Drivin' with The Devil

主に自作小説・ロック論・マンガ論などを”狭く深く”書いてます。 どうぞ気軽に楽しんでいってください。。。!! 

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 ワタシ、ヒッキーコ・モーリーといいます…!

 

 性別男。

 年齢43歳。

 

 容姿端麗!

 才色兼備!

 厚顔無恥!

 人畜無害な43歳でーす!

 

 でも独身!

 世の女性たちは見る目がないのでワタシ独身…!

 

 職業は博士!

 今は未だ無名ですがこれから歴史に名を残すであろう博士なのですよ、実際!

 

 副業もやってるんですよ、副業も!

 副業は月曜から金曜の8:30~17:00までストッキング工場で袋詰めになる前のストッキングに穴が開いていないか検品する作業をやっていますよ!

 残業は1時間までって決めてます。

 だって家に帰ってから博士の仕事をしなくちゃいけませんからね!

 

 そして土曜日は10:00~19:00までとある写真屋さんでトリミングの副業をしてるんですよ!

 あ、こっちは副々業ですね!

 ところでトリミングってどんな作業か知ってますか?

 写真から余分な部分を削除して、重要な部分を強調することなんですよ!

 動物のトリミングも同じ単語です!

 

 それで、こないだワタシ、トリミングをしようとした写真に霊が写っているのを見つけたんですよ!

 心霊写真じゃないですか!!!

 これはお客様にそのまま渡したら縁起でもないと思って霊の部分を綺麗に切り取って差し上げてお客様にお渡ししたんですよ!

 

 そしたら後でお客様が血相を変えてやってきてですねぇ、

「こんなに切り取るとは何事だっ!」って怒鳴られたんですよぉっ!

 

 確かに写真の真ん中を切り取ってお渡ししましたが…

 だって霊が写ってるんですよ…!?

 怖いじゃないですか、正味の話…!

 まぁ、ワタシは博愛主義ですから甘んじて説教は受けましたけどね…

 

 ヘヘヘヘへへへへ……

 

 これ以上発展性のない話は置いといて…

 

 実はワタシこの間もの凄い発見を二つもしたんですよ!

 二つも…!

 

 そのうちの一つは慣性力と重力を結び付ける等価原理のアイデアに基づいている理論でして、これが立証されるとビッグバンやブラックホールの裏付けになるんです!

 

 喜び勇んで特許庁に行って申請したら、

「それは相対性理論といってアインシュタインというドイツの偉い人が約100年前に発見したものだから申請は受理できません…」って職員さんに無下にされたんですよぉ…

 

 ショックでしたね…

 でも転んでもタダで起きないのがワタシ!

 すかさずもう一つの発見を話しましたね!

 

 それは音波や光波や電波などがその発生源と人との相対的な速度によって、波の周波数が異なって観測される現象なんです!

 

「どうです、スゴイ発見でしょう!」と力説したら、

「それはドップラー効果といってドップラーというオーストリアの偉い人が150年以上も前に数式化しています。お引取りください…」と職員さんに言われて、守衛さんに追い出されたんですよぉ…

守衛さん、ドサクサにワタシの頭を警棒でポカポカ殴ったし…

 

 嗚呼……

 

 アインシュタインとドップラーのバーカ!!!!!!!!! 

 

××××××××

 

「カタカタカタカタッ……」

 ヒッキーコ・モーリー博士はここまでを画面に打ち込んで一旦パソコンから目を話した。

 

「ふぅ……」

「チャカッ……!」

 そして小さくため息を一つ吐くと画面上のアップロードボタンをクリックした。

 

「パッ……」

 パソコンの画面が切り替わる。

 画面には【Lui-Lui Blog】という記事が表示されていた。

 

 更に画面をスクロールさせると、

<ワタシ、ヒッキーコ・モーリーといいます…!

<性別男。

<年齢43歳。

<容姿端麗!

<才色兼備!

<厚顔無恥!

<人畜無害な43歳でーす!

という自己紹介がアップロードされていた。

 

 モーリー博士はブログを書いていたのだ。

 しかも今日が開始日。

 実はネタの宝庫のような記事は全部実話なんだって…

 

 アップした状態で待つこと十数分…

 博士のパソコン画面はスクリーンセーバーに替わっていた。

 

「どれどれ…そろそろレスが付いてるかな…!?」

 博士は遠足を待ち切れない子供のような表情を浮かべてマウスを動かし、

「チカッ…!」

 コメント欄をクリックした。

 

『コメント(0)』

 

「…………………」

 博士の額から冷や汗が吹き出ていた。

「バカなっ…!?こんなハズないよぉっ…!!だってこんなに面白い文章を書いたんだぜ…!!!博士で理系のワタシがこれだけウィットに富んだ文章をだなぁっ…!!!!」

「ガンツガンツ……!」

 ディスプレイを壊れない程度に叩きながら吠えまくる博士。

 

 怒り所が違うと思われるが6畳フローリングのワンルーム、ユニットバスのアパートにはモーリー博士一人しかおらず当然の如く誰も間違いを修正などしてくれない。

 

「ハァハァハァハァハァ……」

 興奮し過ぎたらしく息遣いが荒くなるモーリー博士。

「そうだ…ワタシは”ガラスの肺”の持ち主だったな…男らしからぬ悲劇の主人公…フフフフフ…主人公モーリー…フヘヘヘヘ…」

 

 脳天に釘でも刺さっているのであろう、段々と博士の独り言が支離滅裂になってきている。

 

「落ち着け、モーリー…!こういう時はクールダウンだ……クールダウンにはグラビアアイドルが一番……DVDでも観よう…しょたこん…癒しておくれ…しょたこん……」

 

 やけに説明的な台詞を残してモーリーはDVDが収まっている棚を漁り出した。

 ”しょたこん”というグラビアアイドルがいるみたいだ。

 

「ガアァァァァァァァァァァアァァァァァァァァァァァッ……!!」

 数十秒後ヒッキーコの110デシベルにも及ぶ怒声が部屋中にこだました。

「こないだ金に困って売ったんだったぁぁぁぁぁぁぁっ……!!」

 更に120デシベルの超怒声。

 これに黙っているほど優しい隣人はいない。

 

「ドゴンッ…!」

 左隣からは壁を蹴る音。

「ズンズンッ…!」

 上からは重低音ストンピング攻撃。

「うっせーんだよ、エロオヤジ…!」

 右隣からはドスの利いた大声が飛び込んできた。

 

「シュン……」

 ヒッキーコ・モーリーはお説教を回避せんとする女の子みたいにしなを作った。

 

 誰も見てないのに…

 

「おっ…!」

 気づくとまた十数分経過しておりパソコン画面がセーバー状態だった。

「よしよし……!」

 再びパソコンの前に鎮座するモーリー。

「チカッ…!」

 先程よりも勢い良くコメント欄をクリックした。

 

『コメント(0)』

 

「…………………」

 博士の額から湯気が出んばかりの大量の発汗が見受けられた。

「何……!?これって何かの陰謀なわけ……?誰かがワタシのブログ見れないように妨害してるんじゃないの……?じゃなかったら、こんな…こんな…」

 

 もはや独り言が電波の域に達している。

 

「わかった…!宣伝が足りないんだ…!もっと盛大に告知しないと…!さすがワタシ…!マーケティングに通じてるだけのことはあるっ…!」

 

「カタカタ……」

 おもむろにキーボードを打ち出す。

『【Lui-Lui Blog】に今日始まったばかりのブログがあって、それがスゲー面白いんだって!タイトルは”ヒッキーコ・モーリー博士の絢爛たる激情”。ワタシも早速書き込んじゃった!」

 

 電波を撒き散らしながら博士はこの文面で日本最大の巨大掲示板にいくつもスレッドを立てていった。

 

 それから更に十数分後。

 

「今度こそ…今度こそレスで埋まってるハズ…!」

「チカッ…!」

 キーボードが壊れんばかりの勢いでコメント欄をクリックした。

「さぁこい…!」

 

『コメント(101)』

 

「よっしゃぁぁぁぁっ……!」

 会心のガッツポーズを取るモーリー。

 叫び声はまたクレームが来ると怖いので控えめにしておいた。

 

「どれどれ……」

 今日一番のドキドキ感でコメント欄を開いた。

 が、しかし

 

「へ…………!?!?!?」

 

『自演乙』

『自演乙』

『自演乙』

『自演乙』

『自演乙』

以下省略

 

 書き込みの全てが『自演乙』で埋められてた。

 

「な…なん…で、バレた…の…?」

 あまりの悲しさでモーリーは俯いた。

「………」

 しばらくそのままの状態で考えていたが、

「ハッ……!!」

 突然顔を上げてボソッと呟いた。

 

「”早速書き込む”のを忘れたんだ、ワタシぃっ……!」

 

 画面はまたまたスクリーンセーバーに替わっていた。

 

数分後。

 

「さぁ、ワタシはこの状況をどうやって打破しようか…?ズルズル…ワタシは…ズルズル…」

 モーリー博士はインスタント味噌汁を下品に啜りながら呟いた。

 腹が減っては戦ができぬ。

 多少なりとも空腹感が治まったことで余裕も出てきたようだ。

 

「まずは記事を一旦消してまた打ち直しだな…!それから最初のコメント欄に賛辞のコメントを入れて……完璧だ、ワタシ…!これこそ一分の隙もないというやつ…!」

 独り言が再び電波を帯びてきた。

 

「どうれ…!」

「チカッ…!」

 セーバーを消す博士。

 

「ん…!?」

『コメント(1010)』

「ふ…増えてる……」

 再び大量の汗が顔を流れ行く原因は味噌汁を飲んで体温が上がっていることばかりではなかった。

「コメントを承認制にしておくだったな、ワタシ…」

 語り口調で倒置法を使うというのはいかがなものだろうか?

 

「何も悪いことが書いてありませんように……」

「チカッ…!」

 ヒッキーコは祈るような気持ちでコメント欄をクリックした。

 

 しかし、世の中には祈ったところでどうにもならない事が沢山ある。

 43年も生きてればわかるだろうに…

 

『自演乙』

『面白いブログですね!これから毎日来ます!!』

『素人童貞でつかw』

『お願いです、ネタだと言ってください!お願いします!』

『これは何の祭なんでしょうか…?』

『モーリー博士!大好きです!結婚してください!』

『【Lui-Lui Blog】なんて過疎ってるとこ使ってる時点でDQN決定!!』

『お前のブログ晒されまくってるぞw』

 

 エトセトラ、エトセトラ……

 

 一言として賛辞のコメントはなかった。

 

「どっひゃあっ…!!!!!」

 荒らしコメントを見たヒッキーコ博士は時代遅れのリアクションとともに手に持っていた味噌汁を床にぶちまけてしまった。

 

「…………」

 しばし沈黙する43歳。

 嘘だとわかっていながらも”結婚してください!”のセンテンスに胸が高鳴るのを抑え切れなかった。

 

「フキフキ……」

 こぼした味噌汁をティッシュで拭きつつ

「ブログ作り直そう、ワタシ…」

 と、また倒置法で呟くモーリーであった。

 

×××××××

 

 更に1時間後。

 

「うーむ……」

 43歳はパソコンの前で腕組みをしながらひたすら唸っていた。

 

「やっぱり前フリを作ったのがいけなかったのかもしれないなぁ…いきなりヘビーなこと書いたらドン引きされると思って”笑い”を前面に押し出したから方向性が見えなくなっちゃったんだなぁ…」

 

 何を言っているんだ、この43歳は…!?

 

「うん、そうだ…!コンセプトさえしっかりしてれば皆ウォッチングしてくれるハズ…!もうのっけからガンガンヘビー路線でいこう!」

「ガサガサ……」

 電波独り言を終えるとモーリー博士はそれまで我慢していたタバコを探し始めた。

 

「……!?」

 残り18本も入っていたタバコはさっきこぼしたあさりの味噌汁まみれになっていた。

「ガーーーーーンッ…!」

 博士の落胆振りは尋常ではなく、頭を抱えて悲しみを表現した。

 

 が、

「珍味だと思って吸うか……」

 そう言ってヒッキーコは濡れたタバコを乾かさんとガスコンロへと向かった。

 

「スパスパ…味噌とタバコは合わないなぁ…相性最悪だよ、スパスパ…」

 力なく紫煙を吸ったり吐いたりしながら43歳がパソコン画面へと向かう。

 

「まるでワタシと千歳(ちとせ)みたいだなぁ…」

 モーリーの表情がそれまでとは違う真剣味のある、暗いものになった。

 

「どうれ……」

 そしてその表情のままキーボードを叩き始めた。

「カタカタカタカタ……」

 味噌汁味のタバコを咥えたままスパスパと吸いつつモーリー博士のタイピングがリズムを奏で始めた。

 その表情はこれまで見せたこともないような真剣で引き締まったものだった。

 

 

 以下はヒッキーコが綴った文章である。

 

 

 『ワタシはヒッキーコ・モーリー。

 43歳独身。

 職業は博士。

 

 博士といっても大学のような象牙の塔に篭っているわけではない。

 ワタシは副業を持ち、世間との耐えられない摩擦に遭いながら日々研究を重ねているのだ。

 繰り返し書くが私は大学教授のようにぬくぬくと好きな研究のみに没頭して生きているわけではない!

 

 そこのところをよく踏まえた上で私の独白を聞いて欲しい…

 

 ワタシはこれまで”人生とは何か?”という大命題について自分の人生を賭して研究してきた。

 時には傷つき、時には傷つき、そして時にはまた傷つきと、とにかく傷を一杯つけて研究してきた。

 しかしながら、ワタシの拙い頭脳ではその答えを出すことが出来ないことに最近気がついたのだ。

 

 何ということだろう…!

 

 43年生きてきて人生の何たるかも他人に話すことができないのだ!

 

 ワタシは絶望した。

 絶望ついでに熟考した。

 ワタシがこの世に存在した証をとこしえに残す方法を。

 ワタシがこの世に衝撃を与える方法を。

 

 そして考えついたのが「ブログでワタシが自殺する様を実況中継すること」だっ…!

 

 二ヶ月考えた。

 

 もう”人生とは何か?”の答えを出せない生ける屍の43歳独身など死んでしまった方が良いのだ。

 しかし、タダでは死なないぞ…!

 ワタシが死ぬその瞬間までの一部始終をこのブログにて公開する。

 今は文章だけだが当然写真もアップする。

 

 死ぬ方法も決めている。

 首吊り!

 首吊り!!

 首吊って迷走神経ちょん切ってやるんだ!

 

 時間は…そうだな…

 

 今から2時間後に独白2回目をアップする!

 

 独白の内容は”俺を騙した女について”だ!

 

 乞うご期待!!』

 

 

「チャカッ……!」

「フゥ……」

 ここまでを一気に打ち込んだモーリーは勢いを持続してアップロードボタンを押した。

「さぁて、賽は投げられた…!あと2時間何をしようか…」

 モーリー博士がそう言った瞬間、

「ピンポーン♪」

 玄関のチャイムが鳴った。

「ヒッ……!?」

 したたか驚いたモーリーだったが律儀にインターホンの受話器を取った。

 

「はい…!?」

「よぉっ、守男(もりお)!サッカーやろうぜ…!」

 少年の声だった。

「さっかあ……???」

 首を傾げるヒッキーコ。

「お前がいないと勝てないんだよ、点取りオヤジ!今回も大人枠あるからさ、頼むよ!」

「でも…こんな夜中に…」

「ハァッ…!?また研究に没頭して時間忘れちまったのかよ…!もう午前の10時だぜ!」

「ごぜんじゅうじ……???」

「とにかく5分以内に着替えて出て来いよ!待ってるぜ…!」

「ちょ……」

「…………」

 

 インターホンからは何も聞こえてこなくなった。

「さっかあ……」

 夢遊病者のような動きで守男は身支度を始めた。

 

×××××××

 

「やっぱりお前がいたから勝てたんだな、点取りオヤジ!」

「守男バンザイ…!」

「また華麗な顔面シュート決めてくれよ!」

 

 少年達が口々にモーリーを褒め称える。

 試合は2対0で43歳のチームが勝った。

 2点ともモーリーが得意技”顔面シュート”で決めた。

 

「ヨヨヨヨヨヨッ…!」

 顔面青アザだらけのモーリーはおよそ笑い声とは思えない笑い声を挙げた。

 その顔は喜んでいるように見えた。

 

「それじゃまたな、点取りオヤジ…!」

 殊勲選手のアパートの前で少年達が帰って行った。

「………」

 それを眩しそうな表情で見送るモーリー。

 

「あっ……もう2時間経ってる……!」

 急に蒼褪めたモーリーは慌てて部屋に入ろうとしたが、

「へっ……!?」

 部屋の鍵は開いていた。

 

 

「千歳……」

「おかえり…!」

 パソコンの前に20代前半のけばけばしい服装をした女性が座っていた。

 一目見て素人女性とは思えない佇まいをしている。

 そしてモーリーと彼女の関係も恋人同士のような安心できる状態でないことがわかった。

 千歳と呼ばれたその女性は精一杯の作り笑顔でモーリーを迎えた。

 

「もう来るなって言ったはずだ…君はワタシを騙したんだ…騙して…貢がせて…」

「だからブログ使って自殺表明したってわけ…?」

「どうして知ってる…!?」

「見られたくないモノがあるなら別ID作りゃイイのに…」 

「あ……」

 

 男と女のただれた会話が続く。

 

「それにしても心外ね…”ワタシを騙した女”ってどういうことよ!」

「事実だろう…!ワタシは君を死ぬほど愛した…!だから金も少ない副業の給料から都合した。500万だぞ…!1年半で500万円だぞ…!」

「人聞きの悪いこと言わないでちょうだいな。そっちだって沢山楽しんだじゃないさ!」

「等価交換じゃないだろう…ところで何しに来たんだ…!?金ならもう一銭もないぞ…」

 

 すると千歳がそれまで浮かべていた険しい表情を一気に緩め、満面の笑みを浮かべてハンドバックから封筒を取り出した。

「はいこれ…!」

「………!?」

「500万には程遠いけど受け取って。100万あるわ…」

「…って、どうして…!?」

 困惑の表情を見せる43歳。

 

「どうしてって…」

 そう言うと千歳はモーリーに抱きついた。

「…!?お、おい…!」

 モーリーは強張った顔のまま彼女を受け止めた。

 

「好きなのよ…アナタが…だから…また来て…お店に」

「あ……あぁ…!」

 この言葉に自我を失ったモーリーは心からの笑顔を浮かべてギュッと千歳を抱きしめた。

「死ぬのはやめだ!人生はまだまだ捨てたもんじゃない!ワタシも千歳が…好きだ!」

「バサァッ…」

 モーリーはそのまま千歳を押し倒した。

「んべっ……!」

 

 仰向けにされた千歳が舌を出したことにヒッキーコ・モーリー博士43歳は全く気付かなかった…  

 

×××××××

 

「先生…!比企(ひき)先生ってば…!」

「ン……ンーッ…」

 

比企と呼ばれた男は機嫌良くなさそうに目を覚ました。

「ンーッ…千歳はどこ行った…!?千歳……」

「何ですかそれ…?ここにいるのは助手の三登勢(みとせ)ですが…」

 夢の中で見た女性が立っていた。

 ただ、夢と違っていたのは彼女が知性を漂わせるスーツ姿であったことだ。

 

「時々先生は変わった夢を見ますよね…まだ覚め切ってないですかぁ…?」

 おどけた調子で三登勢が比企の肩を揺さぶる。

「ゆ……め……だったのか……」

「さぞやお楽しみだったんでしょうね!でも、学会は待ってはくれませんよ!あと15分で発表の時間です…!」

 

「………」

 段々と思考が現実方面に引っ張られてきた。

 

 比企籠(ひき こもる)は年齢43歳。

 独身ではあるが三登勢と交際している。

 そしてとある医大の教授である。

 

 本日彼は学会にて自身の論文”異形精子細胞における膜構造の電子顕微鏡的考察”を発表する機会を得ていた。

 

 今まさにその時が迫っていたのだ。

 

「すまなかった…5分で行くから舞台袖で待っててくれないか…?」

「わかりました!失礼します!」

 

 比企教授に精悍さが戻ったことを確認した三登勢助手は嬉しそうに、そして跳ねるように控室を後にした。

 

「………」

 比企は机の上にある自身の論文の表紙をしばらく眺めていた。

「ヒッキーコ・モーリー博士ねぇ……クックックッ……」

 笑いを抑えることが出来なかった。    

 

「あんな人生も悪くないかもな…!」

「スクッ…!」

 思い切り反動をつけて立ち上がった比企。

「クゥッ…」

 軽い立ち眩みが彼を襲った。

 

「ブルブル……スタスタ……」

 どこか名残惜しそうに首を数回振ると、比企籠教授は論文を片手に背筋を伸ばして歩き出した。

 

 

 

 

 

 

――――― お わ り ―――――

 

 

 

 

 

 

 

 *この物語はフィクションです。

 

Copyright (C) 2007 by drivemycar All Rights Reserved

 

 

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 2007年の日本。

 

 いや、1963年の日本かもしれないし2014年の日本かもしれない。

 

 もしかしたら一番近い空気を発散させていたのは1969年かもしれない…

 

 

×××××××

 

「また失言だってよ…!」

「公人としては失格よねぇ…」

「いいよな、好きなこと言って金もらえるんだからよ…!」

 

『国民は我が国の兵僕(へいぼく)であるからして消費税率が上がろうが消費者として謙虚に受け止めるのが当然!税率に限ったことばかりじゃなくもし遠い未来に徴兵制が復活したらそれに従うのも当然の義務。文句があるなら日本を出て行けば良いんだ…!』

 

 以上の発言は白川是友(しらかわ これとも)外務大臣が講演会でしたもの。

 白川大臣は”兵僕”なる造語を用いて『日本国民は臣民である』旨の持論を述べたのだ。

 居合わせた聴衆からは即座に撤回を求められたが大臣はそれを無視して講演を続けた。

 

 当然といえば当然であるがこの発言がマスコミを通じて報道されるとあっという間に物議を醸した。

 テレビのニュースでは連日国会にてこの発言をめぐる丁々発止のやり取りを報道していたし、インターネットの巨大掲示板では国を憂う真剣な書き込みから便乗した荒らしに至るまで”兵僕”について論じられていた。

  

 時の総理大臣矢部進一(やべ しんいち)は内閣の支持率が右肩下がりになろうとも、野党から激しい突き上げを食らおうとも、一切無言を貫いた。

 擁護も批判もなくひたすら無言であった。

 周囲が「何故…?」と逆に不安になるほど無言であった。

 

 そして一月も経つとあれだけ燃え上がった議論もこれまでの公人の失言と同じように次第に話題に上ることもなくなってしまった。

 

 やがて完全に忘れ去られた…

 

 

××××××

 

 

 ”兵僕”発言から三ヶ月ほど経った頃のこと…

 

 田嶋建夫(たじま たてお)は35歳。

 某大手ジュース会社の千葉工場にて出荷作業を行うフォークリフトオペレーターだ。

 

 先日同工場の製造部にいる女性派遣社員との不倫関係がバレて現在妻とは離婚調停中である。

 調停は会社の知るところとなり派遣社員は解雇された。

 田嶋も『会社の風紀を乱した』として二ヶ月の減給処分を科せられた。

 

 自業自得とはいえそういうプライベートでのゴタゴタが響いて仕事にも身が入らない状態に陥った田嶋は何となくささくれ立った気分になっていた。

 

 朝6時。

 出荷作業の開始だ。

 

 「キュインッ……!」

 田嶋は同僚への挨拶もそこそこに電動フォークリフトを走らせ、乱暴な様子で持ち場へと向かった。

「キュゥゥゥゥゥン……」

 電動フォークリフト特有の移動音を響かせて田嶋は持ち場へと着いた。

 現場では同じようなリフトのオペレーターが6人車座になっていた。

 

「おはようございます田嶋さん…5分前集合なのでもうちょっと早く来てくれないと…」

 車座の中心にいた若い作業員が走ってくる田嶋へ向けて声をかけた。

 どうやらこの持ち場の班長のようだ。

 班長はまだ20代後半といった風情で年上の田嶋に何となく気を遣っているように受け取れる。

「すまんな…明日から目覚ましを2個セットするようにするわ…」

 田嶋は冗談ぽく呟いたが目は笑っていなかった。

「ハハハハハハハハハハ…!」

 現場の雰囲気を壊さんと他のオペレーターたちが頓狂な笑い声を立てた。

 

「そうしていただけると助かります!あ、あと…言いにくいんですが他にも…」

「何だ…?」

「倉庫が暑いのは俺も承知していますが決まりなのでヘルメットは被っていただかないと…」

「ああ……」

「頼みますよ…最近仙台工場で労災事故があって上の方がピリピリしてるんですよ…」

「わかったよ。無意識のうちに脱いじゃうんだな…もし見つけたら遠慮なく言ってくれ…」

「助かります!それでは全員揃ったのでミーティングを始めます!まず今日の出荷枚数ですが……」

 

(ケッ…若造がっ…!)

 田嶋は苦虫を噛み潰したような顔を班長に気取られないように他の社員の陰に隠れた。

(あんなゴマすり野郎が班長だなんてこの会社はどうかしてやがるぜ…!)

(それにしても貴和子(きわこ)はどうしちまったんだ…!?クビになってから連絡一つよこしやがらねぇっ…!)

 ミーティングも上の空に班長に対する侮蔑の感情、そして愛人である元派遣社員のことを考えている田嶋。

 そこへ、

「田嶋さん、聞いているんですか…!?」

 班長の声が飛んできた。

 朝一の声よりもやや怒気を含んだ調子で。

  

 ミーティングも終わり本格的に出荷作業が始まった。

「キュインッ……キュゥゥゥゥゥン……」 

 田嶋は伏し目がちにリフトに乗り込み、一目散に走らせた。

 今日の田嶋の仕事は倉庫のある区画に山積みされているサイダーを所定の出荷場に取り置きする作業だ。

 ノルマは16,800ケース。

 サイダーはパレットに積まれている。

 1段8ケースで7段積みなので1パレット56ケース。

 つまり300枚のパレットを運ぶことになる。

 フォークリフトは1度に2枚のパレットを運搬できるので150回往復する形だ。

 大体時間にして約3時間の作業で終われば次の作業が指示される。

 

「さぁさ、単純作業のお出ましだぁっ…!」

 リフトを運転しながら田嶋が自虐気味に叫んだ。

 一旦リフトに乗ってしまえば結構大きな声で独り言を喋っても他の人間に聞こえることはない。

 調子に乗って歌を歌うオペレーターもいるのだ。

 

「ガシッ……シュウ…」

 田嶋は器用にリフトの爪を動かし、遥か上に積んであるサイダーパレットを取った。

「キュゥゥゥゥゥン……」

 そしてやはり器用にリフトを走らせ、

「シュウ……バタム…」

 出荷エリアへとパレットを置いた。

 

 ひたすらこの作業の繰り返しである。

 

「あれ……!?」

 田嶋の頭に疑問が浮かんだ。

「何だ…!?今日は飽きるの早ぇっ……!?」

 単純作業とはいえ田嶋はこの道10年以上のベテランである。

 仕事は仕事、飽きとは無縁のはずだった。

 仮に飽きがくるとしてもそれはずっと後になってからのことだし、そうなった場合の対処法も田嶋は心得ていた。

 ところが今日は僅か10枚弱を運んだ時点でどうしようもない倦怠感が襲ってきた。

 

「何だろ……?」

「キィッ…」

 田嶋はとうとうサイダーの山の前でリフトを停めてしまった。

「………」

 どんなに体調が悪くても、精神的に落ち込んでいても経験したことのない倦怠感に田嶋は言い知れぬ恐怖を覚えた。

「クゥ……」

 目の前が急に真っ暗になる錯覚にも襲われている。

「どうしたってんだっ…!」

 田嶋は人目も憚らずに怒鳴り、頭を抱えた。

 

「田嶋さん…?田嶋さん…?どうかしましたか…?」

 リフトに付いているトランシーバーから別のオペレーターの声が聞こえてきた。

「………はい、田嶋…・・・」

「サイダー全然足りてませんよ!」

 作業を促す声だった。

「…ちょっとリフトの調子が悪いようだ…でも、動ける…」

「了解です。早くしてくださいね!」

「了解……」

 何とか受け答えはできたが田嶋の倦怠感は止まなかった。

 むしろますますひどくなっている感じだ。

 

「………グゥ………ちきしょう…!貴和子めっ…!若造めっ…!女房めっ…!」

 近しい人間に対して憤怒の感情が湧いてきた。

「……会社めっ…!社会め…!日本めっ…!」

 憤怒の対象が段々広がってくる。

 何故こんなことを思うのか田嶋は全く理解できなかった。

 

「……兵僕…兵僕っ…!へい…ぼくぅ…!」  

 政治に疎い田嶋が突然”兵僕”という単語を口にした。

 

「ビッキィィィィィィィィンッ…!」

 突然田嶋の頭の中で何かが弾けた。

 

「兵僕っ…!兵僕ぅっ……!」

「ガシッ……シュウ…」

 目を見開いた田嶋はリフトの爪を上へ動かした。

「ヘヘヘッ…兵僕…!」

 すると、

「シュウッ…」

 パレットの位置ではなくジュースのダンボールの位置に爪を突き立てた。

「ブシュワァァァァァァァッ…!」

 ダンボールはあっけなく破られ中のサイダー缶も貫通した。

 田嶋が爪を抜くと破裂したサイダーが溢れ出したちまち倉庫の床や田嶋のリフト、そして田嶋自身を濡らした。

 

「兵僕、兵僕、兵僕っ……!」

 田嶋の愚行は収まらない。

 彼は何度も何度も別なサイダーのダンボールにリフトの爪を突き立てた。

「ビッチャァァァァァァァッ……!」

 サイダー浸しになる工場内。

 

「田嶋さぁんっ!何やってるんですか、田嶋さぁんっ…!」

 班長が血相を変えてやってきたが田嶋はなおもサイダーを破壊し続けた。

 

「ビッチャァァァァァァァッ……!」

「兵僕っ…!兵僕ぅっ……!」

 

 

×××××××

 

 

 同じ日の午前8時半頃。

 ここは札幌市内のとある総合病院。

 

 春日依子(かすが よりこ)は28歳。

 その病院の第1外科病棟に勤める看護士だ。

 

 依子は23歳で正看護士になり以来ずっとこの病院にいる。

 今年の4月までは救急外来にいたが異動で現在の部署へ配属された。

 

 未だ独身。

 同僚が次々と結婚していき退職する者もいる中で彼女は中堅看護士として確実な仕事を心がけており、その仕事の速さ、確かさは上司からも医師からも高く評価されている。

 

 依子は救急外来の仕事が好きだった。

 患者の命を救うために常にギリギリの状態で”戦場”と化す救急の現場で働くことに生き甲斐を感じていた。

 

 その生き甲斐である部署から病棟への異動を命ぜられて三ヶ月。

 依子の心の中にはポッカリと大きな穴が空いていた。

 

 依子はここ一週間の日々を空虚の中で過ごしていた。

 もちろん医療現場に個人的好き嫌いを持ち込むつもりは毛頭ないし、どんな持ち場にいても自分の力を最大限に発揮することが自分の務めであることも自覚していた。

 それでも日増しに襲ってくる空虚はどうにもできない。

 空虚は場所を選ばずに襲ってきたが今まで彼女は強い精神力でそれを払拭していた。

 

 しかし、この日は勝手が違った。

「……さん……春日さん…!」

「ハッ……」

 看護士長の声で我に返る依子。

「どうしたの…?気分でも悪いの…?」

「い、いえ……」

 普段は冷静な依子だがこの時は激しく狼狽した。

 ”心ここにあらず”という状態を士長に気取られたのではないかと思ったからだ。

 それはプライドの高い依子にとっては許し難いことだった。

「準夜が二日続いた後だからちょっと疲れ気味なのね…」

 40代半ばで凛とした雰囲気を持った女性である士長は叱責というよりも依子の体調を気遣っている。

「すいませんでした…」

 士長の優しさが余計に胸に響く。

「さぁ、それでは申し送りを始めましょう。まず、603号室の青木(あおき)さんですが床擦れが酷くなっているという報告を夜勤から受けています。骨折箇所に気を配りながら頻繁に寝返りを打たせるようにしてください。そして607号室の………」

「………」

 依子は頭の中に霞がかかったような状態の中で必死になって申し送りに耳を傾けていた。

 

 だが、それももう限界に達していたようだ。

(これで患者の前に立ったら患者が可哀想…)

 

「以上です…それでは本日もよろしくお願いします…!」

 士長の張りのある声で申し送りが終了した。

 依子はカルテの確認をしようとした士長のもとへと歩き出した。

 

「士長……」

「ハイ…?」

「やっぱり体調が…思わしくないです…」

「まぁ……」

「ただ、今日は村山(むらやま)さんも橋本(はしもと)も休みを取っているので人が足りないですよね…ですから薬品庫の整理等雑務をしたいと思うのですが…」

「……あなたは本当に真面目な人ね…本当は帰った方が良いと言おうと思ってたんだけど…わかったわ、薬品庫の整理をお願いします…」

「ありがとうございます…」

 感謝の言葉を述べて素早く移動しようとする依子へ向けて、

「無理しないでね…」

 と士長が声をかけた。

「……バタム!」

 しかし何故かその言葉に依子が反応することはなかった。

 

「……っと…酢酸オルセインに……アセトカルミンはこっちと……」

 チェックリストを見ながら薬品の在庫を確認し、所定の場所へと戻す頼子。

 少しでも現場の役に立っていると思うことで彼女の気持ちは晴れかかっていた。

 

 しかし、突然

「ピクッ…!」 

 依子の手の動きが止まってしまった。

「…………」

 俯いたまま身じろぎもしない。

「プルプル……」

 次第に細身の肩が痙攣し出した。

「……何で……何で私が救急を外されなくちゃ……いけないのよぉ…!」

 誰も聞いている人がいないのに驚くほど高い声で話し出す依子。

「私よりも…細川(ほそかわ)や鈴木(すずき)の方が病棟向きじゃないっ…!」

 言葉に怒気が帯びてくる。

 

「私のぉっ…!」

「グイッ…!」

 依子は突然手元にあった薬品瓶を手にした。

「ポイッ…!」

 そしてそれをオーバースローで投げ捨てた。

「ガッチャァァンッ…!」

 瓶はけたたましい音を立てて割れて砕け散り、無残にも中身が出てきた。

 それはアセトカルミン溶液だったようで薬品庫内に酢のツンとした臭いが充満した。

「ウフ…ウフフフフ……!」

 物を壊すことで得られる奇妙な快感と薬品の臭いで恍惚とした表情を浮かべる依子。

 

「ポイッ…ガッチャァァァッ…!」

 彼女は別な薬品瓶を取り出してさっきと同じように放り投げた。

 再び騒々しい音を立てて瓶が砕け散った。

「ピキンッ……!」

 鼓膜を突きまくる割音に依子は酔いしれた。

「ウフフフフフフッ……!」

 引き締まった彼女の表情が見る見るうちに弛緩していく。

 普段は力のある眼も完全に飛んでいた。

 

「ガッチャァァァンッ…!ガチャァァァァンッ…!ガチャンッ…!」

 次から次へと薬品瓶を壊し続ける依子。

「兵僕…ウフフ…兵僕……」

 彼女も”兵僕”という言葉を口にしていた。

 

「グイッ…!」

 依子は薬品棚の一番奥に厳重に置いてあるニトログリセリンの瓶を掴んだ。

 

 

×××××××

 

 

 同じ日の昼12時少し前。

 ここは東京にあるテレビ局、VテレビジョンのAスタジオ。

 

 菩提樹太郎(ぼだいじゅ たろう)は62歳。

 芸能人だ。

 

 お笑い出身で近年は司会者業が多い。

 菩提樹はこのテレビ局で昼の情報番組「盛り上がってヌーン!」の司会を担当している。

 「盛り上がってヌーン!」はVテレビ屈指の人気番組で15年続いている長寿番組でもある。

 

 ”お昼の顔”としてのキャラクター、パブリックイメージを大切にしている菩提樹であるが近頃は慣れや加齢からくるマンネリに人知れず苦しんでいた。

「ハァーッ…」

 楽屋で一人出番待ちをしていた菩提樹は大きな溜め息をついた。

 溜め息の原因は倦怠感だった。

(どうしたってんだ…?昨日の酒が今になっても抜けないなんて…菩提樹太郎もヤキが回ったってか…?)

 「盛り上がってヌーン!」の他にレギュラー番組を週3本、更には週刊誌上で人生相談コーナーを担当していた菩提樹に肉体的・精神的な疲れが表面化するのもある意味当然とも思えるのだがその部分についてはあえて考えないようにしていた。

(今日はこれが終わったら明日まで空くな…久しぶりにまっすぐ帰るとするか…)

 

 巷では愛妻家として知られていた菩提樹だが、実は3年前から妻とは別居生活に入っていた。

 別居の理由を問われても菩提樹には答えることが出来ない。

 自分は妻に懸命に尽くしてきたという自負があったからだ。

 子供のいない菩提樹は妻をそしてペットであるポインター犬をこよなく愛した。

 それにも拘らず妻は突然家を出て行ってしまった。

 彼の心にはポッカリと穴が空き、そのことが彼を家から遠ざけ、そして彼の酒量を上げた。

 

「ムゥ……」

 急に口に寂しさを覚える菩提樹。

 妻の家出をきっかけにタバコを止めてから初めて覚える飢餓感であった。

「タ……タバコ……!?」

 うわ言のように呟きながら彼は楽屋を出た。

 

 本番5分前。

 

 

×××××××

 

 

「ジャーン、ジャージャジャッ、ジャージャージャージャジャジャ……♪」

 時刻は正午。

 軽快な音楽と共に「盛り上がってヌーン!」はスタートした。

 菩提樹とアシスタントの女性タレントが一緒にブラウン管に登場した。

 菩提樹の表情はいつもと違い暗いオーラを出しているように見えた。

 

「こんにちはぁっ…!今日も暑いですね。テレビをご覧の皆様、夏バテしてませんかぁ…?今日の『盛り上がってヌーン!』は”決定版!これが夏バテ解消レシピ!”をお送りいたします……」

 女性タレントが見本のような笑顔で快活に喋る。

 

「……シュボッ……」

 突然隣にいた菩提樹が100円ライターを懐から取り出した。

 いつの間にかタバコを口に咥えており火を点け、スパスパと吸い出した。

 本番中であるのに。

 

「ちょ…菩提樹さん……何して……?」

 青褪めた顔をした女性タレントが尋ねる。

「ザワザワザワザワ……」

 客席もザワつき始めた。

 

「…るせぇよ…」

「………!?」

 菩提樹は今まで茶の間に見せたことのない顔・口調で喋り出した。

 ますます困惑の度合いを深める周りの人間たち。

 

「”天牛”って書いて”かみきりむし”って読むんだぞ…!知ってるかぁ、低脳ども……!」

「ザワッ……!」

 菩提樹の不用意な発言でざわめきが一際大きくなった。

「ヤバ……菩提樹さぁん…!」

 女性タレントもこれは行き過ぎと思ったのか反射的に菩提樹の口を塞ごうとした。

 

「サッ…」

「キャッ……ドタッ…!」

 彼は瞬時に身をかわし、空足を踏んだタレントはバランスを崩して尻餅をついてしまった。

 

「いいかぁっ…!”兵僕”なんだよ、お前らはよぉっ…!」

 菩提樹も”兵僕”という言葉を口にした。

 きちんと整えられたポンパドールヘアーを左手で乱暴にボリボリ掻きながら吐き捨てる様子はおよそ常人の行動とは思えなかった。

 

「お前らだけじゃねぇよ!このテレビ観てる奴らも、こんな番組作ってる連中も、俺もお前も皆”兵僕”なんだよぉ…!みーんな”兵僕”だーいっ…!」

 タバコの灰をぞんざいに撒き散らしながら、飛んだ目で喋り続ける菩提樹。

 

「おい、菩提樹!いい加減にしろっ…!」

 堪りかねて番組スタッフたちが止めに入ってきた。

 ドル箱タレントである菩提樹の名を呼び捨てにしたところに事態の深刻さが窺える。

 

「おいでなすったな…!暴れてやるぞっ…!兵僕…ギャハハ、兵僕…!」

 菩提樹は上着とタバコを同時に放り出し臨戦態勢に入った。

 

 テレビ画面が放送事故を告げるお詫びの画面になったのはそれから数十秒後のことだった。

 

 

×××××××

 

 

 数日後。

 ここは首相官邸。

 

「ふむ……」 

 内閣総理大臣、矢部進一は椅子にふんぞり返った状態で分厚い報告書に目を通していた。

「素晴らしい成果じゃないか…!」

「はい…」

 矢部に答えたのは”兵僕発言”をした外務大臣、白川是友だった。

 

「原理はブラックボックス化されていて如何なる手段を講じても分析するのは不可能でした。しかしながら効果の方はデータを見ていただければわかるように凄いものです。」

「全くだ…この『HAVOC SYSTEM』は驚異で脅威だよ…これさえあれば国民を大人数、簡単に意のままにマインドコントロールすることができる。」

「はい…”havoc”という単語をある特定の周波数で聞かせることによって人間が溜め込んでいるストレス・不満を表面化させて暴力的な面を引き出すことができます…」

「ヤンキーの国は画期的な発明をするね…」

「おっしゃる通りで…」

 

「それでマインドコントロールにかかった連中は今どうしているのかね…?」

「はっ、こちらへ向かっております。」

「何だと…!?」

「首相官邸を襲撃するように命令しました。人数は3万人に膨れ上がってますよ…」

「君、冗談もやすみやすみ言いたま……」

「シュッ……」

 

 ここで突然白川はパンチを放った。

「ブウゥゥゥゥッ……」

「ドタッ…!」

 拳は矢部のみぞおちを的確に捉え矢部はあえなく失神してしまった。

 

「この勝負アメリカの勝ちぃっ…!」

 嬉しそうに叫ぶと白川は急いで官邸を飛び出した。

 

 

×××××××

 

 

 ここはアメリカ、ホワイトハウス。

 

「そうか…ご苦労…!」

 アメリカ合衆国大統領、ショージ・プルはそう言って携帯を切った。

 

「ハーディ君、君の開発した『HAVOC SYSTEM』が上手く日本で作動したようだ…!」

「ありがとうございます……」

 ハーディと呼ばれた男はひどく抑揚のない口調で答えた。

 スーツはおろかシャツやネクタイに至るまで全身黒ずくめの格好をしている。

 痩せこけた頬のせいかどことなく人間離れして見えた。

 

「あの極東の島国もそろそろ役立たずになってきたところに君がシステムを持ってきてくれた。本当に感謝しているよ…わずかな金であの国を滅ぼせたのだからな…」

「まだ本番が残っております…」

「うむ…あのいまいましい中国やロシア、そして俺に逆らい続けているキューバや北朝鮮だな…」

「いえ…違います…」

「何……!?」

「本番はこの国でございます…」

「ハハハッ…!何戯れ言を語っているの……」

「ビュッ……!」

 

 ここでハーディは口から何か出した。

「ブチュウゥゥゥゥッ……!」

「ピギャァァァァァァァッ……!」

「ドッサァッ…!」

 何かはプルの額にグサリと刺さった。

 断末魔の叫びを上げたプル大統領はそのまま絶命し、主を失った肉体は力なく床に倒れた。

 

「シュッ……」

 大統領の額を貫いたのは錐状に尖ったハーディの舌であった。

 舌をまるで掃除機のコードのように瞬時に口の中にしまうハーディ。

 

「グエッグエッグエッ……!」

 それまでのハーディの声とは違う不気味な笑い声が聞こえてきた。

 

「この勝負、宇宙人の勝ちぃっ……!」

 痩せこけたハーディの口から再び尖った舌が漏れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<<<The End>>>

 

 

 

 

 

 

*この物語はフィクションです。

 

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「ワーッ!ワーッ!……」

 鳴り止まない大歓声が場内にこだまする。

「ワーッ!ワーッ!……」

 その歓声は場内を出てなおロビーにも響いてきた。

 

 ここは東京ドーム。

 プロ野球セパ交流戦の真っ只中だった。

 

 この日の試合はセ・リーグ首位を突っ走る東京読切ジャンボズとパ・リーグ4位の東北海老天シルバーコンドルズの第1回戦。

 

 ジャンボズは球団設立70周年を迎えた老舗中の老舗で両リーグ中一番の人気球団。

 

 コンドルズは万年最下位の超弱小球団であったが今年はドラフト、トレードとも補強が成功し”台風の目”的な役割をリーグ内で果たしていた。

 

 4位という実績がコンドルズの歴代最高順位ということからも健闘ぶりがわかろう。

 

 このカードは戦前から交流戦屈指の好カードと言われており平日にも関わらず東京ドームには5万人の大観衆が詰めかけていた。

 

「ワーッ!ワーッ!……」

 特にコンドルズを応援せんと地元仙台からはいくつもの私設応援団が大挙して押し寄せレフトスタンドに陣取っていた。

 

「コンドルズなら何かやってくれるに違いない!」

 そのような雰囲気が球場内に充満していた。

 

 試合は延長10回の表、コンドルズの攻撃。

 スコアは両軍ピッチャー陣が粘りに粘り2対2の同点だ。

 ツーアウト、ランナー2塁で一打出れば逆転という緊迫した場面。

 しかしながら次の打者はピッチャーである。

 コンドルズの曲者尾村(おむら)監督がここで代打を出してくるのは明白であった。

 

「ワーッ!ワーッ!……」

 全く鳴り止むことの無い大歓声はジャンボズの本拠地とはいえむしろ逆転攻勢をかけているコンドルズの応援席から沸き起こっていた。

 

「………」

 この場面を何故か球場内ではなくロビーに設置されているモニターテレビを通じて観戦している男がいた。

 ビールではなくこの場にあまり似つかわしくないアイスコーヒーを飲んでいた。

 

 男の名は宇和野(うわの)。

 職業はフリーの記者。

 

 記者とはいえ宇和野はスポーツが専門分野ではない。

 一昔前、いや二昔前に”トップ屋”という呼び名で通っていた週刊誌や月刊誌の巻頭記事を執筆する記者である。

 

 彼は今日ある目的を持って東京ドームに来ていた。

 その目的を実行するためには球場の生の雰囲気はむしろ邪魔でしかなかったのだ。

 

「………」

 テレビの音が歓声でうるさくて聞こえないのでヘッドホンでラジオの実況を聞いている宇和野。

 

「さぁ、一打出れば逆転というこの大事な場面でコンドルズベンチが動き出しましたよ!尾村監督が出ます!代打に誰を使ってくるのでしょうか…?」

 

『バッターの交代をお知らせします。9番ピッチャー、ロドリゲスに代わりましてバッターは上條(かみじょう)!』

 

「………!!」

 突然宇和野が立ち上がり、モニターに身を乗り出した。

 あまりの勢いにアイスコーヒーがこぼれそうになったことにも彼は全く気づかなかった。

 

『バッターは上條!』

 この後起こる事件を予見していたのはもしかすると球場内では宇和野だけだったかもしれない。

 

『遂にコンドルズベンチが動き出しました!代打の切り札”打っ壊し屋”上條がバッターボックスにゆっくりと入りました……』

 

 ヘッドホンから流れる実況も今の宇和野には聴こえていないようだった。

「上條……上條っ…!上條めっ…!」

 宇和野は頭上高く備え付けられたモニターに届けとばかりに両手を伸ばし、繰り返し上條の名を呟いていた。

 

「………」

 一方バッターボックスに入った上條は無言のままジャンボズのピッチャーを見据えた。

「………」

 38歳、キャリア20年の大ベテランバッターに一睨みされたジャンボズピッチャーは気圧されてしまったようで何度もキャッチャーのサインに首を横に振り、その度に頬をつたう汗を拭った。

 

「コクッ…」

 しかしながらピッチャーもプロ。

 意を決してサインに頷くと、

「グオォォッ…!」

 思い切り投球モーションへと移った。

「ビシュウゥゥッ……!」

 渾身の投球が繰り出された。

 内角高めのストレート。

「ブンッ…!」

 上條も渾身のスイングを見せる。

「ズッバァンッ…!」

 しかし空振りに終わってしまった。

「ットラァァイクッ!」

 審判のコールも自然と力が入った。

 

 ワンストライク、ノーボール。

 

「フゥ……」

 最初にストライクを決めて安堵したらしくピッチャーが大きく息を吐いた。

「………」

 上條は表情一つ変えずにバットを構える。

「グオォォォォッ…!」

 初球とは違った伸び伸びとしたモーションだ。

「ビッシュウゥゥッ……!」

 今度は外角高めのストレート。

「ブンッ…!」

 上條のスイングはまたも鋭い。

「ズッバァンッ…!」

 ところが結果はまた空振りだった。

「ストラァァイク…!」

 左右にボールを振り分けたジャンボズバッテリーの作戦が見事に当たった格好だ。

 

 ツーストライク、ノーボール。

 

『あっという間にツーナッシングに追い込まれてしまいました上條。このまま延長戦に突入するのでしょうか?』

 

「延長なんてどうでもいいんだよ!今日、この場で上條が…上條が…」

 熱病にうなされたように上気した表情で宇和野は意味不明の言葉を吐き続けた。

 

「ヘヘへッ…!」

 もう完全に精神的に上の立場になったジャンボズピッチャーは余裕からか笑みを浮かべていた。

 上條はどうか?

「ニヤリ…!」

 何と腹に一物ありそうな笑みをピッチャーに向けていた。

「……何だってんだ……!」

 その表情を捉えたピッチャーはカッとした。

「ちっきしょう!何ニヤニヤしてやがるんだよ!」

 明らかに優位に立っているはずなのに憤怒が湧き上がってくる。

「いいだろう、ツーナッシングだしちょっと遊んでやらぁっ!」

「ガッバァァァァッ…!」

 キャッチャーの”フォークボール”のサインを無視してピッチャーが振りかぶった。

「……!?」

 驚くキャッチャー。

「グオォォォォッ…!」

 力みが入ったモーションだ。

「ビッシュウゥゥッ……!」

 初球と同じ内角高めのストレート。

 ただ、さっきとは違いピーンボールまがいの危険球だった。

 コントロールに絶対の自信があるらしく動かなければボールで済みそうな投球ではあったのだが…

「バカめ……!」

 内角攻めを見極めた上條が我が意を得たりとばかりに叫んだ。

「どっせい…!」

「ブゥゥゥンッ…!」

 上條のフルスイング。

 

「ガッキィィィィンッ…!」

「ボギンッ…!」

 バットがボールを捕らえた。

 ただ、真っ芯で捕らえられなかったようでバットが真ん中辺りから折れてしまった。

「ダダダッ…!」

 一塁へ向けて走る上條。

 二塁ランナーはすぐに帰塁できる距離で情勢を見守っていた。

 

「ビューンッ…!」

 ボールはライナーとなってピッチャーの目前に。

「……!?」  

 ピッチャーめがけて飛んできたのはボールだけではなかった。

「シューンッ…!」

 折れたバットの破片もピッチャーめがけて飛んできた。

「クッ…」

 どちらを捌くべきかそれとも逃げるべきか…?

 ピッチャーは判断を下そうとしたその時、

 

「グッサァァァッ…!」

 不運にもバットの破片の先がピッチャーの右腕に突き刺さった。

「ガアァァァァァァッ…!」

「ドタッ…ドタン……!」

 痛みで倒れるピッチャー。

 のた打ち回っている。

 アイボリーのユニフォームがたちまちマウンド上の土で汚れた。

 その右腕からは静脈を切ったらしく鮮血が迸っていた。

 

「………!?」

「………」

 

 目の前で突如起こった惨劇にジャンボズナインがマウンドに駆け寄る。

 

 その間隙を突いてコンドルズの二塁ランナーが一気に三塁ベースを駆け抜けそのままホームインした。

 

「………」

 水を打ったように静まり返った東京ドームのライトスタンド。

 

「ワーッワーッ…!」

 戸惑いながらも大逆転に喜ぶレフトスタンドのコンドルズ応援団。

 

「………」

 上條は一塁ベースの上に立ったまましばらくの間マウンドを見つめていた。

 全くの無表情で。

 

「やりやがったなっ…!」

 宇和野はモニターに向かってひたすら怒鳴っていた。

 

 

×××××××

 

 

 結局試合は10回裏を無得点に抑えたコンドルズが勝利を収めた。

 

 試合後、コンドルズのロッカールームにて。

「上條さん…」

「ん……」

 シャワーを浴び終え腰にタオルを巻いただけの状態でロッカーの前に立ち尽くしている上條に今日の勝利投手が声をかけた。

「まだ上がらないんですか?」

「……ああ、気にしないで上がってくれ……」

「ハイッ、お疲れ様でしたっ!」

「……お疲れ……」 

「バダンッ…!」

 投手は弾けるようにロッカールームを後にした。

 残っているコンドルズ選手は上條ただ一人だった。

「フッ……」

 勝利を収めて意気揚々とした様子の若手を見て上條の口に笑みが浮かんだ。

 自分にもああいう時代があった…

 そんな郷愁にふける笑みだった。

「カチャッ…」

 ロッカーを開ける上條。

 そこには鏡がある。

「………」

 鏡に映った自分の顔を凝視する。

「………」

 いつの間にか笑みは消え、再び感情を押し殺したような無表情に戻っていた。 

 

「ガチャリ……」

 突然ロッカールームのドアが開いた。

「………」

 上條は大して驚いたそぶりも見せずに振り向いた。

 そこには面識のない男が立っていた。

 くだけたスーツの着こなしがどことなく素人とは違う印象を与える。

「こんばんは、上條選手……」

「………」 

 上條が無反応なので男は苛立った風で続ける。

「自己紹介が必要でしたね、大変失礼をばいたしました…私は宇和野と申します」

「ブン屋か…?いや、ブン屋にしちゃスレてるな。どっかのライターか…」

「着眼点が素晴らしい…!まぁ、フリーのライターですよ…」

「ノックなしでドアを開けるなんてエチケットを知らんのか、俺は着替えてる途中なんだが…」

 宇和野の素性がある程度明らかになったところで上條は意識的に語気を強めた。

「これは重ね重ね失礼しました…実は少しお話させていただきたいのです。ご馳走しますので夕食をご一緒しませんか?」

「……構わんよ……」

 意外にも上條は宇和野の申し出を承諾した。

「ありがとうございます!それでは廊下で待ってますのでごゆっくり着替えを済ませてください。」

「バダン…」

 我が意を得たりといった調子で宇和野は廊下へ出た。

「サッ…サッ…」

 上條は表情を変えることなく濡れた髪をタオルで拭き始めた。

 

 

×××××××

 

 

 数十分後。

 上條と宇和野は東京ドームにほど近いシティホテルの最上階レストランにいた。

 他の客と隔離されたVIPルームで二人は遅い夕食を終えて今は上條が赤ワイン、宇和野がビールを飲んでいた。

 

「こんなところで食事をご馳走してくれるなんて…相当無理したんじゃないのか…?」

 アルコールが入って多少上條は雄弁になっているようだ。

 どことなく険の篭った物言いで宇和野を見た。

「……さて、話とやらを聞こう……」

「そうですね…」

 宇和野は上條の言葉をストレートに受け取ったらしく露骨に嫌な顔をしたが、口調は穏やかなままだった。

「下準備が必要なので……」

 そう言ってビールで喉を潤した宇和野が傍らに置いてあったセカンドバックから何かを取り出した。

「準備完了です…」

 それは手帳だった。

 かなり使い込まれている。

 付箋の付いているページを開いて話し始めた。

「えーっ、上條勉(つとむ)38歳。1969年4月4日京都府生まれ……」

「………」

 急に自分のプロフィールを話されても戸惑うことなく上條は延々と赤ワインを飲み続けている」

 

「……1987年、夏の甲子園大会に京都W学園の3番ショートとして出場。甲子園での母校の成績は3回戦で敗退も上條選手は打率3割4分8厘、ホームラン2本の活躍をみせた。その活躍がスカウトの目に留まりドラフト2位で近接カウズに入団……」

「………」

 次第に上條が面白くなさそうな顔になってきた。

「カウズでは長年3番ショートで活躍するも2004年カウズがポリティクスフレーバーズと合併したことに反対してフレーバーズを退団、新設球団東北海老天シルバーコンドルズに入団。コンドルズでは代打の切り札として活躍。ニックネームは”打っ壊し屋”…」

 

 ここで宇和野は一旦言葉を切り、上條を見つめた。

 上條は宇和野の視線を気にすることもなく不満げな表情でワインをおかわりしていた。

 

「1994年に結婚するも4年で離婚。現在は12歳になる一人娘の麻子(まこ)ちゃんと二人暮し…」

「てめぇ、探偵もやるのかい…?」

 プライベートのことに話が及ぶと上條の目・口調が鋭くなった。

「……」

 その変貌振りに一瞬腰が引ける宇和野。

 

「話がそれだけなら帰るぜ……」

 ワイングラスに残ったワインをグイッと空けて立ち上がろうとする上條の行く手を、

「失礼しました!本題に入りますのでもう少し堪えてください。」

 宇和野が素早く立ち上がり塞いだ。  

「ズサッ…」

 無造作に腰を下ろす上條。

 

 宇和野は元の席に戻らず立ったまま話を再開した。

「実はですね……」

「………」

 上條は宇和野の思わせぶりな口調にも動じることはなかった。

 

「上條さん、あなたは”打っ壊し屋”という異名で人気のある選手です。平成の世にはいなくなってしまったスポーツマンというよりはサムライと呼んだ方が良い激しい気性を持った……」

 宇和野の頬が段々と赤みを帯びてくる。

 それが酒のせいだけじゃないことを上條は察知していた。

 

「カウズ時代に何度も乱闘騒ぎを起こしましたよね…デッドボールに怒ってピッチャーを殴ったり、他の選手が乱闘を起こした時に止めに入って逆に相手球団の選手を必要以上にノバしたり…4回の乱闘と退場、その度に減給処分。20年間でこれだけ暴れた選手は日本球界で類を見ません…」

 宇和野の喋りが頬の赤みと同じように熱を帯びてきた。

 

「それでもあなたが球界を追放されることなく、ましてやカウズとコンドルズをクビにならずに済んでいるのは先程のサムライの話に繋がってきますが、あなたに今の選手にはない独特の雰囲気があるからなんですよね…ジャンルが違いますがプロレスでいうところのヒール(悪役)とでもいえば良いんでしょうか…”打っ壊し屋”なんてニックネームがそのことを象徴していますよね…」

「………」

 上條は無言だが痺れを切らしているようだった。

 ワインを飲むピッチが明らかに上がっている。

 宇和野はその苛立ちの原因が何であるかを悟った風に続ける。

 

「すいませんね…ここからが本題です。あなたは4回の乱闘の他にいわゆる”事故”も2度犯していますよね…」

「ピクッ……」

 それまで不動だった上條の表情が若干強張った。

 宇和野はこの反応を見たくてあえて”事故を犯す”という言い回しをした。

 紅潮した表情が若干野卑なものへと変わっていることを彼は話に夢中で自覚できなかった。

 

「その”事故”とはボールを打った時にバットが折れて破片が打球と同時にピッチャーめがけて飛んでいきピッチャーが怪我を負うというもの…そう、今晩の試合で起こった事故と全く同じです!」

「………」

「1991年、2000年、そして今日と3回も同じ事故が起きている…まぁ、もっとも今日のことは私にとってはあくまで偶然でした。あの事故がなくても私は今日あなたをお誘いしてこの話をするつもりでした…」

「………」

 

「”事故”は”事故”として処理されました…上條さんは何のお咎めも受けていません。しかしね上條さん、もしこの”事故”が”故意”に仕組まれたものとすればどうでしょうか…?」

 宇和野の話はジワリと核心に近づいている。

「何が言いたい…?」

 遂に上條も口を開く。

 宇和野は何故かこの瞬間「勝った!」と思った。

 上條が逃げ出さないように宇和野はそっとドアの前に移動した。

 

「ズバリ言います!上條さん、あなたはバットに予め細工をして折れやすいようにしていた。そして、ゲームの局面、いやもっと言うと”大事な試合”があった時、つまりカウズやコンドルズが”負けては困る試合”の時にそのバットを用いてピッチャーを負傷させることで戦局を引っくり返したのです…!」

「………」

 

「あなたは正真正銘の”打っ壊し屋”、”悪役”なのです!」

「クククッ……」

 ここまで聞いて上條が急に笑い出した。

 宇和野にとっては予想外の反応だったが気取られないように体勢を硬くした。

 

「大変面白い話だけど……俺がわざとやった証拠は…あるのかい…?それに…何故俺がそんなマネをしないといけないんだい…?」

 態度は想定外だったがこの質問は宇和野にとって待ってましたの心境だった。

 一層野卑な表情を浮かべて続けた。

 

「証拠…証拠ですか!あなたがバットを注文している職人さんから裏を取りました。何回か『折れやすい加工をしてくれと頼まれた』とね!録音したレコーダーもありますよ…!ここには持ってきていませんがね…」

「………」

「理由…理由もですね!さっき半分言いましたよ!”負けては困る試合”ですよ!”負けては困る”はあなたのチームのことではありません。あなたが繋がっている”裏の組織”のことを言っているのです!”裏の組織”なんてまどろっこしいですね!あなたはヤクザと繋がりがある。ヤクザが闇で行っている”ノミ野球”の片棒をあなたは担いでいるのです…!」

 そう声を荒げながら宇和野は上條を指差した。

 彼は今自分がとてつもなく素晴らしいことをしていると思い天にも昇らん気持ちになっていた。

 

「どうですか上條さん…!私の言うことが何か間違っていますか…?」

 

「………その通りだよ………」 

 

「……!?」

 宇和野は拍子抜けした。

 上條がもっと抵抗することを予想していたからだ。

 

「コポコポ………ゴキュッゴキュッ……」

 なみなみとグラスに注がれたワインを一気に飲み干すと上條は穏やかな表情で宇和野を見据えた。

「アンタの言う通り。俺はヤクザの手先だ。もちろん普段は真っ当に試合をするが組織から『負けるな』と頼まれた試合では意図的に乱闘を仕掛けたり今日のようなことをしたりする。乱闘に限らず相手めがけてスライディングしたりその他細かいルール破りをする……」

「………」

 今度は宇和野が黙り込んだ。

 

「”何のために?”って顔してるな…じゃあまた質問させてもらうがアンタは何のために記事を書く…?」

「それは…生活のためですよ…」

「そうだよな…もう一つ、アンタは何のために俺を暴こうとしている?」

「それ…は…正義…の…ため…だってこんな不正許されるわけないじゃないか…!」

 困惑する宇和野。

 

「違うな。それも生活のためだよ…」

「な……」

「俺もそうだ。生活のため、まぁ金のため、そして娘のために危ない橋渡ってるんだよ…アンタ”正義”ってさっき言ったけどな、”正義”ってのは別な角度から見りゃ”悪”にもなるんだよ…それは…」

「それは…?」

「正義も”力”に過ぎないからなんだ…」

「何を言ってるんだ…!?」

 宇和野の全身が怒りで震えていた。

 自分の行為をよりによって自分が暴いている相手に否定されたからだ。

 そんな宇和野の様子を見透かしたように上條はグラスにワインを注いだ。

 

「アンタ、俺を告発するんだろ…?」

「も、もちろん…こんな不正は許されないしね…!何…?ヤクザに頼んで揉み消そうとでも…?それでも私は……」

「サッ……」

 両手を広げて宇和野の言葉を遮る上條。

 

「そんなことはしねぇよ…」

「……!?」

「この商売はバレたら終い、そう思って今までやってきたんだ…」

「は……!?」

「上條勉は今日限りで引退…」

 あまりに突然の展開に宇和野は戸惑った。

 

「そしてこれが引退の証…」

 そう言うと上條は恐ろしく速いスピードでワインを飲み干した。

 そしてその勢いのまま盆の上に置いてあったコルク抜きを取り、

「ブシュウッ…」

 あろうことか自分の右目に突き立てた。

「シュウウウッ…」

 止め処もなく右目から溢れる血飛沫。

 

「ギャァァァァァァッ…!」

 宇和野は恐怖で男らしからぬ悲鳴を上げた。

 

「これで……俺が傷つけた、連中も……む……」

 ユラリと立ち上がる上條。

「どけよ…」

 血が溢れる右目を押さえながら宇和野を払いのけた。

「ごちそうさま……」

「バタム…」

 そう言うと上條はレストランを後にした。

 

「キャアァァァァァッ……!」

「ウワァァァァァッ……!」

 一般席にいるであろう客の悲鳴があちこちでこだましている。

「………」

 宇和野はボォーッと呆けた表情でただそこにへたり込んでいた。

 

 

×××××××

 

 

 宇和野は上條に予告した通り彼の不正を某週刊誌にて暴露した。

 しかしながら当の上條はあの日以来姿を消しており連絡が全く取れずコンドルズは彼を解雇処分にした。

 右目を潰し、失踪することで彼は”黒い交際”に球団が無関係であることを身を以って立証した格好となった。

 

 数日後。

 

「………」

 事務所で一人佇んでいる宇和野。

 彼は上條の引き際の凄さ、潔さに畏怖の念を抱いていた。

 ボンヤリと新聞を眺めている。

 すると、

「……!」

 自分が取材し上條を暴くのに一役買ったバット職人が惨殺された記事が飛び込んできた。

「ゲッ………」

 そうなのだ。

 上條が直接組織に報告しなくても向こうは勝手に報復に出るのだ!

 そういう人種なのだ!

 遠からず宇和野にも”黒い手”は伸びてくるだろう…

 

 宇和野は自分の考えの浅さを後悔すると同時に、

「グゥ………」

 首筋が急激に総毛立つ悪寒で呻いた。

 

 

×××××××

 

 

 更に数ヵ月後。

 

 時の経つのは早い。

 世間を騒がせた上條勉の”黒い交際”もすっかり風化してしまい、忘れ去られた出来事となっていた。

 

 ここは沖縄県。

 那覇市のとある公園にて。

 

 南国特有のカラッとした陽射しが眩しい日曜の昼下がり。

「キャッキャッ……!」

 走り回って遊んでいる子供たちもいれば、ベンチに座って愛を語らっているカップルもいた。

 

 そんな公園の片隅で、

「シュッ……バスンッ…!」

「シュッ……バスンッ…!」

 キャッチボールをしている親子がいた。

 親子ともベースボールキャップを目深に被っている。

 

「大分球にスピードが出てきたな…」 

 父親が声をかける。

 

「シュッ……バスンッ…!」

「シュッ……バスンッ…!」

 

「当たり前じゃん、パパの子だよ…!」

 ベリーショートの髪型なのでわかり辛いが女の子だ。

「野球以外に興味はないのか…?」

 

「シュッ……バスンッ…!」

「シュッ……バスンッ…!」

 

「ないよ…!私日本で初めての女子プロ野球選手になるんだっ…!」

 娘、麻子は日焼けした身体を躍らせてボールを投げ返し続けた。

 

「シュッ……バスンッ…!」

「シュッ……バスンッ…!」

 

「フッ………」

 

 隻眼の父親、上條勉は残った左目を細めて麻子が投げるボールの感触を楽しんだ。 

 

 

 

 

 

 

 

 

~~~完~~~

 

 

 

 

*この物語はフィクションです。

 

Copyright (C) 2007 by drivemycar All Rights Reserved

 

 

 むかしむかし…

 

 いや、もしかしたらずっと未来のお話かも…?

 

 はたまた今現在のお話かもしれませんよ……!?

 

 

 いずれにしてもちょっとしたお話でございます…

 

 

 あるところに”天使”と呼ばれる種族と”悪魔”と呼ばれる種族が住んでおりました。

 

 ”天使”と”悪魔”にはそれぞれの主がいました。

 それは”神”と”魔王”という主です。

 ”神”と”魔王”はあまりにも好対照の存在だったため下僕である”天使”と”悪魔”もそれはそれは好対照な性格をしていました。

 

 例を挙げると”天使”が「右!」と言えば”悪魔”は「左!!」と返し、

 ”天使”が草木を好むと”悪魔”は虫けらを好むといった具合です。

 

 ”天使”と”悪魔”はそれぞれ何万人という数存在しておりました。

 

 好みも性格も全く正反対の二つの種族はお互いを快く思ってはいませんでしたが、おのおのの存在は認め合っており、決して争うとことをしませんでした。

 

 一人でも欠けてしまったら自分たちが住んでいる世界のバランスが崩れ滅んでしまうことをどちらの種族もよく理解していたからです。

 

 争うこともなく、かといって仲良くすることもなく本当に奇妙なそれでいて絶妙なバランスを保っていたのです…!

 

 しかし、物事に「絶対」という言葉が存在しないが如く中には深い友情で結ばれていた”天使”と”悪魔”もおりました。

 

 ある日そんな二人が雲の上でお話していました。

 

 下界を見下ろしながら…

 

 天使は♀で名前はリル、悪魔は♂で名前はゼグといいます。

 

 

「ブヮサブヮサブヮサ……」

 ゼグの羽音です。

 一足先に待っていたリルはゼグのあまりの遅れように頬を膨らせていました。

「ゼグ、遅い!」

「ゴメン、ゴメン」

 ゼグが申し訳なさそうな様子で答えリルの隣に座りました。

「羽の調子がおかしいんだよ…」

「また…?魔王に診てもらったら…?」

「頼むから”魔王様”って言ってくれよ…!」

「あ…ゴメンね…」

「いやいや、遅れた俺が悪いんだ…」

 

 白い美しい羽を持ち、純白の衣装に身を包んだリルと黒く雄々しい羽を持ち、漆黒の衣装に身を包んだゼグが並んで座っている光景は素敵なコントラストを醸し出しております。

 

「……それにしても凄いな……」

 下界を眺めたゼグがボソリと呟きました。

「本当ね……」

 リルも同調します。

 

 下界、つまり人間が【住んでいた】世界は上から見ると全体が暗闇のもやで覆われていました。

 そして、所々で赤い炎がまるで斑点のようにポツポツと見え、時折それは勢いを増したり消えたりしていました。

 

 今度はリルがボソリと呟きました。

「生き残ってる人間いるかな…?」

「あれじゃ誰も助からないだろう…だって火柱がこっちまで昇ってきたんだぜ!」

「そうよね…私たちの仲間まで巻き添えになったもの…」

「俺らのダチも4人死んじまった…」

「そうだったんだ…」

「うん…」

「………」

「………」

 

 沈黙が二人を包みます。

 

「ケッ…!人間が『核融合爆弾』なんてものぶっ放すからこんなことになったんだ…!」

 ゼグが唾棄せんばかりに吐き捨てました。

「何回同じこと繰り返したら気が済むんだろうね…」

「いいんじゃね…?もうこんなマネできねぇだろ……ところで…」

「うん…!?」

「今回神は助けないのか…?」

「お願いだから”神様”って言って…!!」

「……悪かった……」

「仮に生き残りがいたとしてももう主様は手を差し伸べないでしょうね…だってこっちまで被害が及んだんですもの…人間は…自業自得だったのよ…!」

 

「そうかぁ……なぁ、リル……」

「うん…」

「俺たちはああいう風にならないよな…?」

「どうしたのよ急に…?」

「うん、何だか下界のザマって俺たち種族に対する戒めのような気がするんだよなぁ…」

「戒め…?」

「ああ…何だか『お前らも堕落したらあのようになるぞ!』って戒めなんじゃないかなって…」

「戒め……そっかぁ……戒めかぁ……」

「うん…」

「………」

「………」

 

 再び言いようのない沈黙が訪れました。

 

 すると突然、

「あっ…!」

 リルが顔を上げました。

「どうした…?」

「主様が呼んでるの…新しい生物を創造されるから手伝うようにって…」

「それじゃ仕方ないな…」

 ゼグが立ち上がりました。

「どのみち俺の方も地獄行きの人間どもを管理しなくちゃいけないから…」

「お互い忙しくなるのね…」

 リルも時間差で立ちました。

「そうだな……」

「ねぇ、ゼグ…」

「何だ…?」

「私たちまた会えるよね…?」

「何しんみりしてるんだよ…大丈夫、また会えるよ…!」

 リルとゼグは向かい合いしばらく見つめ合っていました。

 

「じゃあね…!」

「じゃあな…!」

「サワッサワッサワッ…」

「ブヮサブヮサブヮサ……」

 

 羽音まで好対照でした。

 お互いまた会えることを確信して別れました。

 リルは南へ、ゼグは北へと飛んで行きました。

 

 

 あとには暗闇の下界だけが残りました。

 

 

 

 

 

 

≪完≫

 

 

 

 

 

 

 

 


 

上の絵はお友だちのKURUMIさんからいただいたものです。

この絵からインスパイアされて今回の物語を書きました。

KURUMIさん、素敵な絵をありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

*この物語はフィクションです。

 

Copyright (C) 2007 by drivemycar All Rights Reserved

 

 

 惚れちゃった……

 いや、マジで惚れちゃったんだ…!

 どうしよう…この気持ち、あの娘に伝えないと…!

 

 

×××××××

 

 

 あ、自己紹介しないとね!

 僕は堀米武士(ほりごめ たけし)。

 東京の某私立高校の1年生。

 

 こう言っちゃ何だけど優等生!

 勉強のし過ぎで目が悪くなっちゃってメガネをかけてる。

 みんなからは”ハカセ”って呼ばれてるんだ…

 本当はお笑い芸人のように”ゴメっち”って呼んで欲しいんだけど。

 

 ありがちなあだ名つけやがって…!

 

 勉強は超得意だけど運動は超苦手。

 あ、いま僕”超●●”なんて流行言葉とか使っちゃった…!

 さすが僕!!

 でも”パネェ”ってどんな意味かわからないんだよねぇ…

 誰も教えてくれないし…

 ”ツンデレ”ならツンデレ喫茶に通ってるから意味知ってるんだけど誰も訊きにこないし…

 

 あ、そうそう!

 僕の惚れた娘の話をしないと先に進まないね!

 何だか退屈そうにしている君たちの姿が見えたから核心部分に進もう。

 

 あの娘の名前は中村千晶(なかむら ちあき)ちゃん。

 同じクラスの娘さ。

 僕は目が悪いから一番前のど真ん中の席に座ってるんだけども、

 

 ど真ん中だよ、ど真ん中!

 内職も早弁もジャンプ読む事もできないんだよ!

 優等生はつらいよぉ……

 

 ゴメン、千晶ちゃんの話をしないと…

 

 千晶ちゃんは僕の席の左隣。

 女子の中では一番の優等生でとても真面目!

 ある時フッと左を向いた時にビビッときたんだよね…

 天才は天才に惹かれるのかな…?

 

 千晶ちゃんも目がすごく悪いんだ。

 僕よりももっと分厚いレンズのメガネをかけて肩まで伸びた黒髪を三つ編みにしてる。

 その凛とした雰囲気に僕は完全KOされちゃったってわけ!

 

 思い立ったら即行動!

 千晶ちゃんに告白しよう!

 

 そう思ったんだけども、千晶ちゃんのことを何も知らないでいきなり告白するのはアホのやること。

 ゴメっちは念入りに下調べをしてから告白することに決めたんだ!

 

 今日から実行!

 

 まずは放課後に千晶ちゃんの後をつけて家を確かめるんだ!

 それから彼女の一日の行動をチェック!

 

 断っておくけどこれはストーキング行為じゃないよ。

 好きな人のことを知るための当然の権利なんだ!

 

 早く授業終わらないかな……

 

 あ、

 

 そんなことばかり考えていたら英語の先生に指されちゃった……

 

 チッキショウ、英語の神林(かんばやし)め!

 僕が一生懸命考え事している時に指すなんて何て陰険な奴なんだ!

 

「ハハハハハハハハ…!」

「ハカセダメじゃん…!」

「あだ名負けしてるぞ…!」

「キャハハハ…!」

 

 見ろよ、皆に笑われちゃったじゃないか、神林!

 僕はお笑い担当じゃないんだぞ、神林!

 

 そんな中、千晶ちゃんは違った。

 

「堀込君、ちゃんと授業聞こう、ね…」

 

 さすが千晶ちゃんだね!

 僕のことを想ってくれてるよ!

 メガネの奥の君の瞳がかすかに潤んでいるのを僕は見逃していないよ…!

 

 でも、千晶ちゃん”堀米君”はちょっと他人行儀だね…

 早く僕のことを”ゴメっち”って呼んでおくれよ…

 

 

×××××××

 

 

「キーン♪コーン♪カーン♪コーン♪」

 

 やっと授業が終わったぁっ!

 どことなくチャイムの音色も綺麗だったなぁ。

 もしかすると今からの僕を応援してくれるのかも…?

 

「ガタッ、スタスタスタ……」

 

 あれ…?

 千晶ちゃんもう帰っちゃった…?

 他の連中に挨拶しないのはイイけど、僕には一言「またね!」って行って欲しかったな…

 

 まぁ、いいか…

 どうせ今から後つけるんだし…! 

 

 こうしちゃいられない…!

 僕も帰ろう…!

 

「おーい、ハカセ!今日はツンデレ喫茶行かないのか…?」

 

 嗚呼、仲間が呼んでいる…

 ツンデレ喫茶…行きたいけど今日はそれどころじゃないんだ!

 

 許せ、同士たち。

 僕は恋に殉じるんだ…!

 

 千晶ちゃん、待って…!

 

 

×××××××

 

 

「ヒィヒィヒィ……」

 

 千晶ちゃん……

 歩くの早いよ…!

 っていうか歩き過ぎ…!

 僕は運動ダメだから30分以上歩くと息が切れちゃうんだよ…

 それでも3丁目の入り口まではつきとめたから後は中村姓の家を探せば大丈夫かな…

 念のため明日もう一度後をつけよう。

 

 それにしても…

 千晶ちゃん、自転車使ったら…?

 

 

×××××××

 

 

「ヒィヒィヒィヒィヒィヒィ……」

 

 千晶ちゃん……

 君は見かけによらず体力があるんだね…

 僕はまた君を見失いそうになったよ。

 けど今日は頑張ったなぁ…!

 やっと千晶ちゃんの家を見つけたんだ…!

 これも僕の努力の賜物…!

 

 これで家はOK。

 

 次はプライベートを調べないと…!

 

 今日は金曜日、夜また来よう…!

 

 

×××××××

 

 

 さぁ、夜だ!

 

 千晶ちゃんのことだからきっと部屋に篭って勉強してると思うけど… 

 それでも何時に寝るかとかわかればその後の僕の行動に大いにプラスになるからね!

 

 ん…??

 おやぁ…!?!?

 

「バタムッ…」

 

 千晶ちゃん…!?

 今22:00だよ…!?

 こんな時間にどこ行くの…!?

 

「スタスタスタ…!」

 

 うわっ、昼間なんかと比較にならないくらい足速い…

 追いかけないと!

 

「ダダッ…!」

 

 千晶ちゃん…

 

 どこ行くの…!?

 

 

×××××××

 

 

「スタスタスタスタスタスタスタスタスタ…・・・!」

「ヒィヒィヒィヒィヒィヒィヒィヒィヒィヒィヒィヒィヒィヒィヒィヒィ……!」

 ちょ・・・

 千晶ちゃん…!

 そんなに早足で歩いたら見失っちゃう…!

 もう少し僕のことを考えて歩いてくれても良いんじゃない?

 あ、僕が尾行しているの気づいていないのかもね…

 さすが僕…!

 

「スタスタスタスタスタスタ…!」

 千晶ちゃんさぁ、足音を立てずに歩くって凄いね!

 ”忍者スクール”にでも通ってたのかな…?

 都内に”忍者スクール”なんてないかぁ…!

 何だかずっと早足で歩いているから脳に酸素が行ってないらしくてつまらない考えしか浮かばないや…!

 

 もう15分くらい歩き続けているぞ…

 

 あれ…?

 

 暗くてよくわからなかったけど…

 今通り過ぎたコンビニの明かりで見えたけど…

 

 千晶ちゃん、ショートカットだったっけ…?

 今日の夜理容室行ったのかな…?

 あ、女の子だから美容室か…

 

 それとも…あの普段の三つ編みは…ヅラ…!?!?

 

 あれあれ……?

 

 暗くてよくわからなかったけど…

 今通り過ぎたパチンコ屋の角を曲がる時に見えたけど…

 

 千晶ちゃん、メガネは…?

 僕の心を釘付けにしたあのメガネは…?

 コンタクトに替えたのかな…?

 

 それとも…あの普段のメガネは…ダテ…!?!?

 

「スタスタスタスタスタスタスタスタスタスタスタスタ………!」

「ハァ、ヒィ、フゥ、ヘェ、ホォ、ハァ、ヒィ、フゥ、ヘェ、ホォ……!」

 

 うひゃあ、もう40分も歩いているじゃん…!

 

 千晶ちゃあん…

 

 僕不安になってきたよ…

 

 君は明らかに僕の知らない”別な顔”を持っているよね…

 

 とっても不安だよ、僕は…

 

 けど、君がどんな”別な顔”を持っていたとしても僕の君を思う気持ちは変わらないよ…!

 

 だから今夜はとことん君の後を追って君の”別な顔”を探し当てるんだ…!

 

 それが偽らざる僕の気持ちさ…!

  

「サササッ…!」

 

 ん……!?

 

 あのビルに入っていった…

 

 こ、ここは…!?

 

【たかまさ興業】

 

 ヤ……

 

 ヤクザの事務所じゃんかよぉ…!

 

 千晶ちゃん…

 

 君は一体何者……??

 

 「ヒィ…ヒィ…」

 おいおい、何でこのビルにはエレベーターがないんだよぉ…!?

 40分も歩いた上に何が楽しくて階段を上らなくちゃいけないんだ…!

「コツコツ……」

 あ、いや…ちょっと自分勝手な物言いになっちゃったね。

 僕は今千晶ちゃんの正体をしっかりと確かめなければならないところなんだ!

 泣き言は禁物…!

「コツコツ……」

 よぉし、もうちょいで事務所だ…!

 

 でもさぁ…

 僕は本当に不安だよ…

 

 千晶ちゃんは何しにここに来たんだろう…?

 

 もしかして千晶ちゃんはヤクザと付き合っているとか…!

 それとも…家で借金か何かしていて借金のかたになっているとか…!

 さらにその流れで麻薬か何か打たれて援交をしているとか…!

 

 いかんいかん…!

 どうしても悪い方に悪い方に考えちゃうぞ…!

 

 ポジティブシンキングだ、ゴメっち……!! 

 

「バダンッ、バダダンッ…!」

「rgjbんwrんぼwrんbmんwqびおwねりおbnォォォォッ…!」

 

 ん………!?

 

 何だ今の音…??

 

 最初のは何かが壁にぶつかった音じゃない…?

 次のは男の叫び声…!?

 は、早く行かなきゃ…!

「タタッ…」

 

「ブッギャァァァァァァァッ…!」

「ゴブアァァァァァァァァッ…!」

 

 ………!?

 凄い叫び声…!

 断末魔の叫びってこんな感じなのかな…?

 こんな声ホラー映画でも聞いたことないや…

 

 うわっ、ドア開けるの凄く怖いよぉ…

 ちょっとだけドア開けて様子を覗いてみよう…

 

 そしてもしヤバイ状況だったら警察を呼びに行こう…!

 

「カチャ…」

 

「ブッギャァァァァァァァッ……!」

 

 ヒィッ…!

 屠殺場の豚のような断末魔の声を上げていたのはヤクザの組員。

 いかにもって感じの真っ白なスーツが血煙に包まれている。

 最初は赤い斑点がポツポツ付いていく。

 それがみるみるうちに朱に広がってる。

 血煙を辿っていくと喉元からシャワーみたいに血飛沫が上がっている…

「………」

 僕はあまりのことで声さえ上げることができないでそこにへたり込みながらただ惨劇を見ていた。

「………」

 視線を別に移すと床には4人くらいの組員が同じように喉元から血を滴らせて倒れていた。

 ピクリとも動かないからもう死んでるんだろう…

「ムゥ……」

 今まで嗅いだこともないようなすえた臭いが僕の鼻を突く。

 それが血の臭いだと気づいたのは大分後になってからのことだった。

 

「や…やめろ…!金なら出すから…金ならいくらでも出すからやめろぉっ…!」

 中年男の声だ。

 一番奥の机に座っていたようなのでもしかすると組長なのかもしれない。

「そう言って死んでった人も沢山いるんじゃないの…?」

 その声は千晶ちゃんのものだった。

 

 僕は失禁しているのも忘れてぼんやりと、それでいて明瞭な意識でその光景を見つめていた。


「ガチガチガチガチ………」

 僕の歯は恐怖で鳴りっ放しだ。

 あの清楚で真面目な千晶ちゃんがヤクザの前で凄んでいる。

「………」

 少しずつ気持ちが落ち着いてくると色々な光景が見えてきた。

 千晶ちゃんは本当はショートカットだった。

 あの三つ編みはカツラだったんだ…!

 そして、メガネも伊達だった。

 (もっともコンタクトの可能性は否定できないけどね…)

 

 つまり今僕が見ている千晶ちゃんこそが”本当の姿”だったんだね…!

 

 ”本当の姿”…??

 お前はあれが本当の千晶ちゃんだと何で断言できるんだ、ゴメっち…!!

 

「ジャキッ、ジャキッ……」

「……!?」

 奇妙な金属音が千晶ちゃんの方からする。

 あれは…伸縮する警棒…!?

 いや、違う。

 刀だっ……!

 どういう仕掛けになっているのかちっともわからないけどあれは伸縮式の刀だ…!

 日本刀と警棒の中間くらいの幅の刃先だって言えば伝わるかな…!?

「ジャキッ、ジャキッ……」

 千晶ちゃんが刀を上下に振ることで伸び縮みしている。

 その音だったんだ…

 だから手ぶらで歩けたんだ…!

 

「な、頼む…金なら……」

「ブウゥゥンッ…!」

「ドゴッ…ボギャアァァァァァァァァァァァッ…!」 

 組長(?)が命乞いして金庫に行こうと背を向けた瞬間に千晶ちゃんがキックを出した。

 そのキックは組長の首筋辺りを綺麗に捉えて、ガマガエルのような叫びと共に床にぶっ倒れた。

「金じゃないのよ…!怨みを晴らしに来たの、わかる…?」

「痛い…痛い……」

 組長は僕みたいにガクガク震えて蛇に呑まれそうなカエルのような目つきで千晶ちゃんを凝視してた。

 

「わかるわけないわよね…いいわ、私が話してあげる。一ヶ月前に私の高校の先輩が自殺したんだけど…沢木夕子(さわきゆうこ)って子…」

「あ……」

「やっと思い出したのね。アンタたちがシャブ漬けにした上に売春させてボロボロにした子よ…!」

「おめぇ…友達だったのか…?」

「いいえ。話したこともないわ。私は沢木さんのお母様から依頼を受けて今ここにいる…」

「依頼って…!?!?」

「…ちょっと話し過ぎたわ…でも、これでお終い。話だけでなくアンタもね…!」

 

「ビシュッ……!」

 千晶ちゃんは刀を両腕に持ち直して、信じられないスピードで横に振った。

「グジュッ……!」

 刀は組長の左横腹を捉えた。

 肉が切られる瞬間の音を初めて聞いた。

 一生忘れることのできない嫌な音だった。

 

「オゲェェェェェェェェェェッ……!」

 喉が潰れたんじゃないかってくらいの野太い断末魔が事務所内に響いた。

「ジュブジュブジュブ……」 

「シャーーーーーーーッ!」

 肉の切れる音と血飛沫の音がシンクロしている。

「ガブッ…!」

 組長は口から血を吐いた。

「ブッ…!」

 釣られて僕も吐いた。

 

「ズズズ……ボドン…!」

 組長の身体は横に真っ二つにされたらしく上半身だけが落ち、血の海に沈んだ。

「ドッサァ…!」

 ほどなくして下半身も鈍い音を立てて倒れた。

 

「迷わず地獄へ堕ちなさい…!」

 

「ジャキッ…!」 

 千晶ちゃんは低い、抑揚のない声でそう言うと血曇りの付いた刀をサッと自らの服で拭き、素早く畳んで黒いズボンの右ポケットにしまった。

 今になって気づいたけど千晶ちゃんが全身黒ずくめの服装なのは返り血を目立たなくするためだったのだろう。

 反対側のポケットから大き目のハンカチとコンパクトを取り出した千晶ちゃんは器用に顔に付いた返り血を拭き始めた。

 

 その姿はとても美しかった。

 凛としていてとても美しかった。

 容姿こそ違うけれど僕が今まで見てきた千晶ちゃんだった。

 

 ずっとその姿を見つめていたかった。

 

 けど、僕の天国は長続きしなかった。

 

「次はお前の番だよ、堀米…!」

    

 組長へ向けていた般若のような表情で千晶ちゃんがゆっくりとこっちへ歩を進めてきたから…

 

「ニチャッニチャッ……」

 血塗れになった床の上を歩く千晶ちゃんの足音が響く。

「アガ………」

 僕は千晶ちゃんが持っている刀の妖しい光に惑わされたようで嘔吐感も治まっていた。

 

「お前さぁ、しつこいんだよ!何日も人のことつけ回してさぁ…!」

 教室では聞いたことのない千晶ちゃんの口調に僕はたじろいだ。

「まさか夜までは来ないだろうと思ってた私が悪かったんだけどね…このストーカーがっ!」

「ス…ストーカーなんかじゃないぞ…僕は、千晶ちゃん…君のことが…す……」

「黙れよ…」

 千晶ちゃんは妙に落ち着いた様子で、それでいて有無を言わさない態度で刀を僕の首筋に当ててきた。

「ピタッ……」

「ビィッ……」

 刀の切っ先の冷たさが僕に呻き声を吐かせる。

 どうやら僕はまた失禁したようだった。

 

 千晶ちゃんには内緒だけどね…

 

「まぁ、私にも油断があったんだね…良い教訓になったわ…さて堀米、殺される前にやり残したことはない…?」

 

 そんなのいっぱいあるよぉっ…!

 

 千晶ちゃんと一緒に学校行ったり帰ったりしてない!

 千晶ちゃんとデートもしてない!

 千晶ちゃんを僕ん家に招待してない!

 千晶ちゃんの家に遊びに行ってない!

 千晶ちゃんの手料理も食べてない!

 千晶ちゃんとキスもしてない!

 千晶ちゃんと●●●だってしてないじゃないか!

 千晶ちゃんとn7v47bn9gnmvルvン9いー2mv73r88923f789vm248ん2…!!!

 

 ………

 でも、考えようによってはこういうのもイイかもね…

 僕は愛する人の手にかかって命の花を散らすんだ…!

 こんなこと誰でも経験できることじゃないよぉっ…!

 僕は世界一の幸せ者だぁっ…!

 

 さぁ、千晶ちゃん…!

 早く僕を殺って…!!

 

 ん……!?

 ひぃっ……!?

 ひゃあ……!?

 

「千晶ちゃん、後ろ後ろぉっ…!」

「……!?」

「オアァァァァァァッ……!」

 組員が一人生きていたのだ…!

 手にナイフを持った血みどろの組員がゾンビの如く千晶ちゃんめがけて突進してきた。

「ハッ……」

 軽く気合を入れる千晶ちゃん。

「ビッ、ビッシュウウウッ…!」

 目にも止まらぬ速さで刀を一振りすると、

「ガッハァ……ボドンッ……」

 刃は組員の首にめり込み胴体から切り離した。

「スチャ……」

 刀をしまった千晶ちゃんは穏やかな表情になっていた。

「借りができたわね…」

「!?!?」

「命は助けてあげる。」

「へ…!?」

「明日の昼休み第2音楽室へ来て。」

「!?!?」

 そう言い残して千晶ちゃんは組事務所を去った。

 

 僕は何が何だかさっぱりわけがわからなかった…

 

 

×××××××   

 

 

 翌日の昼休み。

 第2音楽室。

 鍵は中から閉められている。

 

 千晶ちゃんが吹奏楽部だってことを恥ずかしながら僕は初めて知った。

 

「ポロロロロ~ン、ポロロロロ~ン、ポロロロロ~ン、ポロ~♪」

 千晶ちゃんは備え付けのピアノを弾いている。

 スローテンポの曲なんだけど凄い上手…!

「堀米この曲何ていう曲か知ってる…?」

「いや…」

「そんなんでどこが”ハカセ”なのかしら…!この曲はメタリカの『エンター・サンドマン』っていうの…!」

「へぇ…」

「本当はスラッシュメタルといってもっと激しい曲なの…」

「へぇ…」

「『へぇ…』ばかり言ってるんじゃないわよ…!もういい…!私が一方的に喋るからアンタ黙って聞いててちょうだい…」

「ハ…ハイ…」

 

 そう言うと千晶ちゃんはピアノを弾くのを止め、立ち上がって語りだした。

 

「私が何を言いたかったかっていうと私は”中村千晶”って一人の人間だけど、その中には色々な”顔”があるってことなのよ。」

「………」

「学校での私はあまり目立つことのない単なる学生なんだけど、家での私は先祖代々伝わる家業を手伝う仕事人なの…」

「………!?」

「声に出さなくて良いからジェスチャーで答えて。『中村主水』って知ってるわよね?」

「ブンブン…」

「呆れた!ホントに”ハカセ”って見た目だけじゃないの!」

「………」

「いいわ……『必殺仕事人』って時代劇が昔あったのね、その主役が『中村主水』って同心なんだけど…私のご先祖様なのよ。」

「………!!」

「時代劇のキャラクターじゃなくて実在の人物だったの。それで私の家はご先祖様から伝わる”仕事”を請け負っているのよ。金で怨みを晴らすのがその仕事…」

「………」

「昨日も沢木さんのお母様からの依頼でああして”仕事”をしたってわけ…」

 

 千晶ちゃんが仕事人…!?

 中村主水が実在の人物…!?

 僕はますますわけがわからなくなっていた。

 

「何故私が全てをアンタに話したかわかる…?」

「ブンブン…」

「アンタに借りを作っちゃったことが私にとっては大きな汚点なの!本当はこの場でバラしたいほど腹が立っているのよ、自分自身にね……けど、アンタをバラすよりももっと面白くて役立つ方法が思いついた…!」

「!?」

「私の秘密をアンタに話したことによってアンタも私の共犯者にしたのよ!いや、”共犯者”って表現は正しくないわ!アンタはこれから私の”奴隷”になるのよ!私が”仕事”をする時はアンタもついて来て私の手伝いをするのよ…!もちろん下手なことしたら罰を与えるし、もしこのことを一言でも誰かに漏らそうものなら私がアンタの首を刎ねて血を漏らさせてやるわ…!」

 

 僕が…千晶ちゃんの奴隷に…!?

 

「アナタは生きてる限り一生私の手足、駒となって尽くすのよ…!嫌なら死刑…!どう、堀米…?楽しいでしょう…?キャハハハハハハハハハハ…!」

 千晶ちゃんが狂ったように笑い出した。

「キャハハハハハハハハハ…!」

「ジャアァァァァァァァーンッ……!」

 乱暴に両手をピアノに叩きつける千晶ちゃん。

「話はこれでお終い。後は私が呼び出すまで普通に暮らしてて構わないわ…あ、学校では今まで通り気安く話しかけないでちょうだいね!ちょっとでもヘンな素振り見せたら蹴り飛ばしてやるわ…!キャハハハハハハハハハ…!」

「ジャアァァァァァァァーンッ……!」

 また不協和音を鳴らした。

「じゃあね!」

 一通り話し終えると千晶ちゃんは僕を一瞥もせずに第2音楽室を後にした。

 

「………クックックッ………」

 一人取り残された僕は何だか可笑しくなって笑いを堪えきれなくなり、

「アハハハハハハハハハハ…!」

 思い切り馬鹿笑いしちゃった。

 

 だってそうだろう…!?

 

 図らずも千晶ちゃんは『色々な顔がある』って言ってたけどその中の一つを僕は引きずり出すことに成功したんだぞ…!

 

 千晶ちゃんがあんなにサディスティックな人間だとは思わなかったなぁ…!

 そして僕も…

 

 そんなことはどうでもイイや…!

 

 僕は千晶ちゃんとこれからも一緒にいられるんだ!

 デートもキスもエロいこと何一つできないかもしれないけど僕はずっと千晶ちゃんと関っていけるんだ…!

 

 こんなこと誰でも経験できることじゃないよぉっ…!

 

 

 僕は…

 

 

 僕は世界一の幸せ者だぁっ…!


 

 

 

 

~The End?~

 

 

 

*この物語はフィクションです。

 

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