦石碑から目を離した。
 そしてジョウジに視線を移すと、
「…!」
 まるで他の事など意識に入ってこないかのように集中した状態で石碑の文章を読んでいた。
 その様子にミウは今まで彼に感じたことのない感覚を覚えた。
 それを忘れるかのようにミウは再び石碑の文章を読むことに没頭した。

 

 

【そのうちもっと奇妙な出来事が起こるようになった。卯美姫の夫が病床に伏したとのことで全く人前に姿を見せなくなったのだ。側近はもとより、彼の肉親である城主や母親である城主の妻でさえも会うことができなくなった。たった一人部屋に入ることができたのは卯美姫だけだ。姫以外立ち入り禁止のその部屋で何があったのかは想像の限りでしかないが、最終的にそこへ側近連中が無理矢理侵入した際に、彼らの視界に入ってきたものは布団に横たわっていた長男と思しき白骨体であった。】

 

 

【実に不思議であったのは、白骨の周りに一片の肉片も落ちていず、骨そのものにも全く肉らしきものがつていない、まるで刃物で綺麗に肉を削ぎ落としたような状態だったことである。白骨は綺麗な白色をしていた】

 

 

【また、息子の心配をあれだけしていたはずの城主も、どういうわけかそのことを口にしなくなり、そして或る日忽然と姿を消してしまった。城主の妻も同様であったが、彼女が失踪してしばらく経ってから、城を流れている川の下流で見るも無残な腐乱死体が発見され、どうやらそれが失踪した奥方であるらしいと城の御付医者が吐き気を堪えて診断したのだった。】

 

 

「ウプッ…」
 ミウは軽い吐き気を催した。
 それでもジョウジは相変わらず集中して文章を読んでいた。

 

【他にも城下にて男の子ばかりのかどわかしが発生したり、城の担い手である家臣の男、町の男たちといった連中が次々行方不明になった。その数は実に三十人余にも及ぶ有様だった。】

 

 

【さて、これらの異常で異様な事件は何故起こったのだろうか?突き詰めていくと卯美姫の変貌が原因、少なくとも遠因であることは想像に難くない。そう考えた城の者は捜査の手を彼女へと伸ばした。しかし、その頃には卯美姫は余人の手の届かない所へと行ってしまっていた。彼女は人間であって人間ではない禍々しい者へと化身してしまったのであった。】

 

 

『ブルルルル…』
 ジョウジが小刻みに身体を震わせていたことに残念ながらミウは気が付かなかった。

 

 

【卯美姫の顔つきに変化が生じたのと同時に、彼女の内面にも重大なる変化が起こっていたのだ。慈悲深さが影を潜め、替わって残虐性が表面に出てきた。彼女は部屋に迷い込んできたトンボや蝶といった虫を捕獲してはその体をバラバラにした。トンボの翅を毟って嬉しそうに微笑む姫を見て御付の女たちは戦慄した。またゴキカブリのような人が忌み嫌う害虫ですら平気で手掴みしてキーキー鳴いている様を確認しては楽しそうにその胴体を捥いだ。】

 

 

【果ては犬・猫といった愛すべき畜生をも捕らえてきては四肢を切り離したり、首を切り落とすなど、あとはここに記すのも憚られるほどの残虐な殺し方をして、まるで人に見せびらかすかのように外へ死骸を放り捨てた。】

 

 

 

【もはや心が人間ではなくなってしまった卯美姫は自分のことをいつしか“魔女”と呼ぶようになっていた。魔女はやがてその残虐行為の対象を人間へと求めるようになった。手始めに御付の茶坊主が餌食となった。立て続けに三人行方不明となったのだ。交替したものも全てだ。続いて家臣の者で二十歳代の若い男たちがやはり十人も行方不明になった。そして、ついに彼女がかつて愛した夫が亡き者となり、それを不審に思った城主夫妻も惨殺されたのであった。】

 

 

【魔女はどうやら男の肉を食料としていた節が見受けられる。それは発見された男たちの遺体が全て白骨化していたのに対して、唯一殺された奥方の遺体が腐乱していたことから導き出されたことだった。】

 

 

「ムゥ…」
 ミウは気分が悪くなっていくのを必死になって耐えた。

 


【やがて卯美姫、いや魔女は五百石の城下町だけでは飽き足らず、他の土地へ打って出たのだった。食欲も半端ではないが、権力志向も凄かったからだ。魔女は江戸を目指した。今では顔形もすっかり別人になってしまっていたが、それでもこの世に二人といない美貌を備えており、そこから発散される色香が男を惑わせる力を持っていた。すなわち“毒牙にかける”というものだ。】

 

 

【老若を問わずあらゆる身分の男が魔女の軍門に下り、彼女の食料として召された。男の肉を喰らうことで魔女の美しさはより磨きがかかっていった。その勢いで江戸城進出を企て、時の将軍徳川家治を殺し、喰らい、天下を奪わんと意気込んでいた。】

 

 

【しかしながら魔女の野望は意外なところで潰えた。かつて卯美姫だった時、夫に仕えていた忍びの者の手によって倒されたのだった。彼は主君の仇討ちを成就したのだ。このことでこの“魔女伝説”は大衆の知るところとなった。ただ、あれほど多くの男を惑わせてきた魔女が何故忍者の手に落ちたのかは今もって謎のままである…】

 

 

 

 

~つづく~

 

 

*この物語はフィクションです。

 

 

Copyright (C) 2009 by drivemycar All Rights Reserved

 

 

 

 

 楡井ミウは二十三歳。


 

 日本を代表する一部上場企業、間旺(まおう)食品株式会社の本社で受付の仕事をしている。
 新卒で入社したミウは快活な性格で、もともと営業志望であったのだが、どことなく小鹿を思わせるような愛らしい風貌が上層部の目に留まり、会社の窓口ともいえる受付に配属となった。

 当初は希望した部署に配属されなかったこともあって沈んだ日々を送っていたミウだったが、持ち前の明るさと会社で最初に来訪者と接するこの仕事にやりがいを覚え、三ヶ月もする頃には外部は当然のこと社内でも話題の的となっていた。

 

 

 一方の楠木ジョウジも二十三歳。

 

 ミウと同じ間旺食品株式会社本社内にある第一東京支店の営業社員である。
 彼もまた新卒で入社したが、企画志望のところ望み叶わず営業に配属となった。
 どちらかというと内向的であまり人付き合いが得意ではないジョウジにとって営業の仕事は非常に苦痛を感じるものであったが、その実直さが顧客に受け徐々に成績を上げていき、それに伴って仕事の楽しさを感じ始めていた三ヶ月目であった。

 

 

 ミウとジョウジは高校の頃からの知り合いで、大学に入ってから交際をスタートさせた。
 社会人になろうとしたこの三月にジョウジはミウの両親に挨拶をして、結婚の意志を伝えた。
 それはミウにも知らされていなかったことであり、ジョウジの想いを聞いた彼女は歓喜のあまりその場に泣き崩れてしまった。
 ミウの両親も戸惑いながらも若い二人の愛を祝福し、すぐの結婚こそ認めなかったが同棲を容認した。

 

 こうして二人は新生活を迎えるにあたり、一緒に暮らすこととなった。
 二人が同棲をしていることは会社の人間は誰一人知らない。
 ミウは実家から通っていることになっているからだ。
 それどころか二人が交際していることすら知らない者がほとんどであろう。
 それくらい細心の注意を払っている二人だった。

 

 別にミウもジョウジもやましいことをしているつもりはこれっぽっちもなかったし、隠し立てするつもりも毛頭なかったのだが、社会的通念のようなものに二人は囚われてしまっていたのかもしれない。
 ともあれ、二人が家にいる時以外に二人でいる空間というのは出勤時の電車の中だけであった。
 だから常にジョウジと一緒にいたい気持ちが強いミウにとって彼の朝寝坊はその貴重な機会を失う忌むべきことだったのだ。
 それはジョウジも自覚していることだった。
 しかし、このところ仕事が忙しく帰りもミウよりいつも2・3時間遅い日々が続いていた。
 その疲れのせいもあるが、ジョウジは朝寝坊以上に自分がミウのことを十分構ってやれていないのでは、という自責の念をこのところ抱いていた。

 

『シャカシャカ』

「これじゃダメだよなぁ。」
 ぞんざいに歯を磨きながら鏡の中の自分をぼんやりと眺めるジョウジだった。

 

 

 その日一日をジョウジはどこか上の空のような状態で過ごした。
 いや、上の空というよりも何かに没頭するが故の呆けとでもいうべき状態であった。
 彼は一つの提案を思いつき、それをミウに発表したくてウズウズしていたのだ。
 外回りをしていて客先に趣いた時でも心ここにあらずなのだった。

 

「フフン、フフフン♪」
 家路を急ぐ頃には自分の思いつきがミウとの時間を深めることができると確信し、普段はやらない鼻唄など唄っていた。

「フンフンフン♪」
『トントントントン』
 一方のミウは一足先に帰宅していた。
 偶然にもジョウジと同じく鼻唄を唄いながら包丁をリズミカルに操っていた。
 自家製の焼き豚を切っているところだった。
 側らでは味噌汁が入った鍋の蓋が沸騰するかしないかのタイミングでカタカタと音を立てていた。

 

 

 ミウ自身は行きと同様帰りもジョウジと一緒に帰りたいという願望を持っており、当然そのことは彼に伝えていた。
 しかし、ジョウジがそれを断ったのだ。
「俺の仕事はいつ終わるか約束できないからミウを何時間も待たせたくないんだ。」
 ジョウジの気遣いは痛いほど伝わってきた。
 だから自分の意見を引っ込めた。
 その代わりこうして必ず夕食を作ることで少しでも彼の役に立とうと決めたのだった。

 

「フンフフフン♪」
 鼻唄がよりリズミカルになる。
 何だかジョウジが素敵な知らせを持って帰ってきそうな気がしたからだ。
『ガチャガチャ!』
 ジョウジだ。
「おかえり!」
 ミウは素早く料理の手を休め、愛する男を迎えた。

 

「ウソッ、マジで…?」
 驚きの声を上げるミウ。
「ホントだよ。今度の週末二人で旅行へ行こう。」
 ジョウジはさっき言った言葉をもう一度優しくミウへ伝えた。
「二泊だと近場になっちゃうけど、何処か行きたい所選んでさ。」
 夕食を終え、ミウの手作りプリンを美味そうに口に運ぶジョウジ。
「アハッ、嬉しい!」
 ミウは慌てて立ち上がり、コーヒーがなくなりつつあるジョウジのためにサーバーを持って来ようとした。
 その目にうっすらと嬉し涙が光ったのをジョウジは見逃さなかったが、あえて何も言わずにプリンを食べることに没頭した。
「私のために金曜日有給まで取ってくれて。今営業課月末で追い込みでしょ?なのに…」
 滲んでくる涙を拭おうともせずにミウはコーヒーのおかわりをジョウジのティーカップに注いだ。
「いいんだって!仕事も大事だけどそれよりもミウの方が俺にとっては大事なんだ。気にしないで君も遊休取りなよ。」
「ウン、ありがとう。」
 ジョウジの想いを感じ、一層胸が熱くなるミウ。

 

「さて、これ食べたらどこへ行くか決めようぜ!」
 ジョウジがそう提案すると、
「アッ、私別に行きたい所ってないんだ。逆にジョウジが行きたい所に行ってみたいわ。」
と、モジモジしながら答えた。
 その様子を見てジョウジは改めてミウのことをいとおしいと思った。
「本当にいいの?」
「ウンッ!」
「それじゃ、俺が決めるね。」

 

『ブゥン』
 喜び勇んでジョウジはリビングの隅に置いてあるデスクトップのパソコンを起動させた。
「カタカタカタ…」
 パソコンが立ち上がった瞬間に、凄い速さで検索エンジンから情報を探り出す。

 

「俺さぁ、前からここに行きたいと思ってたんだよねぇ。」
「エッ?お、面白いかもね…」
 少し怪訝な表情を見せるミウ。

 

 何故ならパソコンに映った旅行会社のサイトには、
”魔女伝説探訪ツアー”
の文字が派手に踊っていたからだ。

 

 

 

~つづく~

 

 

*この物語はフィクションです。

 

 

Copyright (C) 2009 by drivemycar All Rights Reserved

 

 

 

「なぁ…」
 男が落ち着いた口調で話しかける。
「ん…?」
 男を正面に見据えていた女が応える。

 

「俺たちってさ、こうなる運命だったのかなぁ?」
「うーん、わからないわ。でも、今ここにこうして二人でいるってことはもしかしたらそうなんじゃないかしら。」

「そうか、やっぱり運命だったんだ。」
「こういう話、前にもしなかった?」
「覚えてないなぁ…」
「したわ、確かベッドの上だった。」
「よくそんなこと覚えてるな。」
「”デ・ジャ・ヴ”ってことよ。」
「なるほど、ちょっと意味が違うような気もするけど、考えてみれば”デ・ジャ・ヴ”かもな。」
「私たちがまたどこかで逢うことがあれば今日みたいに話すと思うわよ、きっと!」
「そうかもしれない。どこか、別の世界で君と逢ったとしても…」


 こうした会話がおよそ似つかわしくない状況下で男と女は話し続けた。

 

(この時間がもっと長く続けば良いのに…)
 二人は偶然にも極限の状況下でそんなことを考えていた。

 

それより五年前のこと。

「ねぇ…」
 男の腕枕の中で横たわっていた女が不意に話しかけた。
「どうした?」

「私たちってこうなる運命だったのかしら?」
 男の方を向いて男の露になった胸の辺りを指で弄びながら女が訊いてくる。
「うーん。」
 男は女の愛撫に軽く身を捩じらせつつ考えた。

 

「わからないよ、けど…」
「けど?」
「今俺たちがここにこうしているってことはもしかしたら運命の一部なのかも知れないよな。」
「ウフフフ」
 女が笑みを浮かべる。

 

「どうしたんだ?俺何か変なこと言ったか?」
「変じゃないわ。変じゃないけど、ただ…」
「ただ?」
「難しいこと言うから何だか可笑しくなっちゃったのよ!」
「何か馬鹿にされたみたいでイヤだなぁ。」
「あっ、ゴメン!そんなつもりで言ったんじゃ…」

 男の表情が曇ったのを察知した女は品を作って男の胸に顔を埋めた。

「わかってるよ、俺も冗談で言った!」
「もう!」
「アハハハ!」

 

『バサッ!』
 男は二人の身体を覆っていた毛布を乱暴に払いのけ女の身体を抱きしめた。
「あぁっ…」
 女は男に身を委ね、歓喜の声を上げ、息を荒げ出した。

(このまま時が止まってしまえば良いのに)
 男も女も同じことを思っていた。
 

 この時点での二人はとても幸せであった…

 

 同じく五年前のこと。

 

「ジョウジ!ジョウジったら!早く起きないと遅刻するわよ!」
 楡井(にれい)ミウは身支度をしながら横で寝息を立てている恋人の楠木(くすのき)ジョウジに声をかけた。
「ウーン…」
 ジョウジは何とか眼を覚ましたようだが、ベッドの上で細かく呻いていた。

 

「もうっ、今日のゴミ出しはジョウジの番なのに知らないからね!」
 一足も二足も先に準備をしていたミウは既に着替えを終え、化粧の終盤に入っていた。
「ウーン…粗大ゴミは今度の土曜日のはずだろ!?」
 かったるそうな調子で応えるジョウジ。
「違うったら!今日の燃えるゴミのこと!」
 的外れなジョウジの言葉にミウの声も普段の優しい口調とは違い、自然と荒くなる。

「そうかぁ…今日は燃えるゴミの日だったんだっけ…って…!」
『ガバッ!』 
 ようやく状況を察したジョウジが一気に飛び起きた。

「えぇっ?もう八時になっちまうじゃん!どうして起こしてくれなかったんだよ?」
「何回も起こしたわよ、寝ぼすけさん。」
 ミウはさっきまでの荒さを意識的に押し込め、努めて冷静に言った。
 その落ち着きが逆にジョウジの胸に響いたようだ。

 

「ゴメンな。」
「うん、平気。それより急がないとホントに遅刻しちゃうよ。ゴミは私が出しておくからジョウジは早く準備して。」
「あ、ありがとう」
「先に行ってるわね。」
 そう言うとミウは左手にバッグを持ち、玄関先に手早く用意していた燃えるゴミの袋を右に抱えドアを開けようとした。

 

「ミウ。」
「何?」
「今日はゴメン。明日は一緒に行こうな。」
 ジョウジの心からの謝罪を感じたミウは優しく微笑み、
「うん!行ってきます!」
 静かにドアを閉めて出て行った。

 

「さてと。」
 ミウが完全に外へ出たことを確認してからジョウジは慌てて身支度を始めた。

 

 

 

~つづく~

 

 

*この物語はフィクションです。

 

 

Copyright (C) 2009 by drivemycar All Rights Reserved

 

 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。