Drivin' with The Devil

主に自作小説・ロック論・マンガ論などを”狭く深く”書いてます。 どうぞ気軽に楽しんでいってください。。。!! 

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 君は………

 

 君に逢ったのは、5年振りだったかな?それとももっとだったかな…?

 

 僕の記憶の中の君は明るく活発な女の子。

 

 自然の中で思い切り自分の存在を誇示していたっけ…

 

 でも5年振りに再会した時、あまりの変わり様に僕は絶句してしまったんだ…

 

 君の表情(かお)からは明るさが消えて、誰にも心を開かない娘になっていたから…

 

 けど……

 

 何て言ったら良いんだろう…?

 

 逆に昔との極端な落差が僕の気持ちを捕らえて離さなくなってしまったんだ…

 

 どうしてそうなったのかは今でもよくわからない…

 

 それを他人は”恋”って言うのかな…?

 

 とにかく僕の進む道は君のおかげでガラリと変化してしまった。

 

 咎めているんじゃないんだよ…

 

 むしろ君に感謝しているんだ!

 

 無味乾燥だった僕の心に潤いをくれたのは君だし、

 

 何より命を賭すことの尊さを君は僕に教えてくれた。

 

 ありがとう!

 

 それにしても久し振りに逢った君は……

 

 君は……

 

 人間とは思えなかった…

 

 君はとても脆い氷の彫像みたいだった…

 

 君は……

 

 生きる時代を間違えた妖精みたいだった…

 

 君は……

 

 

 僕の名前は野瀬丈也(のせ じょうや)。

 

 長いようで短い…

 

 それでいて久遠の夏が今、始まる…

 

×××××××

 

 記録的な猛暑となっているある年の7月末のこと。

 

「ズザァーーーーーッ」

 船が水面を切り裂いている。

 ここはM県のH市。連絡船がU島へ向けて就航している。

 

 H市はかつて漁業の町として栄えていたが、200海里問題を機に水揚げが減少。一気に寂れてしまい町中は閑散とした状態となっている。

 H市の一部となっている離島U島もH市が上向きだった頃は風光明媚な自然と海の幸を売り物にした観光地として賑わっていたのだが、やはり本体の衰退に歩を合わせるように現在は過疎化が進んでいる。

 

「ガヤガヤガヤガヤ…」

 そんな連絡船に乗っているのは本土へ買い物に出ている高齢の主婦層ぐらいで数にするとおよそ7、8人といったところ。彼女らは航行の間中キツイ東北訛りで近所の噂話などで盛り上がっていた。

 

「………」

 そんな中にあって明らかに場違いな雰囲気を持った中学生と思しき少年がポツンと船の外に出て無言で佇んでいた。

 少年は野瀬丈也。

 15歳。東京在住の中学3年生だ。

 夏休みを利用して親戚が住んでいるU島にやって来たのだ。

 表向きは受験勉強の為の合宿として…

「………」

 丈也は船によって勢い良く切り裂かれている水面を見つめようと身を乗り出した。

「………!」

 ふと客室を見やると船員らしき中年男が丈也をジッと睨みつけていた。

 どうやら丈也が間違いを起こすのではないかと不安がっているようだった。

(やれやれ…)

 たった一人での船旅、しかもさして有名とは言い難い島への旅なので訝しがられるのもやむなしではあったのだが、周りからそのような目で決めつけられてしまう年代にあることを丈也は嫌っているようであった。

「サッ…」

 とはいえ勘違いされるのは本意でないので決して海へ落ちない体勢をとった上で再び海面を見つめ出した。

「プツプツプツ…」

 波の飛沫が更に細かい粒子のようになって丈也の顔に当たる。

 それが何だか今の彼にとっては心地良いものであった。

 「…おっ…!?」

「ニャア、ニャア…」

 丈也は驚いた。

 いつの間にか何十羽ものカモメが船を取り囲んでいたからだ。

 どうやらエサにありつけると思ったらしく丈也の周りを旋回している。

「ニャア、ニャア…」

 エサをねだる動物の仕草というのは可愛いものだ。

 しかし、丈也はカモメに分け与えられるような食料を持ち合わせていなかった。

「……?」

 再び客室に目をやるとカモメのエサを200円で売っている旨のポスターが見えた。

 が、丈也は客室に決して入ろうとはしなかった。

「ニャア、ニャア…」

「ゴメンな…後から来る客からもらってくれよ…」

 そういうと大きく伸びをして深呼吸を2、3度行った。

 

「ズザァーーーーーッ」

 目指すU島が見えてきた。

「バッ…!!」

 丈也はさりげなく身を乗り出した。

「ズザァーーーーーッ」

 船は心なしか逸る丈也の気持ちに呼応するかのようにスピードを上げていた。
「ズゥゥゥゥゥ…」

 船着場に無事連絡線が着いた。

「んだがらや~っ」

「ちげぇって!そんなごとねぇって…」

 主婦連が我が物顔で騒々しく船を降りていく。

「グラッ…!」

 彼女たちがドスドスと音を立てて歩く度に船が揺れた。

「……」

 その様子を丈也は何かテレビを観たくもないのにボンヤリ眺めているような感じで見つめていた。

「ツカツカ…」

 不意に足音が聞こえた。

「!!」

 丈也はハッとして足音の方を見やるとそこには彼を監視していた船員が立っていた。

「お客さん、降りてもらわないと困るんだけど…」

 若干東北のイントネーションを残した極めて事務的な口調で話しかけてきた。

「ごめんなさい…」

 誤りながらもその決して良いとは言えない態度に丈也は嫌悪を覚えた。

 そして急にこの船員に仕返しをしてやりたい衝動がふつと湧き上がってきた。

 彼はクルっと船員へ顔を向けると、

「ねぇ、船員さん…」

 と話し始めた。

「…!?」

 船員はどことなく不安げな表情になった。

「船員さんは今幸せですか?」

「へ…?」

 予期せぬ質問に目を丸くする船員。

「アナタは多分30代後半で、結婚して子供もいるでしょう?この仕事もおそらく10年以上やっていてベテランの部類に入るでしょう?でも、それってアナタが思い描いてた夢の通りの生活ですか?」

「…!?」

 船員の顔がみるみる上気してきた。

 それは丈也も気づいていた。

 が、一度走り出してしまうと収まりがつかない。

「知りたいんですよ、何でアナタがこんな場末の船の船員を務めているのか?で、僕みたいなよそ者が来ると敵愾心に満ちた目をするのか?何よりも今の生活でアナタがどんな生き甲斐を見出しているのかを!」

「このくそガキゃあ!!」

 矢継ぎ早のヒリヒリする質問に船員が怒りを露にした。

 彼は今にも飛びかからんばかりの勢いで丈也に迫ってきた。

「クッ…!!」

 丈也も事のヤバさに感づいたようで、傍らにあったボストンバッグをグイと掴んでその場から離れた。

「待て、この…」

 遠くの方から船員の怒声が聞こえる。

「タッタッタッ…」

「ハァハァハァ…」

 丈也は後ろを振り返ることなく走り続けた。

「ハァハァハァハァ…」

 走りながら丈也は頭の中がからっぽになっていく感覚を覚えた。

 今抱えている悩みが全部消えていくような感覚を。

 ほんの一瞬のことと知りつつ…
「タッタッタッタッ…」

 丈也は走るのをやめなかった。

 もうとっくに船員の声など耳には飛び込んでこなかったのだが…

「タッタッタッタッ…」

 まるで見えない何かから逃げているかのように走り続ける丈也。

「ダァァァァァッ…!」

 丈也は何故か大声を出した。

「ダッダッダッ…!」

 丈也の走るスピードが更に上がった。

「ヒィ、ヒィ…」

 既に息遣いは限界を超えたものになっているようだ。

(………)

 走っている途中で何人かの島民とすれ違ったことをうっすらと感じた。

 何だか怪訝そうな視線が刺すのを皮膚感覚で悟った。

 無理もない。

 人口1000人に満たない島で見たことのない垢抜けた少年、よそ者が憑かれたように走っているのだ。

「ダッダッダッダッ…」

 それでも丈也は走るスピードを緩めない。

 右手に握り締めているバッグの重さがズンとのしかかってきた。

 すると突然、

「ガクンッ…!」

 丈也の右足が虚空を踏んだ。

「うわぁっ…!?」

 体勢を崩す丈也。

「バダンッ!」

 勢い良く転んでしまい、

「ズザザザザァッ…」

 そのままどこかへ転げ落ちた。

「……痛ぅっ……!?」

 したたかに膝を打ったようだった。

 丈也はうつ伏せの状態で呻いた。

 鈍い、それでいて確実に擦り剥いて出血しているであろう痛みがジクジクとしている。

「……」

 丈也が落ちたのは土手だった。

 草いきれの青い匂いが丈也の鼻をついた。

 あまりに一心不乱に走っていたので道の切れ目が判らなかったらしい。

「参ったな…」

 誰かが見ていたのではないか?という羞恥心から出た独り言だった。

「ま、いいか…」

 気を取り直した丈也はおもむろに仰向けになった。

「……」

 そのまま空を眺めた。

「………」

 今までに見たことのなかった紺碧の青空、綿菓子のような入道雲、そして優しく照りつける太陽。

「………すげぇ……!」

 こうして冷静に空などを見てこなかったことを丈也は悔やんだ。

「………」

 そのまま数分間の間、瞬きをするのも惜しむように空を見つめ続けた。

「…!?」

 突然左手に感じたむず痒い感覚に驚く丈也。

 見ると一匹のテントウムシが丈也の手首から肘に向かってつたっていた。

「ハハッ…!」

 明確な意思を持たずにただひたすら歩み続ける虫の行動に丈也は無邪気な気分になった。

「…!?」

 今度は急に右手に同様のむず痒さを感じた。

 右手の掌の辺りにカブトムシの幼虫を小さくしたような白い芋虫がいた。

「!!」

 丈也は慌てて起き上がり右手を振り払った。

「ポーン」

 芋虫は無残にも放り捨てられてしまった。

「………」

 自分の行動の矛盾に気づく丈也。

(何で…芋虫を捨てた…テントウムシは気にならなかったのに…)

 ”形が違う”という理由だけで芋虫を排除した自分が何だかとても悪いことをしてしまったような感覚に陥った。

「……」

 しばらくそのままの姿勢で佇んでいた丈也だったが、諦めたような表情を浮かべてポケットから何かを取り出した。

 手の中にあるのはタバコ。

「カシュッ!」

 Gパンのポケットからジッポーライターを出すと慣れた手つきでタバコに火を点けた。

「フゥー…!」

 丈也が息を吐くと紫煙が青空の中に混じった。

「……」

 さっきの行動の矛盾点を思い出すと何故か膝が疼いた。
「よいしょ…」

 丈也は上半身を起こした。

「フゥーッ…」

 そしてさらにタバコを吸い込み、紫煙を吐き出した。

 その姿はどこか溜まっているストレスをタバコの煙と共に出している、そんな風に見えた。

「……」

 今度は川のせせらぎを眺めている丈也。

「ピチャッ…!」

 何かが川面を跳ねた。

「おっ…!」

 丈也は驚きの目で川面を見つめた。

 はっきりと判断はできなかったが20?程の魚が小集団を作って餌を求めているようだった。

 鮒なのか?それとも岩魚なのか?

「…」

 丈也は再び仰向けになって青空を見つめながらの喫煙に没頭し出した。

(母さん、母さんは『U島みたいな環境だったら存分に集中して勉強できるわね!』って喜んで僕を送り出してくれたけど…僕がこうしてタバコ吸ってる姿を見たら母さんはどう思うんだろう…?)

 何気に身体の向きを右に傾けた。

 さっきは気づかなかったけど丈也が座っている辺りはシロツメクサの群生場所だった。

「……」

 何とはなしに四つ葉のクローバーを探す丈也。

 しかし、すぐに集中力が切れてしまう。

「もう…!」

 また仰向けになった。

(でも、母さんはとっくに気づいているけどシカトしているだけなのかもね…)

 そして脈絡もなく先般の想像の続きを行った。

「…!!」

 ふと土手の上の方を見ると中年女性が一人、訝しい表情で丈也を凝視していた。

 その表情からは明らかに”見たことのない少年がタバコを吸っている”ことに対する嫌悪感が滲み出ていた。

「ケッ…!」

 丈也は舌打ちで嫌悪感を表した。

 その嫌悪感とは”未成年の喫煙”よりも”よそ者”の部分に中年女性が重きを置いていることが丸わかりだったからだ。

「スクッ…!」

 立ち上がる丈也。

 キッと女性を睨みつけた。

「どうしたんですかぁっ?何か言いたいことでもあるんですかぁっ?」

 わざと腹の底から大声を出した。

 予想していなかった反応らしく、女性が身を固くした。

「は、灰皿もねぇのに…どこにそいづ捨てんのや…?」

 一見的を得た意見のようだったがやはり”未成年の喫煙”という根本には触れてこない。つまり自分のことを考えての発言ではない、ということだ。

 丈也の瞳に冷たい光が射した。

「スゥ…フゥーッ…」

 そしてオーバーアクションで一服をすると、

「灰皿…?ありますよ…!」

「ギュウゥッ…!」

 思い切り右手で火の点いたタバコを握り潰した。

「ジュッ…!」

 自分の掌が焦げる音を確かに丈也は聞いた。

「わ…わぁ…!」

 丈也の常識外の行動に驚いた中年女性は踵を返してその場を立ち去った。

「つまんねぇ道徳観持ち出しやがって…!」

 唾棄せんばかりの勢いで独りごちた丈也。

「あぁっ!!」

 怒りにまかせて右手の中のタバコを放り捨てようとするが、

「……!」

 さっき見た魚の群れを思い出して思い留まった。

「…ゴメン…」

 そう言うと丈也は吸殻をGパンの右ポケットに無造作に突っ込んで土手を登り出した。

 今度は膝ではなく火傷した右手が痛みで疼いた。
「ザクッザクッ…」

 丈也が土手を登る時に鳴る足音はどこか毛羽立ったような雰囲気を宿していた。

「……」

 登り切ると視界には過疎とまではいかないがどこかひなびた町並みが飛び込んできた。

「……」

 再びタバコが吸いたくなった丈也だったが、さすがに堪えた。

「スタッ…」

 民家が軒を連ねる通りへ向けて歩み始める丈也。

「……」

 改めて周囲を見回す。

 木造やモルタルの一軒家ばかりだ。

 新築の家は全く見当たらず、海風から来る塩分によって錆び放題の鉄階段などが目に付く。

(…自然…スゲェよな…人間が作ったモノを結局はこうやって壊していく…)

 そんなことを思いながら丈也は歩いていた。

(このとてつもない場所に生きている僕は…目の前の”受験”という波でもがいている僕は…小さいなぁ…)

 自分が心に抱えている悩みとこの風景を重ね合わせると何だかとてもうら寂しい気分になってしまい、次第に頭を垂れながら歩いているのだった。

「……」

 真っ昼間だというのに人がいないこともその気持ちを増幅させる役割を果たした。

 すると突然、

「丈ちゃーんっ!!」

 男の子の声が遥か後方から聞こえてきた。

 いや、突然聞こえてきたわけではないようだった。

 丈也は物思いに耽っていたので一回では気づかなかったのだ。

「丈ちゃんてば!!」

 声はだんだん近づいてくる。

「!?」

 ハッと我に返った丈也が振り向くと自転車に乗った小学生らしき少年が猛スピードでこちらへ向かって来ていた。

「やぁ…」

 思わず丈也の顔にも中学生らしい微笑が浮かんだ。

「賢(まさる)じゃないか!どうして…?」

 やっと追いついた賢が息を切らしながら丈也の問いに答える。

「ハァハァ…どうしてじゃねぇべよ!おら丈ちゃんば迎えに行こうとして船着場さ行ったのに…」

 賢は小学4年生。丈也の父方の従弟にあたる。

 丈也は賢の家に約一月間世話になることになっていた。

 この海に囲まれた環境の中で受験勉強に勤しむのだ。

「あぁ…でも迎えに来るって聞いてなかったから…」

「いや、おら言ったぞ!」

 賢の綺麗に丸刈りされた髪型、青いタンクトップに半ズボンという出で立ちが何ともいえない田舎臭さというか懐かしさを醸し出している。

「ゴメンな…土手で色々考え事していたんだ…待ってれば良かったな…」

 丈也は心底申し訳なく思い賢に謝った。

「許さねぇ!!」

 思わぬ怒声に丈也が硬くなった。

「んでも”ブラック・ナイト”の攻略法教えてくれたら許すっちゃ!」

 その様子を見て賢が笑う。 

 ”ブラック・ナイト”とは今流行っているゲームソフトだ。

「アハハ…そんなので良いんだったらすぐ教えてやるよ!早く行こう!」

 ホッとする丈也。

「早く行くべ!」

 待ちきれない様子の賢はそう言って自転車に乗り、一足先に走り出した。

「ハハッ…」

 その様子を何だか羨ましそうに見つめる丈也だったが、

「…?」

 自転車の後部の泥除けに賢の名札が貼ってあった。

 そこには

[海斗 賢(かいと まさる)]

と野瀬姓ではない苗字が書いてあった。

「……?」

「ジィー、ジィー…!」

 丈也の疑問を乱すかのように遠くでアブラゼミが鳴き出した。


 

×××××××

  

 ここは賢の家。

 およそ400坪という広大な土地の中にいかにも昔風の瓦屋根が勇ましい2階建ての母屋があり、その隣には母屋より歴史を感じさせる土蔵が並列して建っていた。

 典型的な田舎の土地持ちの家のようだ。

 そして庭を挟んで向い側に平屋の離れがポツンと建っていた。

 この離れで丈也は受験勉強に勤しむことになるのだ。

 しかしながらまだその時は始まっていないようで…

「ピキューン、ピキューン…♪」

 母屋のリビングからコンピューターが奏でるBGMが聞こえてくる。

「それっ!このっ!」

 賢の勢い立った大声も同時に飛び込んでくる。

 丈也と賢の二人はリビングで家庭用ゲーム機を用い”ブラック・ナイト”というゲームをやっていた。

 どうやら今はこの二人しか家にいないようだった。

 表の厳めしい瓦屋根からは想像できないほどリビングは洋風だった。

 小型のシャンデリア、エアコン、液晶テレビ、そして絨毯。

 これは丈也の偏見でしかなかったのだがある意味僻地でも家の中にはしっかりと現代の生活機器があった。

 液晶テレビからは薄暗いゲーム画面が流れている。

 どうやらアクションゲームらしくポリゴンで作られたいかにもなキャラクターが画面内を大暴れしていた。

「このっ!死ねっ!」

 賢の興奮度は頂点に達しているようだった。

「……」

 丈也はそんな賢を使用できない2コントローラーを玩びながら見つめていたが、

(『死ねっ!』はないよな…)

と妙に冷静な気分になってしまい、いたたまれなくなってテーブルにあったオレンジジュース入りのコップを引き寄せ。

「ンクッ…」

 一息に飲み干した。

「ビシューンッ…!」

「やったあっ!!」

 どうやら難関を突破したようだ。

 落ち着いた賢はゲームをセーブしてコントローラーを置き、

「ングッ…」

 自分のコップのオレンジジュースを丈也以上の勢いで飲み干した。

「賢上手じゃん、俺の情報とかいらなかったんじゃないか…?」

 動作の終了を待ちかねたように丈也が話しかけた。

「そんなごとねぇど。丈ちゃんの攻略法ねがったらもっとクリアめんどかったと思うど!」

 賢は素直に丈也の持っているゲーム知識を称えた。

「そうか…これは2時間以内で全クリすると裏面がプレイできるんだよ。」

「嘘ぉ…?」

「ホント。だから賢もこのペースでいきゃ2時間切れるからなるべくセーブしないでゲームを進めていくとイイよ。下手すりゃ明日にでも解けるかも…」

「マジ…?んだら早くやんねぇと…!」

 休憩もそこそこに再びゲームを始める賢。

「……」

 そのあまりの直情さに丈也は笑みを浮かべた。

「……」

 不意にリビングを見回す丈也。

「……」

 やはりそこから叔父の高次(こうじ)の影を感じることはできなかった。

 さらに…

 丈也は思い切って疑問のひとつをぶつけてみることにした。

「賢」

「ピキューン、ピキューン…♪」

 夢中になり過ぎてるようで返事がない。

 丈也は少しカチンときたが、その気持ちを抑えてもう一度声をかけた。

「なぁ、賢…」  

「何…?」

 今度は返事があったが顔はゲーム画面に向いたままだ。

 丈也は構わずに続けた。

「美久(みく)は今日どこに行ってるの…?部活…?」

 美久とは賢の姉で14歳の中学2年生。当然丈也とは従妹の関係にある。

「知らない…」

 賢は驚くほど抑揚のない調子で答えた。

「出かけてるのか…?」

「知らねぇって…!」

「…!?」

 今度は怒声に変わった。

 明らかに姉を拒絶した、姉の話などしてくれるなという感じだった。

「……」

 丈也の中に言いようのない怒りの感情が湧いてきた。
「……」

 湧き上がってくる憤怒の感情を押し殺すために丈也は黙っていた。

 まだこの島に来てわずか一日、ここで賢に怒りをぶつけるとその先にどんな結果が待っているかぐらい丈也にもわかっていたのだ。

「ピキューン、ピキューン…♪」

 賢は無言でゲームに興じていた。

 どことなく丈也に言い過ぎてしまったような気持ちがそこには見られた。

 その感覚を察知した丈也が努めて静かな口調で再び尋ねた。

「賢…姉ちゃんに何かあったのか…?」

「ピキューン、ピキューン…♪」

 すぐに答えない賢。

 ただ、また質問されることは予想していたようで、

「姉ちゃんなぁ…」

 少しずつ話し始めた。

「姉ちゃんなぁ、中学になってからクラスでイジメられるようになったんだや…」

「!?」

 全く予想だにしない回答であった。

(美久がイジメに…?あんなに明るい娘がどうして…?)

 丈也の頭の中で様々な想像が錯綜した。

「イジメ…何で…?」

 こう返すのが精一杯だった。

「そんなごとおらにもわがんね…んでも、父ちゃんが出て行ってからだ…姉ちゃん暗くなっちまってよ…」

「!?」

 叔父の高次が家を出た。

 それは丈也にとって二重の驚きだった。

 高次は丈也の父高一(こういち)の弟である。

 これで賢の姓が変わっていたことも納得できた。

 海斗姓は叔母久子(ひさこ)の旧姓なのだろう。

「……」

 丈也は今更ながら疑問をストレートにぶつけ過ぎた自分の無神経さに動揺した。

「ゴメンな、何も知らないで…」 

「丈ちゃんが謝ることねぇべ…」

 頃合いでゲームを一旦打ち切った賢がコップにオレンジジュースを注ぎ、さっきと同じように一気飲みした。

「とにかく父ちゃんが出てってから姉ちゃんは変わったんだ…そっからイジメられるようになって、学校にも行ったり行かなかったりしてよ…家にいても部屋から一歩も出ない日があったと思ったら出てったきり戻って来ない日もあるんだ…今日はいねぇみたいだ…いつ帰って来るんだかや…」

「……」

 丈也は何だかいたたまれない気分になっていた。

 自分がこの家にとって招かれざる客のような感じさえした。

「そうか…」

 が、自分のこと以上に美久のことが気になった。

 過疎化がゆっくりと進行しているある種閉鎖された空間であるこの離島U島では離婚ひとつとっても島をあげての話題になることは想像に難くない。

 好奇の目で見られて美久や賢はどんな思いで暮らしているのだろう。

「……」

 そう考えると丈也は自分の身が切り裂かれるような感覚に陥った。

「ピキューン、ピキューン…♪」

 雰囲気のマズさを打ち消そうとしてだろうか、賢はゲームを再開した。

 すると…

「バタン…!」

 玄関のドアが開く音が聞こえた。
「ただいま…」

 おばの久子の声だった。

「ドタッ、ドタッ…」

 靴を脱いで廊下を歩く音が聞こえる。

 しかし、その足音は久子一人だけのものではなかった。

「ドタッ、ドタッ…」

 乱暴なその足音は明らかに男のものだった。

「…!?」

 丈也は混乱していた。

「……」

 ふと賢の方を見やると平然とした様子でゲームを続けている。

「アラ、丈ちゃん…!」

 頓狂な声と共に久子が姿を現した。

 漁村に似つかわしくないケバケバしい化粧と服装だった。

 香水の匂いが丈也の鼻を突き、心なしか彼はむせ返った。

「こ、こんにちは…久しぶりです…」

 伏し目がちに挨拶をしてしまう丈也。

「何だや…?誰か来てんのか…?」

 野太い男の声が飛び込んできた。

「ん…?」

 久子の後からスーツ姿でオールバックのでっぷりとした中年男が現れた。

「誰や…?」

 丈也を一瞥した上で男は久子に尋ねた。

「東京の親戚の子。来年受験なんでこっちで勉強させたいって連絡あったのよ…」

 久子の返答はどことなく丈也を歓迎していないような複雑なものを含んでいた。

「もっと遅い時間に来ると思ってたんだけどねぇ…あ、紹介が遅れたなや…丈ちゃん、こちらはこの島の助役さんで村井(むらい)さん…」

「はじめまして」

 久子の時とは違い、丈也はスクッと立ち上がって村井の正面に立ち、きっちりと頭を下げて挨拶した。

 どことなく村井に小馬鹿にされたような気がして我慢ならなかったのだ。

「……」

 そのまま数秒間、ガンをつけるような勢いで村井を見据える丈也。

「……」

 村井もそれに応じていたが次第に焦れてきたようだ。

 しかし村井が何か口を開こうとしたその時、

「おばさん、僕ちょっとその辺を散歩してくるよ…久々のU島だしね…!」

 丈也はスカしてみせ、踵を返すと

「賢、また後でな…!」

「ウン…!」

 と賢に声をかけて足早にリビングを後にした。

「何だや、あのガキ…?」

 村井は明らかに丈也に不快感を抱いていた。

「都会者だからだべ…」

 久子は丈也を庇いつつ村井に同調した。

「ピキューン、ピキューン…」

 その様子を全く無視して賢は機械的にゲームをこなしていた。

 

×××××××

 

「……」 

 再び通りに出た丈也。

(気持ち悪ぃ…!)

 何に対しての気持ちなのかはハッキリとしなかったが丈也は胸の辺りに不快感を感じていた。

「ケッ…!」

「ビシュッ!」

 その気持ちを抑えられずに丈也は道端の石ころに当たった。

 石は勢い良く道路上を転がっていった。

「……」

 丈也は通りに立っている電信柱を背にしてしゃがみ込んだ。

「……」

 『散歩に行く』と言ってはみたものの特に当てがあるわけではなかったのだ。

「……」

 ただ、あの言い様のない空間にいたくない一心で外に出てしまった。

「……」

 賢を一人置いてきたことに少しの申し訳なさを丈也は感じた。

「フゥ…」

 ため息をつく丈也。

 賢は、そして美久はどんな気持ちで日々を過ごしているのだろう…?

「…!」

 そんなことを考えているうちに何だか急に美久のことが気になってきた。

「ブンブンッ…!」

 何で気になりだしたのか…?

 自分の気持ちが全くわからずに丈也は数度頭を振った。

「…クッ…」

「スクッ!!」

 突然立ち上がる丈也。

「ダダッ…!!」

 そして、一目散に走り出した。

 まるで獲物を見定めた動物のように。

 「タッタッタッタッ…!」

 丈也は走るのを止めなかった。

 走り出した時に比べたら明らかにスピードは落ちていたが、それでもマラソンランナーみたいに走り続けていた。

「ハァッ、ハァッ…!」

 息遣いも荒い。

「あぁ…!」

 目指す場所が見えてきたようだ。

 安堵の声が漏れた。

「タッタッタッタッ…!」

 丈也の眼前に在ったのは森だった。

 クヌギやナラといった広葉樹が林立していた。

 ここはU島に唯一存在している森である。

 とはいっても狭いU島のこと。

 ”森”と呼んでいるのは島民だけで、むしろ一般人がこの場所を見たら”林”と呼ぶだろう。

 しかし、林を奥へ進んでいくと意外に大きな沼があり、不思議なことに完全な淡水なので島にいながらにして川魚やその他川の生物を愛でることができた。

 何故かあまり大人たちが興味を示さないということも手伝ってこの林は島の子供たちの間で”秘密基地”的な場所になっていたのだ。

 丈也がそのことを知っていたのは当然のことながら最後に島へ遊びに来た5年前に美久と賢に案内されたからである。

「ハァッ、ハァッ…!」

 丈也はここに美久がいるような感じがしていた。

 根拠などない。

 いや、根拠はあった。

 美久はこの森がとても好きだったのだ。

「ハァッ、ハァッ…!」

 もちろん14歳になっている美久がいつまでも子供時代の憧憬に縋りついているとは思えない。

 しかし、”両親の離婚”、”いじめ”、”義父(?)の存在” といったマイナスの要素が渦巻いている家や学校から逃れられる場所は島の中ではそう多くない。

 その根拠なき根拠に突き動かされて丈也は走り続ける。

「ハァッ、ハァッ…!」

「タッタッタッタッ…!」

 草や木が取り除かれ綺麗に整備された森の入り口にようやく足を踏み入れた。

 

 

 つづく

 

 

*この物語はフィクションです。

 

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「タッタッタッ…カツカツカツッ…」

 森に一歩足を踏み入れる丈也。

 走り続けて疲れてしまったのだろう、立ち止まることはなかったがペースダウンして歩いていた。

「ハァハァハァハァ…」

「ドクッドクッ…」

 しかし身体の方はすぐにはクールダウンしてはくれない。

 丈也の息遣いは荒いままだったし、心臓が早鐘を打っていることに歩き始めてから気づいた。

「ハァ…クッ…」

 頬を汗がつたう。

 丈也はぞんざいに右手で汗を拭った。

「カツカツカツ…」

 どれくらい歩いたのだろう…?

(場所間違えてねぇよな…?そうだよ、間違えるわけねぇよ!)

 そんなことをボンヤリと思いながら歩を進める丈也。

 実際には森に足を踏み入れてから7、8分というところだったのだが丈也にとっては数十分経っているような感じだった。

 「……」

 心なしか日が沈んできたような気がする。

 無論それも森に入ったことから起こる錯覚であったのだが丈也がそのことを悟る術はなかった。

 丈也は腕時計をリビングに忘れてきたことを軽く後悔していた。

(こんな小さな森でも、ほんの少しの自由を制限されても思う通りの行動ができないなんて…!)

「クッ…!」

 少しずつ苛立ちをつのらせていた丈也はおもむろにシャツのポケットからタバコを取り出し、

「カシャッ…」

 Gパンのポケットからジッポーを取り出したが、

「……」

 ふと自分が今いる森を汚してしまうような感覚を覚えた。

「……」

 立ち止まる丈也。

「……」

 しばし熟考すると、

「ゴメンな…」

「カシュッ…!」

 そう呟いてタバコを咥え火を点けた。

「スー…フゥー…」

 考えてみたら結構長い時間タバコを我慢していた。

 賢の前でタバコを吸うのはやはり躊躇われたからだ。

(離れだったら吸えるよな…)

 中学生らしくない思考で先々のことを考える丈也。

「………」

 ふと、周囲を見渡してみる。

 砂利道ではあるが道はできているので迷う心配はなくその点では安心だったのだが、木々に視線を移すとどこまでも似たような広葉樹が林立していてそのことが丈也をひどく不安な気持ちにさせた。

「……」

 景色の変化がないことがこれだけ人を脅かすとは。

「フゥー…!」 

 全ての負の要素を打ち消すように紫煙を思い切り吐く丈也。

「ゴメン…」

「ギュッ…!」

 そして靴の踵で入念にタバコを踏み消すと吸殻をGパンのポケットに押し込んだ。

「……」

 先に進むか否か少し考える丈也だったが、

「……」

 引き返すのは何だか格好悪い。

「よし!」

「カツッ…!」

 先を見据えた丈也はまた歩き出した。

「カツカツカツ…」

 丈也が再び歩き出して2,3分が経過した頃、

「……!」

 パッと視界が明るくなった。

 鬱蒼と茂っていた木々が減ってきたからだ。

 しかしながら森を突き抜けたわけではなかった。

「…やった……!」

 思わず丈也の口からも安堵の言葉が漏れる。

 そう、目指す沼が見えてきたのだ。

「やった…!ハハッ…!やった…!」

「カツッカッ…!」 

 心なしか足音も弾んでいるようだ。

 沼は森のほぼ中心部に位置しており、まるでクレーターのような状態で存在していた。

 向こう岸まで2、30?程だろうか、少し楕円がかってはいるが綺麗な円形をしている。

 道は沼の淵の辺りで切れており、向こう岸へは泳いで行くか左右の木々を掻き分けて行くかの方法しかなく、ほとんどの人はここで進行を止めるといった具合だった。

「うんうん……」

 淵へ向かって歩きながら頷く丈也。

「ここだ…ここにダンボールを持ち込んで…」

 どうやら完全に昔を思い出したらしい。

 子供の頃美久、賢や島の子供たちと秘密基地を作ったまさにその場所にようやく辿り着いた。

「……」

 しばらくその場に佇み昔を思い出し、懐かしむ丈也。

 とはいってもわずか5年前の出来事でしかなかったのだが、その思い出さえも遥か遠くに飛ばしてしまう時間の流れの速さ、残酷さにはしゃぎながらも戦慄を丈也は感じた。

「……」

 沼の淵までやって来た丈也。

「……」

 水はエメラルドグリーンと水色の中間のような色をしており、一見透明度が低いように感じるが、

「おっ…!?」

 水面を注意して見るとフナと思しき川魚が群れを成して泳いでいるのが丸わかりで実は澄んだ水であった。

「……」

 その不思議さが丈也をワクワクさせた。

 すると、

「ポチャッ…!」

 向こう岸の方で魚が跳ねたにしては大きすぎる音がした。

「………!?」

 驚いた丈也は身を硬くしながら視線を向こう岸へと合わせた。

 信じ難い光景が丈也の目に映った。
「……」

 謎の音がした湖面を見つめる丈也。

「……!?」

 驚きで声も出なかった。

「シャーーーーッ…」

 何かが泳いでいたのだ。

(…何だアレ…?)

 丈也は頭の中で懸命に泳いでいるモノが何なのかを分析し、把握しようとした。

(雷魚…??)

 最初はそう思ったが、泳いでいる物体は雷魚のそれよりももっと大きかった。

 体長150cmくらいなのだろうか? 

 あくまで目測だが丈也は自分よりも頭一つ分位小さいようであった。

 すると、

「パシャァッ…!」

「……!?」

 水をかく音と共に白い腕が現れた。

「ゲッ…!?」

 思わず声を上げる丈也。

(ま、さか…人…魚…?)

 平常心ではありえない想像までしてしまった。

 が、すぐに丈也は物体の正体を悟った。

(そうか……)

 慣れない自然環境に独り身を置いてしまうと人間社会で培ってきた知識が邪魔をしてしまうのだなと自嘲した。

 泳いでいたのは美久だったのだ。

 丈也にとって5年ぶりに見た美久であるが面影は残っていた。

 見間違えるはずが無い。

「パシャッ…シャーーーッ…」

 水面から時折飛び出す可愛らしい顔はまぎれもなく美久のものであった。

 しかし、丈也が人魚と見紛ったのも無理はない。

 何者にも邪魔されない優雅さをもって美久は活き活きと湖を泳いでいたのだから。

「パシャッ…シャーーーッ…」

 しばらくボンヤリと美久が泳いでいるさまを見ていた。

「………!!」

 突然丈也はハッとした。

「……!!」

「ズサッ…!」

 そして踵を返すと近くにあった巨大なナラの木に身を寄せて引っ込んでしまった。

(……………)

 俯いて荒いだ息を整える丈也。

 美久は全裸で泳いでいたのだ。

「………」

 どうして全裸なのか全く理解できなかった。

 何だか見てはいけないものを見てしまったような複雑な感情が飛び出てきて丈也の胸の辺りでジクジクと疼いた。

「………」

 訳もわからずに木陰から再び湖面を見つめる。

「シャーーーッ、パシャ、パシャッ…!」

 丈也が覗いていることなど想像だにすらしてないのだろう、美久は相変わらず楽しそうに泳いでいた。

 蒼い湖面に映える薄白い肢体。

 その危うい美しさが丈也の心に今まで湧き上がったことのないモヤモヤとした気持ちを呼び起こす。

「………」

 丈也はいたたまれなくなって美久から目を逸らし、

「スゥ…ハァ…スゥ…」

 2、3度深呼吸をして気を落ち着かせた。

 冷静になって周囲を見渡すと走っている間にすっかり見落としてしまっていたいくつかの情報が丈也の目に飛び込んできた。

 丈也が身を潜めているナラの木の道を挟んで反対側には美久のものと思しき自転車が停めてあったし、そのカゴの中には美久の衣類が置いてあった。

「………」

 また視線を湖面に移す丈也。

「シャーーーーッ…!」

 美久は無邪気に泳いでいる。

 その無邪気さ、というより丈也にとっては無防備さなのだがそれに丈也は言い様のない怒りを覚えた。

 別に丈也が悪いわけでもないし美久が悪いわけでもないのにこのめぐり合いの悪さに不機嫌になってしまったのだ。

(どうしよう…)

 引き返すべきなのか?

 それとも偶然を装って声をかけるべきなのか?

「フゥ……」

 どうしようか迷い、ため息をつく。

「パシャッ…!」

 しかしどの選択肢を考えることも無駄に終わったようだ。

「ザバァッ……」

 美久が湖から上がった。

「ちきしょう……」

 丈也は自分の存在を消してしまいたい衝動に駆られ、唾棄せんばかりに呟いた。

「ドクンッドクンッ……」

 早鐘を打つ丈也の心臓。

「くはっ……」

 抑えようとしても鼓動は大きくなるばかり。

 無駄だとはわかっているのだが如何ともし難いもどかしさに丈也Tシャツの胸の辺りの部分を毟った。

「……」

 現実論として考えれば今すぐ引き返すのが最善策だろう。

 しかし、引き返すところを美久に見られないとは限らないし、万が一自分だと悟られてしまったら美久の中で丈也は単なる出歯亀野郎に堕してしまう。

(それは最悪じゃんよ…)

 もうひとつの方法は今まさに自分がここに来たという風に繕って堂々と美久に声をかけることだ。

 これも上手くいけば問題ないが、決して丈也は美久の肢体を覗いていないという確証を美久に抱かせる演技ができるかといえば疑問符が付く。

 丈也はそんな嘘で塗り固めてまで自分を守ろうとする考えを思いついた自分に嫌悪した。

「……!」

 決して汗かきではない丈也だったが身体中を嫌な汗が伝っている。

「ハァハァ…」

 激しい運動をしたわけでもないのに息まで荒くなってきた。

(消えてなくなりてぇなぁ……)

 再び不可能なことを願った。

「……」

 ふと木陰から再び美久の様子を確認しようとしたその時だった。

「キャッ…!」

「ヒッ…!」

 驚きの声を上げる少年と少女。

 丈也が様子を伺う前に美久がピーピングトムの存在を認めていたのだ。

(やべぇ、最悪のパターンじゃん…)

 丈也は身体中から嫌な汗が一気に吹き出てしまうような悪寒を感じていた。

「……丈ちゃんかや…?」

 バスタオルで身体を巻いているだけの美久が訊いてきた。

「ん……?」

 美久の意外な言葉の出だしに丈也は少し戸惑った。

「やっぱ丈ちゃんだぁ!久し振りだなや…!そかぁ、今日島に来るって言ってったんだもんなぁ…」

 ニコニコと笑みを浮かべながら歓喜の調子で美久は言う。

「へ……?」

 丈也の戸惑いは大きくなる。

 しげしげと美久を見つめてしまう。

 自分より頭一つ分程小さい背、クリクリッとした大きい瞳は飼いならされた血統書付きの子猫を髣髴させる。

 肩の辺りを見ると湖から出たばかりなので白い肌に青い血管が浮き上がっている。

 血管の走る方向を目で追っていくと胸元に辿り着いた。

「…!!」

 慌てて目を逸らす丈也。

 まだ美久の問いかけに答えていない気まずさもあるのだがそれ以上に美久の態度が気になった。

 何故声を上げないのだろう?

 そして何より何故美久にとって今は覗き男でしかない丈也を咎めないのだろう?

 そんなことを必死になって考える丈也だったが答えなど浮かぶはずもなかった。

 ただ美久の大きく美しい瞳の中に、最後に会った5年前にはヒシと感じられた明るさ、別の言葉で言うと”精気”のようなものが全く伝わってこないことが関係しているだろうことだけはおぼろげながらわかった。
 丈也の混乱をよそに笑みを絶やさない美久。

「丈ちゃん来年受験だっけか…?おら、色々丈ちゃんと話ししたいんだけども…邪魔しちゃ悪いっちゃね…?」

 そう言いながら美久は自転車へ向かう。

「パサッ…」

 何の躊躇もなくタオルを解く美久。

「……!!」

 丈也はそれまで感じていた以上の驚きと共に目を逸らした。

「ドクッドクッドクッ…」

 また心臓が早鐘を打ち出した。

(何だってんだよ、一体…!)

 丈也の戸惑いは怒りへと変貌していた。

 あまりにも美久は屈託がなさ過ぎる。

 いや、そればかりではない。

 明らかに自分を異性として意識していない。

 もちろん血の繋がりのある従兄ということもあって”異性”というよりは”身内”としての感覚が勝っているのもあるが、それでも釈然としないもやのようなモノが丈也の脳裏を覆い出した。

「………」

 おそらくここで美久の着替え姿を直視しても美久は何も言ってこないだろう。

 だが、逆にそう予想できてしまうことに何とも言えない”怒り”が丈也の中に湧き続けた。

「ゴメンなぁ、待たせて。さ、帰るべ…」

 そんな丈也の心境などまるでわからない美久はそう丈也に語りかけ、自転車を引いてきた。

「美久……」

 怒りを通り越して完全に拍子抜けしてしまった丈也。

「ン…?」

「こっちこそゴメンな…楽しんで泳いでいるところを邪魔しちゃって…」

 本当に詫びたい部分をオブラートに包みつつ謝る。

「ン……いいよぉ、どうせもう帰ろうと思ってたからや…」

「…そうか……」

 どこか会話が噛み合ってないような違和感を丈也は感じた。

 いや、会話ばかりではない。

 この5年振りの再会そのものが噛み合っていない…

(この娘ズレてる…)

 丈也は少しずつではあるが、その原因が分かってきたような気がした。

 それが性差によるものなのか、それとも育つ環境に起因するのか、それとも別な理由があるのか、そこまでは判断できないでいたが、脳裏のもやがわずかに晴れていくのがハッキリとわかった。

「……」

「……」

 無言の二人。

「カツカツカツ…」

「キー…」

 足音と自転車を引く音だけがさっきより遥かに暗くなってきた林のなかで響いている。

「……」

 静寂に耐えられなくなってきた丈也。

「スッ…」

 タバコを取り出した。

「カシュッ…!」

 美久に話しかけることはせずにおもむろに火を点けて紫煙を吸い込む丈也。

 少しでも美久より優位に立ちたい。

 そんな屈折した心から出た行動だった。

「……」

 美久の顔色が変わった。

「丈ちゃん、タバコ吸うっけ…?」

「あ、あぁ…!」

 どこか虚勢を張った調子で丈也が答える。

「東京じゃみんな吸ってるよ。いや、中学生にもなったら皆一度はイタズラするはずさ…」

 悪ぶる丈也。

「そうなんだぁ…」

 美久は驚いているのだか上の空だかわからない表情をして、

「似合わないよ…」

 と呟いた。

「……」

 何気ない一言であったが、丈也の胸にグサリと突き刺さるものであった。


 

×××××××

 

 その日の深夜、海斗家の離れにて。

 離れの一室の明かりはまだ煌々と点っていた。

「………」

 部屋には丈也が独りいた。

 8畳ほどの部屋の真ん中には一人で使うのには勿体ないくらいの格調を持った長方形のテーブルが置かれており、その上には丈也が受験勉強に用いる国語、数学、英語といった教科の参考書やら問題集やらが無造作に並べられている。

 また、飲みかけのお茶が入ったペットボトルとタバコが数本もみ消された灰皿がやや申し訳なさそうな感じでテーブルの隅っこで自己主張をしている。

「………」

 そこに今日から一ヶ月間この部屋の主となる丈也が未だ居場所を確保できていない様子で英語の参考書とジッとにらめっこしていた。

「………」

 傍目から見れば熱心に勉強しているように映っているだろうが、その熱心さは勉強から来ているものではなかった。

 

「………」

 丈也はつい先般終えたばかりの夕食のことを思い出していた。

 その夕食は丈也を交え、海斗家の人間3人が揃っていたにも拘わらず、およそ”団欒”とは縁遠い光景だったからだ。

 久子は元より賢までもが美久を全く無視して食事をしていた。

 蚊帳の外に置かれている美久は沼で見た時とはまるで別人だった。

「………………」

 食事中に流れていたTV番組にも、そして客である丈也にすら関心を払うことなく数分で夕食を取り終えた美久は「ごちそうさま」と言うことも更には丈也を一瞥することすらしないで自分の部屋へと引っ込んでしまった。

 あまりにも自分の家庭とは異質の光景に丈也はゾッと寒気を覚え、何でこのような状態なのであるか皆に問い質すことさえ躊躇われ、スゴスゴと離れへと来ざるを得なかったのであった。 

 

「………」

 自分がここへ来るべきだったのかどうかを考え、反芻する丈也。

「………」

 しばらくまんじりと悩んでいたが、

(海斗の家…?そりゃあ心配だけど、俺には受験がある…!他人のことに首を突っ込んでなんかいられねぇよ…!)

 ”受験”という言葉が丈也を奮い立たせた、いや、正確にはプレッシャーを与えた。

 我に返った丈也は意味なく開いていた参考書のページを本来自分が取り組むべき箇所へとめくり上げ、黙々と参考書に集中し出した。

「…Have you ever loved a woman so much you tremble and pain…?」

 無意識のうちに音読になる。

「…The rain is falling through the crystal,sorrow that has surrounded me…」

 しかし、その集中力も長くは続かなかった。

「バタンッ…」

 乱暴に参考書を閉じる丈也。

「アァッ……!」

 そのまま大の字に寝転んでしまった。

「………」

 何が気になって勉強に集中できないでいるのか、そのハッキリとした理由を丈也はまだわからないでいた。

「………」

 そのことがイライラとなり、寝たまま身体を貧乏揺すりさせている。

「………」

 イライラを鎮めようとして中学生とは思えない程のヘビースモーカーである丈也はテーブルのタバコに手をやろうとするが、

『似合わないよ…』

 不意に美久の声が聞こえた。

「……何が似合わないんだろ……?」

 そう呟きながら丈也は、

「クシャァッ…!」

 まだ数本しか吸ってないタバコを箱ごと握り潰し、

「ヒュゥ…ドコッ…」

 そのまま備え付けられたゴミ箱へ放り投げた。箱は見事にゴミ箱へ入った。

「……フゥ……」

 大きなため息をついた丈也は再び意識を参考書へと向かわせた。

  

 こうしてU島での初日は流れていった。

 

×××××××

 

 丈也がU島へやってきて1週間が過ぎようとしていた。

 初日こそ様々な出来事が起こり、丈也にとっては起伏に富んだ、考えようによっては頭の中で物事を処理することすらままならないものであったが、ここは辺鄙な島である。

 そうそう大きな事件が起こるような環境では決してない。

 初めは慣れない環境と海斗家の複雑な家庭事情を見せられて戸惑ってしまった丈也であったが、持ち前の順応性で3日目を迎える頃にはすっかり自分のペースで家の中でも外でも振舞うことができていた。

 だが…

 

「……」 

 ここは、海斗家の離れ。

 1週間目の昼下がりのこと。

「……」 

 丈也は集中して数学の参考書に臨んでいた。

「フゥ…」

 フッと息をついた刹那に、

「ミーン、ミーン……」

「ジィジィジィジィ……」

 それまで全く気にならなかった複数のセミの鳴き声が響いてきた。

「ミーン、ミーン……」

「ジィジィジィジィ……」
 周りが閑静なのでやたらと頭に飛び込んでくる感覚が実に鬱陶しい。

「……」

 丈也は気になる気持ちを抑えて再び参考書に挑まんと姿勢を正した。

「……」

「ミーン、ミーン……」

「……」

「ジィジィジィジィ……」

「……」

 しかしながら一旦気になりだしてしまうと物事を打ち消すというのは容易なことではない。

「……クソッ……!」

 それまで勉強が調子良く進んでいただけに尚更気勢が殺がれてしまったことを腹立たしく感じる丈也。

「ジリジリジリジリ……」

 今度は部屋の中の暑さが気になりだしてきた。

「…むぅ…」

「バスッ…」

 丈也は何とかこの状況を打破せんと一度集中の意味を込めて参考書に顔を埋めた。

「………」

 そのままの状態で十数秒ほど静止していた丈也だったが、

「……アァッ!もう止めっ…!」

「バッサァ…!」

 そう言って参考書を放り出してしまった。

(気晴らしでもしようか…?)

 考えてみれば食事の時以外はこの部屋にいることがほとんどであった丈也は意を決して外に出ることにした。

 ”意を決して”というのは大げさかもしれないが、実際のところ海斗家の人間模様を見せられてからというもの、丈也は無意識のうちにそこに首を突っ込むことを避けていた。

 美久と話すことはおろか、賢の遊び相手をすることすらなかった。

(………)

 丈也は何故自分が海斗家に対してバリアを張ってしまったのかその明確な解答を出せずにいた。

 もちろん”煩わしい”気持ちが大部分であるのは自覚していたのだが、それ以外の理由もあったのだ。

 ただ、見つけ出せない。

 いや、見つけ出そうとせずにそのエネルギーを勉強にぶつけているのか。

(………)

「スタッ…」

 丈也は一度思考を打ち切り身支度に没頭した。

「サッ……」

 そして、黒のイラスト入りTシャツにブラックジーンズという出で立ちに着替えると思ったよりも軽やかな足取りで離れを後にした。
「ザッ…」

 靴を履き、一歩外に出た丈也。

「ジリジリジリジリ……」

 すると太陽のギラギラした陽射しが丈也の肌を刺激した。

「わっ…!」

 あまりのムンとした暑さに仰け反らんばかりになった。

 上下を黒い服で整えたことに失敗を感じ、着替えに戻ろうとしたが、

「サァーーーッ……」

 その瞬間風が丈也を覆った。

「……!」

 心地良さを覚えた彼は着替えずに散策を続けることにした。

「サクッ、サクッ、サクッ…」

 風を一杯に受けながら歩いている丈也。

 気分が高まってきたのか、足取りも自然と軽やかになる。

 民家の通りを抜けると海が近づいてくる。

「サァ、サァーッ……」

 心なしか風の質が変わったように感じる。

「サァ、サァーッ……」

「サワサワサワサワ…」

 適度に潮気を含んだ風が丈也の髪を撫ぜる。

「すぅ……ふぅ…」

 決して東京では味わえない磯の香りが丈也の鼻腔を刺激する。

 人によっては好きではない匂いなのかもしれないが、何故か丈也はこの匂いが大好きだった。

(魚にでも生まれた方が良かった…のかな…?)

「ニャア、ニャア…」

 不意にカモメの鳴き声が聞こえてきた。

 視線をそちらへ移すと海へ向けて数羽のカモメが群れを成して飛んでいる。

(カモメもイイなぁ…!空飛べて、海に入れてイイことずくめだ…!)

「んぁーっ……!」

 誰しもが一度はそう夢想するであろうことを思いながら丈也はゆっくりと自然溢れるU島の周りを見渡し大きく伸びをした。

「サクッ、サクッ、サクッ…」

 丈也の歩みのペースは落ちない。

 この間よりもはるかに早い時間で土手に着いた。

「………」

 ここまで来ると潮の匂いは姿を消し、代わって草いきれの匂いが漂ってくる。

「………」

 丈也はこの草いきれの匂いが好きではなかった。

 どことなく自分の持っている青臭さを増幅させるような感じがするからだ。

 しかしながら、それは丈也の主観であって自然に罪があるわけではない。

 今の丈也にとってはその嫌悪すべき匂いすらも愛でるべき自然の対象となっていた。

「くぅ……!」

 立ち止まり、もう一度伸びをする丈也。

 思い切って外に出てみて良かった、と楽しみを噛み締めていた。

 ところが、

「……!?」

 眼前にそんな丈也の穏やかな気持ちを壊すような光景が飛び込んできた。
(……あれは……?)

 土手の下、つまり川縁の所に中学生と思しき少年少女の集団がいた。

「………」

 数えてみると少年が五人に少女が三人。

 部活動帰りのようで全員ジャージ姿で少年のものらしい自転車が側に置いてある。

「………」

 更に凝視する丈也。

「……!?」

 すると、八人に囲まれているような状態で中心にもう一人いることを認めた。

「……アァッ……!!」

 驚きが思わず声に出てしまった。

 それは薄水色のワンピースを着た少女…

 囲まれているのが美久だったからだ。

(……何…?一体どうしたって……??)

 困惑が丈也を支配するがすぐに眼前で何が起こってるのかを理解した。

 美久がイジメられている現場に丈也は遭遇してしまったのだ。

 そのことを裏付けるかのように美久の可愛らしいワンピースの所々に泥のような黒っぽいシミがついているのが遠目からでも判別できたし、

「…………」

明らかに彼女は泣いているように見える。

(クソッタレがっ…!!)

 八人という大人数で一人の少女を寄って集ってイジメる構図、そしてイジメられているのが従妹であるという事実。

「……!!!」

 丈也は身体中の血が煮え滾り、逆流するかのような怒りを覚え、

「ダダッ……!!」

 その感情を全く隠そうともせずに、いやむしろそれを強く印象付けんばかりの勢いで土手を駆け下り出した。

 

×××××××

 

 丈也がイジメの場面に遭遇する十数分前のこと。

「パシャッ……」

 美久は川縁に座り込んで一人川の水と戯れていた。

「パシャッ……」

 その視線はどこかに狙いを定めているようなものではなく、マクロ的感覚で川の流れ全体を俯瞰しているように感じられた。

 表情は穏やかであり、心からこの時間を享受しているようだ。

 ところが、

「おう、あんな所に”バ海斗”がいる!!」

 という耳障りな怒声が聞こえてきた。

「…………」

 美久が視線を移すとそこには部活帰りのクラスメート八人がこっちへ向かってくる。

「……」

 忌むべき存在、というより自分のカテゴリの中から削除した人間たちだったから名前も意識して消した。

「おう、シカトすんじゃねぇぞ!」

 リーダー格の少年の怒鳴り声が美久の耳を打つ。

 八人は少年少女とは思えない、むしろティーンにしかできない野卑な笑みを浮かべて近づいてくる。

「…………」

 自分の中から消した連中だからそんなのに何を言われようが、何をされようが美久にとって大した問題ではなかった。

「…………」

 ただ、”自然と自分との時間”を邪魔されたことだけが悲しかった。

「…………」

 悲しくて美久は俯いた。
「バ海斗ぉっ、シカトすんじゃねぇって言ってるべよっ!」

 俯いた美久の態度が気に障ったのかどうか定かではないが、彼女の内面のことなど全く理解しようともしない集団のリーダーらしい少年が一際大きい怒声を上げた。

「ジャリジャリジャリ……」

 5台の自転車のタイヤが回る度に起こる音が美久にはとても耳障りに聞こえた。

「こうでもしねぇとわかんねぇんだってば…!」

 リーダー格の少年の脇にいた少年が機嫌を取らんばかりの態度で、

「グイッ…!」

 おもむろに小石を拾うと、

「ビシュッ……!」

 美久めがけて投げた。

「ゴツッ……!」

「………!?」

 石は幸い美久には当たらず、足元の石にぶつかってあさっての方向へ飛んでいった。

 しかしながら美久に恐怖を与えるには十分過ぎる効果を上げたようで、美久は石が当たった辺りを凝視したまま固まってしまった。

「ヒャハッ、バ海斗ビビッちゃったんじゃねぇのぉ…!?」

 今度は集団の中の女子が頓狂な声を上げ笑った。

「ジャリジャリジャリ……」

「ザリッザリッ……」

 自転車の音と共に今度は足音も鮮明に聞こえてきた。

 美久と集団の距離はもうすぐそこまで縮まっていた。

「てめぇ、シカトすんじゃねぇって言ってんべ…!!」

 更なるリーダーの怒声だった。

 周囲が閑静なことも手伝い、ありえないことなのだが狭い島中に響いているのではないかと思うほどの大きさだった。

「………」

 言葉が威圧的になればなるほどどうすることもできないでいる美久がそこにいた。

「………」

 美久はこのわずかな時間の中で集団が今までの態度よりも遥かな慇懃さを感じていた。

(そういえばコイツら全員夏季講習受けてたんだっけか…?町さ行ってきたんだ…?何かおもせくねぇことあったんだな…)

 あくまで想像の域を出ないが自分が”腹いせ”に使われようとしている…

「………!!」

 そう思うと美久の中に沸々と怒りの感情が沸いてきた。

「スクッ…!!」

 美久は立ち上がり鋭い視線を集団に向けた。

 

 

つづく

 

 

*この物語はフィクションです。

 

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「………」

「ツカツカッ……」

 怒りを目に宿した美久。

 同じく怒りを内包した歩き方で集団に向かって行った。

「…!?」

「ちょ…何…!?」

 集団の女子たちが敏感に反応し、驚きを露にする。

「何だ、コイツ……」

 少年たちもたじろぐ。

「………」

 が、リーダーだけは気圧された様子もなく冷静に美久を観察しているような印象だった。

「ツカッ…!」

 そしてリーダーの前に美久が立ちはだかった。

「どうしたっつうのや…?キレたのか…?」

 リーダーはあくまでも精神的優位に立たんとすべく、どこか見下したような口調で美久に問うた。

「………」

 美久の目には涙が溜まっており、今にも流れ出しそうであった。

 しかし、彼女は必死で堪え、自分の感情をぶつけようともがいているようだった。

 その心苦しさを察しているのか否かは不明であったが容赦ない言葉を浴びせるリーダー。

「あぁ、元からキレてんだっけか…!?町さ行ってもなかなか治んねぇもんだなや…!!」

「……!?」

 美久が硬直した。

 と、同時に

「ギャハハハハッ…!!」

「そりゃシャレになんねぇべ…!!」

「バ海斗は病院通ってんの内緒にしてんだからやぁっ…!!」

 リーダーの言葉に異常なまでの反応を示す少年少女たち。

 思春期の頃、というより”学校”という空間で集団生活を強いられてるが故の”異質なもの”に対する嫌悪感がそこには存在していた。

「クッ…ウッ………」

 堪えていたものが一気に噴出してきた美久。

 嗚咽と共に涙が止め処なく流れ出た。

 それを認めた少女が追い討ちをかける。

「いっそ入院しちまえばイイのに…!!」

 子供というのは容赦がないものだ。

 悪意がこもれば尚更のこと。

 しかし、

「…!!」

 美久の中で何かが弾けた。

「ダダッ…!」

 少女とは思えない素早さで美久は言葉の主のもとへ行き、

「ビビッ…!!」

 鋭いビンタで少女の左頬を張った。

「ギャッ…ドダッ…」

 少女はバランスを崩して後ろへ倒れた。

「てめぇ…!」

 傍らにいた少年二人が美久を取り押さえる。

「やっぱりキレてんなぁ、おめぇ…この人数に勝てると思ってんのか…?」

 リーダーが美久の髪をムンズと掴みながら呟く。

「……」

 美久は無言でリーダーを睨み付けた。

「ちょぉ、何コイツゥ…頭さくっこだ……!」

 先般張り飛ばされた少女が美久のところへやってきた。

「おめぇみてぇなヤツにやられたなんてプライド許さねぇ…!」

 毒づく少女。

「ビュン…!」

 少女の平手が飛んできて

「ビッシィッ…!」 

 今度は美久が横面を張られた。

「ドサッ…べチャッ…」

 美久は仰向けに倒された。

 草でわからなかったが湿り気のある土質らしく泥がワンピースを汚した。

「まだ終わんねぇぞ…」

「グイッ…」

 休む間もなく美久は強引に立ち上がらされた。

「……ウッ……」

 再び嗚咽が漏れ出した。

「少しその生意気さば矯正してやっか…!」

 リーダーがそう言うと8人が美久を取り囲んだ。

 そして、

「ゴッ、ゴッ…!!」

 美久の頭を集団で小突き出した。

「……グッ……」

 必死で体勢を維持せんとする美久。

(助けて……)

 声に出せない思いが頭の中を支配する。

(助けて…丈ちゃん……!)
「ゴッ、ゴッ…!!」

 集団に小突かれる美久。

「………!!」

 小突かれた頭があらぬ方向に流れないように必死に踏ん張っていることが、今美久にできる唯一の抵抗だった。

「ケッ……!」

 そんな彼女の抵抗を察しているらしくリーダーが面白くないように舌打ちをする。

「今日は随分堪えてっちゃなぁ…!」

 隣にいた少女が笑いながら言う。

「ゴッ、ゴッ…!!」

(そう…いつまでこんなことされ続けなきゃねぇんだろ…?)

 美久はいつものことと思いながらも自分に降りかかる不条理を思うと何だか悲しい気持ちに苛まれた。

「ゴッ、ゴッ…!!」

(………何が違うの………?)

 そんなことを考えているうちに、

「……!!」

 美久は立ったまま意識を失った。

「……」

 いや、心を遮断した。

 

×××××××

  

「………」

 どれくらいの時間が経ったのだろうか?

「………」

 美久は意識の混濁から目が覚めた。

「…!!ワーッ…!?」

「……!?」

 集団のうろたえた叫び声が遠くの方から聞こえてくる。

 美久は状況が全然飲み込めずにゆっくり目を開く。

「……」

 立っていたはずの自分が乾いた草場に座らされていた。

「どう…した…の…?」

 声のする方を見渡す。

「……!?丈ちゃん……!?」

 そこには集団に一人で立ち向かっている丈也の姿があった。

 

×××××××

 

 時間は少し戻る。

 

「ダダダッ……!!」

 丈也は猛スピードで走り出していた。

 走っていることも手伝っていたが、怒りで周りが良く見えなかった。

「美久っ…!!」

 小突かれている可哀想な美久の姿と、大勢で虐げている非道な集団しか視界に入らなかった。

(ガァッ……!!)

 思い切り怒りを叫びたい衝動に駆られる丈也。

 だが、この距離で叫んでしまっては連中に悟られてただでさえ不利な状況がもっと酷くなってしまう。

(クソッ……!!)

 一刻も早く美久のもとへ辿り着きたいのだが、なかなか距離が縮まらないもどかしさに顔が硬直する丈也だった。

「ダダダッ……!!」

 無言で走る丈也。

「ポタッ…ポタッ…」

 額から汗がしとどに流れ落ちる。

 流れる汗は無造作に彼の頬や目をつたうが、そんなことはお構いなしだった。

「ハァ、ハァ…」

「ダダッ…ダダダッ…」

 ようやく300メートルくらいまで距離が縮まってきたことを丈也は実感した。

 しかし動体視力が上手く機能していないのか、もしくは暑さで判断力が鈍っているか、はたまた美久が虐げられていることに対する怒りで冷静な考えができなかったのか、それは定かではないが、眼前に広がる場面は驚くほどぼやけており、

(本当に俺の目…?)

と自問せずにはいられなかった。

「ダダダダッ…」

(んなこたぁどうでもいいかっ…!)

 丈也はスピードを上げた。

「ウオオオオオオオォッ…!」

 同時に集団に自分の存在を気づかせるためにわざと、大げさに叫んだ。

「……!?」

 驚く集団。

「何だや…?」

「誰だ、アイツ…!?」

 口々にわめき出す少年少女たち。

「…!!」

 一番最後に丈也を認めた少年。

(アイツか…?)

 丈也は彼が集団のリーダーであると直感した。

「ダアァァァァァァッ…!」

 そして一直線に少年に向かうと、

「ダゴォッ……」

 身体を丸くして体当たりを仕掛けた。

「ドッサァァァアッ…!」

「ウゴッ…!」

 もんどりうって倒れるリーダー。

 したたかに背中を砂利に打ちつけたらしく悶絶したまま起き上がれない。

「ダダッ…!」

 丈也は美久のもとへ向かった。

「ザッ…」

 そして気を失っているらしい美久を抱きかかえると安全そうな草場へ横たえさせた。

「んだよ、てめぇっ…!」

 ようやく事態を把握したのか少年が怒鳴る。

「……!」

 踵を返す丈也。

「ダダダッ…」

「うるさいっ!寄って集って女一人を虐める奴らに名前なんか教えねぇよっ!それよりそこの女たち、さっさと離れろ!」

 走りながら怒鳴り返す丈也。

 そして、

「ボッカァッ…!」

「ガブッ!」

 怒鳴ってきた少年に鮮やかな右肘を浴びせた。

「ちきしょう…!」

「てっめぇ…!」

 一人、また一人少年が丈也に向かってきた。

「ドゴッ、ドゴッ…」

 それを丈也は鮮やかにかわし、一撃を加える。

「………」

 丈也の頭は真っ白になっていた。

 だからそれからのことはよく覚えていない。

「………」

 ただ、どうして自分がこんなに喧嘩が強いのかを疑問に感じ、

「………」

 そして、どうして自分がこんなに人を殴れるのかを不思議に思った。

 

×××××××

 

 どのくらい時間が経ったのだろう。

 河原には丈也が一人仰向けで倒れていた。

「ウーン………」

 口の中を切っているようで端から血が流れている。

 意識はあったが疲労困憊のようで目を閉じたまま呻く丈也。

「ピタッ……」

「……!」

 突然冷やっこい感触を額に感じ、驚いて丈也は飛び起きた。

「キャッ…!」

 今度はそれに驚いた声が飛び込む。

 丈也の眼前には濡らした布切れを持った美久が立っていた。

「美久…」

「丈ちゃん…」

「……」

「……」

 二人の間に沈黙が流れる。

 しかし、それは気まずさのような類のものではなく、互いが互いを気遣っての態度であったし、それを丈也も美久も直感で感じ取っていた。

 妙に心地の良い空間だった。

 特に丈也には林の一件があったので余計にそう思えた。

「サラサラサラサラサラ……」

 川の流れる音と、

「ピーーーーッ…!」

 名前などわからないが鳥の鳴き声だけが聞こえてくる時間。

 その沈黙を破ったのは美久だった。

「丈ちゃん…」

「うん……?」

「迷惑かけてしまったなや…おら…いや、私…」

「そんなことないって…それより美久こそ大丈夫か…?」

「ウン…大丈夫。どこもケガしてないよぉ…んでも、丈ちゃんいっぱいケガしてるから…」

「ケガ…?そういやアイツらは…?」

「みんな逃げてった…丈ちゃんケンカ強いなやぁ…一人でだおんなぁ…」

 戦っている間本当に頭が真っ白だったのだろう、丈也は全然戦況を覚えていない自分を少し恥ずかしく思った。

 その恥ずかしさの中には気を失っているとばかり思っていた美久が自分の姿を見ていた、という部分もあったのかもしれない。

「痛っ…」

 思い出したような痛みが丈也を襲う。

 痛みの先を見ると左肘を思い切り擦り剥いていた。

「あっ…!」

「ん……?」

 美久がさっきの布切れを丈也の肘にあてがった。

「クッ…!」

 沁みるのか声を上げてしまう。

 と、ある異変に気づく丈也。

「美久……!」

「何……?」

「この布……」

 美久はワンピースの胸の部分を破いてハンカチの代わりにしていたのだ。

 当然上手く破れなかったらしく傍目から見てもみっともない状態になっていた。

「ダメじゃん、それじゃ家に帰れないぞ…!」

「そんなことないよ、大丈夫だってば…」

「大丈夫じゃねぇよ…!」

 立ち上がる丈也。

「……?」    

「バサッ…!」

 丈也は着ていたTシャツをおもむろに脱ぎ、

「スサァッ…」

 器用に美久に着せた。

「じょ、丈ちゃん、私…別に…」

「いいから着な!」

 有無を言わせぬ口調だった。

「ウン…」

 俯く美久。

 その仕草がしょげ込んでいるように丈也には見える。

 だから、

「ハンカチのお礼だよ、ありがとう…」  

 丈也はつとめて優しく言った。

「ウン…!」

 すると美久はやっと笑顔を見せた。

「帰ろう!」

「ウン…!」

 二人は歩き始めた。

 土手を登る途中で美久が不意に、呟くように言った。

「まだ言ってなかったなや…ありがとう、丈ちゃん…」

 陽はゆっくりと傾き始めていた。

 

×××××××

 

 すっかり周りの景色も薄暗くなった頃、丈也と美久は家路に着いた。

 ”やっとの思い”で戻って来た二人を待っていたのは般若のような顔をした久子の怒声だった。

「何時だと思ってんのや、この不良めが…!」

 久子の怒りは明らかに美久へ向けてのものだった。

「……」

 俯いたまま黙り込む美久。

「おばさん、いきなりそれはないんじゃ……」

 堪りかねた丈也が助け舟を出そうとすると、

「丈ちゃんは黙っててくんねぇか…!これは家の問題だからよぉ…!」

と遮った。そして再び視線を美久へと移すと、

「グイッ…!」

 破れ、泥で汚れた彼女のワンピースの裾を荒々しく抓んだ。

「こんっな恥ずかしいカッコで通り歩きやがって…!近所の人に見られたらまた変な噂立てられちまうべよ…!」

「……ウッ……」

 およそ娘を気遣っているとは思えない台詞に美久が呻いた。

「カチャッ、カチャッ…」

 騒動が起こっているリビングの奥のテーブルでは賢が一人食事をしていた。

 こうした光景はいつものことなのだろう、一切の関心を向けることなく黙々と口を動かし続ける賢。

 ”家族の絆”が全く感じられない歪みを目の当たりにした丈也にふつふつと怒りの感情が沸き上がってきた。

「黙ってられねぇよ、こんな状態…!」

 吐き捨てた丈也が美久を庇うように久子の前に立った。

 成長期にある彼と久子はほとんど同じ背丈で目線もほぼ同じである。

「美久は虐められてたんだぜ!8人にな…!なのに話を聞こうともせずに怒鳴り散らすってのはどいうわけなんだよっ…!」

「……」 

 丈也が隠し持っている凶暴性を敏感に察知したのか黙り込む久子。

 しかし、それは決してたじろいでいるわけではなく、大人が持つ狡猾さを生かして形勢逆転を狙っているように見えた。

 そのことを見抜いたのは丈也ではなかった。

「スッ…」

「美久…?」

 美久が丈也の前に出てきた。

「母ちゃん、ゴメンなぁ…迷惑ばっかかけてさぁ…ご飯の後片付けオラやるから、なぁ…」

「…う、うん…最初っからそう言えばイイのや…」

 美久の殊勝な態度は丈也以上に久子にとっては意外だったらしく、何ともいえない複雑な笑顔を浮かべながらキッチンへと消えて行った。

 その途中で、

「丈ちゃんすまなかったなや、今ご飯出すからさぁ…」

と今までの出来事がなかったかのよう久子が取り繕う。

「いらねぇよ…!」

 一人怒りが収まらない丈也は離れへと出て行った。

「バダムッ…」

「……」

 乱暴に閉められたドアの側に一人美久が立ち尽くしていた。

  

 離れへと戻ってきた丈也。

「バダッ」

 ドアをやはり乱暴に扱ってしまう。

「ドッサァ…!」

 そのまま部屋にスライディングするようにうつ伏せに倒れこんだ。

「…………」

 抑えようのない怒りが彼の頭をもたげる。

「…………」

 そしてそれを必死に押し込めるべく丈也は身悶えた。

 

×××××××

 

 それから一週間後の夜のこと。

 時計の針はもうじき2時を指そうとしていた。

 U島の夜が更けるのは早い。夜も9時を回ると各家の明かりは少しずつ消えていく。

 娯楽が少ない土地にとってそれは如何ともし難いことだった。

「………」

 そんな中煌々と明かりが点いている民家がただ1軒あった。

 それは言うまでもなく海斗家の離れ。

「………」

 丈也が一心不乱に数学の問題集に取り組んでいる。

「………」

 ひたすら無言の丈也。

 問題集に解答を書き込むシャープペンの音だけが静寂の中で響いていた。

「………」

 既に8月に入っている。

 ”盛夏”と呼ぶべき状況であるのにこの夜に限ってはセミはおろか虫一匹の鳴き声すら響いてこなかった。

「………」

 だが、それは丈也にとっては好都合であった。

「カツカツカツカツカツッ…」

 驚くほど勉強が順調に進んでいる。

 進んでいるが故に周りの”変調”に気づくことがなかったのだろう。

「………」

 海斗家の悶着があって以来、丈也は一家との交流を絶っていた。

『勉強する場所だけ提供してください。炊事も洗濯も自分でやりますから、海斗さん…』

 そう久子に言い放っていた。

 久子にとってもこの申し出はもっけの幸いだったようで、洗濯だけはしてあげると返し、それ以外の用件では一切丈也に近づいてこなくなった。

「………」

 丈也はどうして久子がこれだけ喜んでいるかの”真の理由”をまだ知らないでいた。

「カツカツカツカツカツッ…」 

 あれだけ丈也を慕っていたはずの賢も久子と同様だった。

 一瞬腹立たしく思ったりもしたが、あの年頃の少年にとって母親はまだまだ絶対的存在である。丈也は賢に対する憤りをそう思うことで鎮めた。

 だが、

「カツカツカツカツカツッ…」

 美久だけは別だった。

 美久に対してだけは言い様のない複雑な感情を消すことができなかった。

「………」

 何故彼女はあの時庇ってくれた従兄より母親の理不尽ないうことを聞いたのか?

 それを思うと複雑な感情は怒りへと変貌し丈也を苦しめた。

「カツカツカツカツカツッ…」

 気持ちを抑えるのに勉強が最も有効な手段であると悟るまで時間はかからなかった。

 勉強がはかどるはずである。

(これでよかったん…だろうな…)

 問題集をスラスラ解きながらそんなことを思った。

「ボキッ…」

 軽快なシャープペンのリズムが途切れた。

「……!」

 芯が折れてしまったのだ。

「フゥ…」

 丈也は首を左右に振ってそれから凝り気味の肩を交代に揉み出した。

「ジィジィジィ……」

 アブラゼミの暑苦しい鳴き声が聞こえてきた。

 いや、今までも鳴っていたのだ。

 ただ丈也が勉強に集中し過ぎていたために聞こえなかっただけのこと。

「フゥ……」

 集中力が一気に切れていく丈也。

「ゴトッ…」

 玄関の方から何やら物音が聞こえてきた。

「……!?」

 丈也は最悪のタイミングで集中力が切れたことを恨んだ。
「ゴトッ…コトッ…」

 玄関前の奇妙な物音はなおも続いていた。

「……ったく……」

 丈也は湧き上がってくる恐怖心を何とか押さえ込み、意を決して玄関先に歩を進めた。

「……カチッ……」

 灯りが点いた。

「……!?」

 少なからず驚く丈也。

 玄関前に人影があったからだ。

「ガラッ…!」

 逆に恐怖心は消え去っていた。

 思い切り引き戸を開けると、

「…!?美久……」

 信じられないことに美久が立っていた。

 オレンジと白のストライプのパジャマが暗闇に映え、奇妙なコントラストと同時に可愛らしさを丈也は感じた。

 しかしながら、美久の表情は凍りついていた。

 目には涙が溜まって、赤くなっている。

「美久…どうした…?」

 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、

「ドサッ…」

 美久が丈也の胸へ飛び込んできた。

「お…おい…!?」

 予期せぬ展開にドギマギする丈也。

 しかし、

「グッ…ウッ…」

 美久の嗚咽が漏れてきた。

「美久…?落ち着いて…一体何があったの…?」

 努めて優しい口調で丈也は尋ねた。

「………してる………」

 声が小さ過ぎて聞こえてこない。

「……!?」

 丈也が何も応えることができずにいることを察したのだろう、美久は声を振り絞った。

「母…ちゃんが……汚いこと……してる…」

「えっ………!?」

 おおよそすぐには理解できない言葉であった。

 それでも美久の動揺は尋常ではない。

 確かめる必要はあるし、このまま母屋に美久を返すことはできない。

「わかった。美久はこの部屋にいな。冷蔵庫にジュースもあるし…飲んで落ち着きなよ…眠かったら寝てもいいから…」

「……」

 美久は無言で頷いた。

  

「スッ…スッ…」

 母屋の中を抜き足差し足で歩き回る丈也。

 何だか自分が良くないことをしているような気持ちになり、冷や汗が頬を伝った。

「……!」

 灯りが漏れている部屋がある。

 久子の部屋なのだろう。

「………」

 丈也はそおっと中の様子を窺った。

「…!!」

 そこには見たこともないような光景があった。

「ハァッ、ハァッ……」

 全裸で汗まみれの久子が身体を波打たせている。

「………」

 すっかり固まってしまった丈也。

「グッ…クッ…」

 野太い声も聞こえる。

 久子の上にいたのは島の助役、村井であった。

 村井のすっかり歳を感じさせるでっぷりとした体躯が激しく久子を責めていた。

「グッ…クッ…」

「ハァッ、ハァッ……」

 それは人間の交わりというよりは獣の貪り合いを思わせる状況だった。

 少なくとも丈也にはそう見えた。

「●×◎△■◇………」

 何をどう反芻して、何をどう理解して、何をどう納得すれば良いかが全然わからずに丈也の頭の中を何か鉛の玉のようなものが駆け巡っていた。

 ただ一つわかったことは美久が言ったように決して綺麗な営みには見えないことだった。

「うぷっ…」

 突然嘔吐感が丈也を襲った。

「ぐっ…!」

「ダダッ…!」

 いても立ってもいられなくなった丈也は大急ぎで外へ飛び出した。

「…!?」

「…!?」

 久子も村井もようやく侵入者に気づいたようだ。

「また美久か…?」

「いんや、もしかしたら丈也かもしんねぇ…」

「丈也…?あの東京のクソガキか…」

「クソガキは余計だよ、ちょっと生意気なだけなんだ…」

「見境いなしめ…」

「ウフフ…」

 獣なのは営みだけではないようであった。

  

「ぐぶっ…げぇっ…!」

 海斗家を大急ぎで出てきた丈也は角の電柱の辺りで堪えきれなくなり何度も吐いた。

「げふっ…ぐっ…!」

 丈也はようやく久子が自分が離れに篭ることを喜んだ真の理由を悟った。

 そして、

(大人って…!)

と嫌悪感が噴出してくるのを抑えることができなかった。

 

×××××××

 

「チュンチュンチュン……」

 意識の遥か遠くでスズメの鳴き声が聞こえてくる。

「……ム……グゥ……」

 その微妙な音を疎ましそうに遮ろうとしているのは丈也だった。

「グゥ……!!」

 丈也はハッとなり目を覚ました。

「………」

 状況判断がまだできないでいたが、目の前の景色は明瞭に飛び込んでくる。

 冷蔵庫、食器棚、ガスコンロといったものに囲まれて横たわっていた。

「そっか……」

 思い出したくもない昨夜の情景が蘇ってくる。

 とはいえ、完全に覚えているわけではない。

 久子と村井の道ならぬ狂態を目撃したのはわかる…

「………」

 その後強烈な嘔吐感が襲ってきたのも覚えている…

「………」

 だが、何度も吐いた後のことはボンヤリとしか思い出せない。

 一つだけ思ったのは”美久を起こさないように”ということだった。

 だからこの二畳にも満たない狭い台所で身を丸くして寝てたのだ。

 丈也の頭の中は様々な色が複雑に入り混じったパレットのようになっていた。

「あ…美久…?」

 慌てて立ち上がる丈也。

「あたっ………!」

 慣れない板の間で寝たからであろう、身体中が寝違えたかのような鈍痛に見舞われている。

「クッ……」

 意外に思うように動かない身体を持て余す。

 口の中は胃液による酸味と苦味で満たされており、気分の悪さは増幅される。

「くそっ…」

 丈也は流しへ向かい、ぞんざいにコップを取ると水を汲んで一気にうがいをした。

「カチャ…」

 ようやく少し気分も晴れた丈也は勉強部屋へと向かった。

 すると、

「……!」

「……」

 ドアの前に美久が立っていた。

「丈ちゃん…」

「起きてたんだ…?いつから…?」

 焦りの表情を浮かべる丈也。

「ごめんなぁ、丈ちゃん…オラと母ちゃんのせいで…」

「!?」

 丈也の焦りは戸惑いへとそして何故か怒りへと変化していた。

「見てたんだ…?」

 丈也は自分が嘔吐していたところを美久に見られたことに猛烈な恥ずかしさを覚えた。

「ホント…ごめんなぁ……」

「ダダッ…ガラッ…」

 それだけ言い残すと美久は脱兎の如く離れを後にした。

 玄関を開けっ放しにしたままで。

「…何だってんだよぉっ…!」

 丈也の頭の中のパレットはますます複雑な色になっていった。


 

×××××××

 

 更に一週間の時間が流れた。

 丈也がU島へやって来て3週間になっていた。

 丈也にとってこの3週間というのは非常にゆったりとした空間にいるような気もしたし、一方ではとても性急な状態で過ごしたような気もした。

 いずれにしても東京にいたら味わえなかったであろう経験の中で彼の中でいくつかの意識の変化が起きているようであった。

 

「………」

 すっかり自分の部屋と化した海斗家の離れで英語の参考書に挑んでいる丈也。
「………」 

 

 まず、当初の目的として漠然と持っていた「受験勉強」を黙々とこなすようになった。

 毎日平均して10時間以上勉強している。

 時間ばかりではない。

 質の方も日を追う毎に高まり、どの教科の問題集も何回か回している状態であり、数学に至っては3冊目の問題集に突入していた。

「………」

 丈也は自分でもどうしてこんなに勉強がはかどり、身になっているのか不思議だった。

 

 そして、海斗家の人間と完全に一線を画すようになった。

 特に久子に対して抱く生理的嫌悪感はいかんともし難かった。

 なので、当初頼んでいた洗濯も断って衣類は自分で手洗いをして干していた。

「………」

 時折久子とすれ違ったりすることもあったが、目を合わせることができない。

「………」

 偶然目が合うと彼女の目がどことなく自分を欲しているように見えて仕方がなかった。

「………」

 そんなことを思わせてしまう久子の態度にも、そして何よりそんなことを感じてしまう自分自身の内面を丈也は嫌悪する。

 

 賢も完全に丈也に近づかなくなっていた。

 別に嫌っているわけではないだろうことは確信していたが、子供はとても敏感だ。

 もはや”子供”ではなくなりつつある丈也を察知して距離を置くことにしたのだろう。

 軽い寂しさを覚えたが、丈也にとってはある意味好都合だった。

 

 U島の人々の態度も相変わらずよそよそしかった。

 河原での喧嘩や村井に嫌われたことなどが丈也のあずかり知らないところで広まっているようであからさまに無視するわけではないのだが、それでも明らかな”よそ者”に対する態度を丈也は感じていた。

 けれでも、そんなことは丈也にとっては大きな問題ではなかった。

 

 彼にとって唯一の問題…

 

「………」

 それは美久のことだ。

「………」

 あの出来事以来彼女と話していない。

 それどころか3日間会ってすらいない。

 抑えきれないもどかしさを必死に彼は自分の心の奥底に納めたのだろう。

(だから勉強に集中できるようになったんだ…)

(僕は受験のためにここに来たんだからこれでいいんだ…)

 そう思い続けた。

「ふぅ……」

 参考書が一区切りついた刹那に丈也は大きなため息をついた。

 自分でも気になるほどの大きなため息だった。

 

×××××××

 

 同じ日の夕刻。

 

「チッチッチッチッチッチッ…」

 遠くで何か鳥が鳴いている。

「サァァァァァァァァッ…」

 小川はその清廉さを表わすかのような音を立てて緩やかに流れている。

「シュッ…チャポン…」

 何かが小川に飛び込む音。

「……」

 音の主は丈也だった。 

 といっても丈也自身が小川に飛び込んだわけではない。

「ピクッ…!」

「おっ…!」

「シュッ…!」

 丈也は手製の、本当にその辺の木の枝をカッターのみで加工したような釣竿を使って釣りに勤しんでいた。

 加工してあるとはいえちゃんとした釣竿ではないので魚を釣っているわけではない。

「ヘヘッ、やっとかかった…!」

 テグスの先には煮干が巻きつけられており、その先にはザリガニが餌にありつかんとその大きなハサミで煮干をガッチリと掴んでいた。

「イエイ…!」

 丈也は嬉しそうに、そして無邪気な子供のような笑みを浮かべてザリガニを掴んだ。

「……」

 よくいるアメリカザリガニではなく絶滅危惧種のニホンザリガニだった。

 ニホンザリガニは綺麗な水にしか住めない。

 そして、毒々しいまでの赤色のアメリカザリガニとは違い、若干黒ずんだ、それでいて自然を感じさせる体色が特徴だ。

「へへ…」

 以前U島に来た時にこうして美久や賢と遊んだことをふと思い出した丈也は秘密基地の林から1?ほど離れた小川に息抜きにやって来ていたのだった。

「……」

 驚くべき生命力を鼓舞せんとハサミを必死に動かすザリガニ。

「心配するなよ…」 

 掌の中で悶えるザリガニを掴んだまま丈也は、

「ス…チャポン…」

 極力低い位置からザリガニをリリースした。

「エイッ…!」

 そしてひとつ気合を入れるとまた竿を投げた。

「チッチッチッチッチッチッ…」

 まだ遠くで何か鳥が鳴いている。

「……」

 丈也はひたすら無心になれるこの行為を心から楽しんでいた。

 ところが、

「ポツッ…」

 釣りを邪魔せんばかりに丈也の頬に水滴が当たった。

「チッ…」

 雨が降り出してきたのだ。

「……」

「ポツッ、ポツッ、ポタポタポタ…ザァ…」

 雨足はあっという間に強まった。

「ザァァァァァァァァ…」

 川のせせらぎの音もどことなく険しくなる。

「………」

 だが、丈也はそこを動こうとはしなかった。

「………」

 濡れるに任せ丈也は竿を構え続けた。

 

 

つづく

 

 

*この物語はフィクションです。

 

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「ザァァァァァァァァ…」

 雨は全く止む気配を見せない。

「パチャパチャパチャパチャパチャパチャ…」
 川面には幾重も波紋が浮かんでは消え浮かんでは消えを繰り返している。

 もはやザリガニどころかメダカ一匹さえも釣れる状況ではなかった。

「………」

 それでも丈也は竿を垂らしたまま波紋が無数に浮かび続ける川面をうすぼんやりと眺めていた。

「タラッ…ポタポタ…」

「………」

 丈也の前髪はとうに濡れそぼり髪先から水滴が滴り落ちる。

 それでも丈也は動じない。

「ヌチャ…ヌチャ…」

 丈也の着ている白いプリントTシャツも過剰に水分を含んで彼の肌にまとわりつく。

「………」

 時折体勢を変えると不快感を覚えたが、時既に遅し。

 そんな不快感すらも今の丈也にとっては必要なものであるように思われた。

「………」

 腰を下ろしていた川縁もあちこちに水たまりができており、当然丈也のジーンズも濡れていた。

「………おっ………!」

「グイッ…!」

 手応えを感じたのだろう、おもむろに竿を引き上げた丈也。

 しかし、テグスの先にはふやけた煮干が付いているのみだった。

「ちぇっ…」

「ヒュウ…ポチャ…」

 再び竿を投じる。

「………」

「ザァァァァァァァァ…」

「………」

「ザァァァァァァァァ…」

「………」

「ザァァァァァァァァ…」

 降りしきる雨の中、丈也はひたすら釣りに没頭した。

「………」

 夏なのに顔の辺りが火照ってくるのを感じる。

「………」

 気のせいか自分の身体から湯気が発せられているような感覚。

 丈也はもちろんそんな経験などないのだが、

「これが”ハイになる”ってことなのかなぁ…?」

 大脳の奥深くでそんなことを思った。

「ザァァァァァァァァ…」

「………」

 どのくらいそうしていたのか全然覚えていない。

 が、不意に

「パッシャァァァァンッ…!」

「!?」

 何かが大きく水面を跳ねたような音が聞こえた。

 いや、聞こえたような気がした

「…!!」

「スクッ…!」 

 丈也は驚いて立ち上がると、

「ダダダッ…!」

 竿を放り出し林へ向かって走り出した。
「ダダッ、ダダッ…!」

 丈也は林の中を走り続けた。

「ズルッ…ダダダッ…!」

 水たまりが出来てぬかるんだ道に足を取られながらも走った。

「ズルッ…」

「あ…!」

「バッシャーン…!」

 勢いがつき過ぎたのだろう、転倒してしまった。

「クッ…!」

「スクッ、ダダッ…!」

 しかし、痛みも羞恥心も今の丈也にはなかった。

 再び走り出す。

(……確かに聞こえたんだ!空耳なんかじゃない…!)

 走りながら丈也は自分を動かす原動力になっている跳音のことについて考えていた。

(…いる…絶対に…)

 丈也の向かっている先は…あの秘密基地の場所。

 沼であった。

「ダダッ…ズルッ…ダダダッ…!」

 何度も何度もぬかるみに足を取られる丈也。

 だが、転倒することなく進むのを止めない。

「ハァッ!ハァッ…!」

 だんだん息を吸い込むのにも吐き出すのにも余計な力が入りだしてきた。

 雨は相変わらず叩きつけるような降りで、林の中で生い茂る木の枝をワンクッションに置くため、雨粒がより大きくなって丈也の身体に落ちてきている。

「………」

 丈也の頭の中では様々な感情が渦巻いていた。

 何のために今自分は走っているのだろう…?

 何を自分は求めているのだろう…?

 そもそも何のために自分は生まれ、何処へ向かおうとしているのだろう…?

 人間として生まれてきて物心がついてくると誰しもが思い抱く疑問が浮かんでは消え、また浮かんできた。

(…この先に…あるっていうのか…?)

「ザァァァァァァァァ…」

 雨は答えてくれない。

 木々も答えてはくれない。

(いいんだよ、見つけてみせるからよ!)

「ダダッ、ダダッ…!」

 草臥れかけてた丈也の足に再び勢いが戻った。

「ハァッ…ハッ…」

 呼気も落ち着きをみせる。

「……!」

 急に視界が開けてきた。

 沼が目に飛び込んできたからだ。

 雨が降っていても沼の蒼さは鮮烈さを保っている。

「………!!」

 そして、更に鮮烈さを保っているものが丈也の瞳に映り込んだ。


 

×××××××

 

その時僕の意識がどうなっていたかは今となっては知る術すらない…

 

もっとも知りたいとも思わないのだが…

 

この話を誰かにしたって

 

『そりゃあお前、雨に打たれ過ぎてボォーッとしてたんだろ…!』

 

とか

 

『見間違えだよ、見間違え!』

 

で片付けられてしまうのがオチだ。

 

だったら僕が見た情景をそのまま信じる方がよっぽどスッキリする!

 

 

あの日僕は沼へ行った。

 

何かが跳ねる音が聞こえたから…

 

雨粒が僕の身体中を叩き、ぬかるんだ地面に足を取られたりもしたけど僕は走った。

 

そして何とか沼に辿りついたんだ。

 

そうしたらそれまで雨の水臭さしか感じなかったのに突然良い香りが漂ってきた。

 

あんな香りを嗅いだのは初めてだった。

 

いや、前にどこかで嗅いだかもしれない…

 

それこそ僕が生まれるずっと前か僕が生まれた頃に…

 

とにかく初めてなのにどこかで体験したような香りだったんだ。

 

そして僕の目に飛び込んできたのは…

 

とても美しいものだった…

 

あれは何だったんだろう…?

 

”動物”と呼ぶにはあまりにも生気がなく、

 

”彫像”と呼ぶにはあまりにも艶めかしかった…

 

多分”妖精”が実在するとしたらあんな感じなんだろうな。

 

何より驚いたのがその妖精の顔だった。

 

美久の顔をしてたんだ…!

 

美久の顔をした妖精は沼の周りにある中で一番巨大な岩の上に立ち尽くしていた。

 

彼女をジッと見ているうちに妖精ではなく”本物の美久”だって僕は悟った。

 

ざぁざぁ、ざぁざぁと降り続ける雨に打たれた美久はとても自然に、

 

そう、まるで何か木にでもなったように身じろぎもしないで立ってたっけ…

 

見事に自然の一部と化した美久を見つめていたら突然僕の心の中で何かが弾けた。

 

僕は何事かを叫びつつ美久の元へ向かった。

 

その後何があったかは覚えていない…

 

ただ僕が気がついた時、

 

僕は沼のほとりに尻餅をついたような状態で座って呆けていた。

 

雨はとうに止んで代わりに宵の明星が顔を覗かせていた。

 

沼には僕の他には誰もいなかった…

 

僕はやっぱり夢を見ていたのだろうかとしばらく考えたけど、

 

左の頬にジンジンと感じる痛みが出来事を現実だと確信させる…

 

そのうちカラスか何かが

 

「ギャーッ…」

 

と鳴いたので僕は急いで立ち上がり、来た時と同じようにその場を去った。

 

走りながら僕は何故か

 

(もう美久に会わせる顔がない…)

 

なんて思った…

 

そう思ったら雨で濡れた顔も乾きつつあったのに

 

また頬が湿ってきた…

 

×××××××

 

「ドンッ、ドンッ、カッカカッ…」

 威勢良く和太鼓が鳴り響いている。

「ハァ~ッ………♪」

 和太鼓に圧倒されながらも古ぼけたスピーカーからは地元の民謡が流れている。

「ガヤガヤガヤガヤ……」

 やぐらの周りでは揃いの水色の浴衣に身を包んだ住民たちが老若男女問わず、民謡の節に合わせて楽しそうに、それでいてどこか義務的に踊っていた。

 

 今日はU島の盆踊り大会。場所は島一番の広場である中学校の校庭だった。

 地方によって盆踊り大会の開催時期は違うが、U島はかなり特殊で盆明け20日過ぎに行われるのが常らしい。

「キャハッ…キャハハ…!」  

 踊りの輪の更に外側では町内会の有志が行っている出店に群がる子供たちの姿があった。

 決してテキ屋がやるようなこなれた店構えをしているわけでもなかったが、いつの時代でも出店は子供たちのオアシスなのであろう、慣れない手つきで有志が作った焼きそばを美味しそうに頬張る姿や水ヨーヨーに没頭する姿が随所で見られる。

「ハハッ…ハッハッハッ…!」

 またその輪とは別にはしゃいでいる中学生の集団も散見できる。

 彼らはこういったイベントになると子供とも大人とも違う雰囲気を醸し出している。

 本当に人生のわずかな期間だけ発散されるオーラのようなものである。

 それが”思春期”というものなのだろうか。

 とにかく皆が揃いの浴衣を着ることにことごとく反発するような形で私服姿の中学生が跋扈していた。

 

「………」

 そのどの群れとも一線を画した形で一人鉄棒の辺りで佇んでいる少年がいた。

「………」

 丈也はどこか心ここにあらずといった表情で盆踊り大会の情景をマクロ的に眺めている。

 もちろん浴衣など着ていない。

 いつものTシャツにジーンズ姿だ。

「ズカズカズカズカ……!」

「キャハハハッ……」

 丈也の前を小学生の集団が走って行った。

 その中には賢もいた。

 しかし、彼は丈也を一瞥しただけで声をかけることもなく通り過ぎた。

「………」

 丈也は賢がいたの知っていたが一瞥すらしなかった。

(何でこうなっちまったんだろうな…?)

 賢のみならずそこにいた島民の誰一人として丈也に声をかけようとしなかったのである。

 河原で美久を助けた時のケンカを見ていた者がいたらしく、尾ヒレがついて噂になったようだ。

 曰く、『よそ者が島民を虐めた』と。

「………」

 あくまで丈也の想像に過ぎないのだがどうやら湾曲して噂を流した張本人は村井助役のようだ。

 彼は本気で丈也を気に入らないようで、盆踊り大会に顔こそ見せたものの丈也を認めるとすぐに帰ってしまった。

 久子も来ていなかったのでおそらくは歪んだ逢瀬を楽しんでいるのだろう。

「ケッ…!」

 丈也は鉄棒に蹴りを入れた。

 蹴りを入れた真の理由は別なところにあったのだが…
「………」

 丈也は怒りを鎮めようとして再び盆踊り風景に視線を移した。

「ドンッ、ドンッ、カッカカッ…」

「ハァ~ッ………♪」

 宴は時間が経つにつれてますます盛り上がっているように見える。

「………クスッ………」

 自然と丈也の表情に笑みが出ていた。

 考えてみれば自分が招かれざる客であるということは別に島民たちのせいではない。

 一部の心ない”大人”の策略に過ぎないのだ。

 それに今の自分には「受験」という大命題が横たわっている。

「ふぅ……」

 そう思うことで不思議と気持ちが落ち着いてきたように感じる丈也だった。

「ヘヘッ…」

「スッ…カシュッ…」

 となれば大胆な行動にも出ることができる。

 丈也はおもむろにジーンズの右ポケットからクシャクシャになったタバコのハードケースを取り出すと慣れた手付きで一本抜き、咥え、火を点けた。

「フゥーッ……」

「クラッ…」

 久し振りに吸い込んだいけない煙のせいか、それとも他の要因があったのかは定かではないが丈也は眩暈を覚え、俯いてしばらくの間目を閉じた。

「ふぅ……」

 眩暈が治まった丈也が目を開けると、

「バァッ…!」

「……!!」

 突然目の前に見慣れない少女が立ちはだかって丈也を嚇したので、彼は無言でのけぞった。

「アハハハ、ゴメンなぁ…!」

 いや、見覚えはあった。

 眩しいオレンジ色の浴衣に身を包んだ少女は河原で美久を苛めていたグループの中の一人だった。

「……何だよ……??」

 丈也はそう問うのが精一杯だった。

 あまりに不意のことで細かい思考能力がちっとも働かない。

 そのことで余計に苛立って口調が粗野になった。

「ンー、アンタがタバコ吸うなんてなぁ…そんな風には見えねぇんだけっど…」

 丈也の前で身体を左右に振りながら更におどけた調子で少女が呟く。

「お前には関係ないだろう…!」

 無意識のうちにやぐらの方角から向き変える丈也。

「それよりも何でお前が俺の所に来るんだよ…?仲間はどうしたんだ…?」

「そんなごと関係ないっちゃ…」

 タバコを消して立ち去ろうとする丈也を追い、その前に再び少女が立ちはだかる。

「な…なん…だよ……?」

 少女のただならない雰囲気にたじろぐ丈也。

「仲間は仲間だぁ。あっちはあっちで遊んでる。けど…オラが今遊びたいヤツは違うからやぁ…」

 少女が距離を確実に縮めてくる。

「………??」

 丈也は完全に気圧されて立ちすくんでしまっていた。
「スゥ……」

 明確にある意思を持って更に距離を縮める少女。

「………!?!?!?」

 たじろぎながらも身を反らす丈也。

「ゴツッ……」

 しかし、そこまでだった。

 丈也の後ろを樫の木が妨害している。

「たっ……!」

 意外な勢いで後頭部を打ったために痛みで呻く丈也。

「……!」

 その隙を少女は見逃さなかった。

「ンッ……」

「………」

 自らの唇を丈也の唇に重ね合わせる少女。

 丈也は狼狽で頭の中が真っ白になっていた。

 何が起こっているのかを冷静に判断することが出来ずに身体を硬直させるばかりであった。

「ンッ…ンッ……」

 少女の舌が侵入して丈也の口腔内を這いずり回る。

「ング…グブッ……」

 鼻で呼吸することすら忘れてしまった丈也が苦しさで身悶え出す。

「ガシッ…!」

 少女の両肩を掴んで離さんとするが、少女は信じられない力でしがみついてくる。

「ンム…グッ……」

 舌の上を伝う自分ではない生き物の感触に嫌悪感が溢れる。

 その気持ちはどこか別なところから発生しているもののようにも感じられた。

(アァッ……!)

 堪りかねた丈也はわざと身体の力を抜いた。

「スッ…!」

「キャッ…!」

「ズダンッ……!」

 力の抜けた丈也はその場に倒れ込む。

 少女の身体のバランスも崩れてようやく二人は分かれた。

「何するんだよ…!」

 起き上がりながら怒声で尋ねる丈也。

「口で言えねぇがら……」

 伏し目がちに少女が答える。

「意味わかんねぇよ…!」

「気持ち伝えたかっただけだぁ…」

「だから…それがわかん……??」

 丈也が少女に目を向けたその先に、

「………」

 水色の浴衣を着た美久が立っていた。

 その表情は困惑で凍りついたように冷たい様子だ。

「美…久…!?」

「え……?」

 少女も驚き振り返る。

「………」

「スッ…タタッ…」

 美久は一言も発せずに踵を返して走って行った。

「……マジかよ……」

 そう呟いて暗闇に消えていく美久の後ろ姿を見つめるだけの丈也だった。

 そして…

「クックックッ……」

 丈也たちがいた場所の正反対の木の陰に早くに立ち去ったはずの村井助役が下卑た笑みを浮かべて一部始終を見ていた。

 

×××××××

 

 明くる日の昼下がり。

「………」

 離れの勉強部屋に座って佇んでいる丈也がいた。

「………」

 カーテンがピシリと閉められて陽の光が一切入ってこない部屋は薄暗く、どこか異世界を思わせる雰囲気に満ちていた。

「ジィジィ、ジィジィ……」

「カナカナカナカナ……」

 アブラゼミとヒグラシが共に自分の存在を残すべく短い生命を通して力いっぱい鳴き続けている。

 休息を取っている時、そして勉強に集中している時ですらも疎ましく思っていたこれらの音も今の丈也には響かなかった。

「………」

 あの後丈也は美久を必死になって追いかけた。

 

『美久、聞いてくれ…!』

 そして懸命に状況を説明しようとした。

 しかし、それが無意味な行動であると悟るまで時間はかからなかった。

『……………』

 その時の美久の表情を丈也は忘れることができない。

 彼女は一切の喜怒哀楽を捨ててしまったかのような無機的な表情になっていた。

 美しさを通り越して、何か粘土細工や彫像といった類の硬質さを漂わせていた。

『……美久……』

 丈也は美久が自分を完全に拒絶していることを理解した。

 と同時に数日前の湖での出来事もハッキリと思い出した。

 そう、自らの雄としての本能を美久にぶつけようと試みた自分の行為を。

『あ………』

 もう美久の心の中に自分がいない…

 そして、その理由は盆踊りの件だけではない…

『ごめん…美久……』

 自分の手を振り払って去って行く美久の後ろ姿を丈也は正視できなかった。

 

「………」

 丈也はほとんど寝ることができずに今までの時間を過ごした。

(俺、ここに何しに来たんだろ…?)

 言わずもがなの疑問が湧いてくる。

 当然、都会の喧騒を逃れて受験勉強に集中するべくU島を訪れた。

 そのことは今でも自覚している。

 しかし、自分がこの島へ来たことで美久をはじめとする海斗家はおろか他の島民たちに対しても何か良からぬ影響を与えてしまったのではないかと考えはじめていた。

「………」 

 その考えは明らかに間違っている。

 海斗家、そしてU島で生じている問題というのは丈也がやって来るずっと前からくすぶっていたものだ。

 たまたま丈也という”よそ者”が来たことで表面化したに過ぎないことだ。

 つまり丈也の存在は”スイッチ”ではあったかもしれないが、決して”原因”ではないのだ。

 しかしながらそのような単純思考もできないほど丈也は打ちのめされていたようだった。

「ピクッ…!」

 突然丈也が顔を上げる。

 そこにはある固い意志が見える。

「帰ろう、東京へ…」

 そう独りごちると丈也は部屋を整理し始めた。
 数十分後。

「ジィー……」

 荷造りを終えた丈也。

 バッグのファスナーをゆっくりとそれでいて強めに閉めた。

「……」

 いつの間にか額には汗が溢れていた。

 丈也は左腕でぞんざいに汗を拭った。

「クッ…!」

 それでも汗が滲んでくるので苛立った丈也は乱暴に首を数度横に振った。

「……さて……」

 掛け時計を見つめる。

 何だかんだで時間が過ぎ去っていたようで針は3時半辺りを差していた。

「……とすると……」

「ジィー……」

 バッグの小ポケットを開けた。

 そこから手帳を取り出した。

「………」

 手帳には手書きでH市行きの船の時刻表が書いてあった。

「あちゃあ…!」

 ガッカリした気持ちを声に出して表す丈也。

 H市行きの最終便は午後3時15分だったのだ。

「何だってこんなに早く終わっちまうんだよぉ…!」

 自分の段取り不足を棚に上げて呟く。

「フゥ………」

 大きなため息を一つついた。

「………」

 横になる丈也。

 しばらくそのまま天井を見つめていた。

「………」

 ジッとしていると受験のことやU島で起きた様々な出来事が頭をもたげてくる。

「ジィジィ、ジィジィ……」

「カナカナカナカナ……」
 セミたちは相変わらずけたたましい鳴き声を立てている。

「そうだ、しょうがないよ…うん、しょうがない…!」

 何に対してのことなのかわからないが自分を納得させるように独り言を繰り返していた。

「ガバッ…!!」

 丈也が突然勢い良く飛び起きる。

(最後にひとっ走りしよう…!)

「ダダッ…!」

 離れを出る丈也。

 そのまま母屋の近くにやってきた。

「あった…!」

 丈也が見つけたのは自転車だった。

 どうやら叔父高次のもののようだ。

 手入れがされていないようで所々錆びていたが、タイヤに空気さえ入れれば十分乗り回せるコンディションではあった。

 狭い島なので盗まれる気遣いもないようで鍵すら付いていない。

「……!」

 お誂え向きに空気入れも置いてある。

「よしっ…!」

「カッシュン、カッシュン…!」

 懸命に空気を入れる丈也。

 見る見るうちにタイヤが張り出して乗り物としての表情を見せる。

「へへッ…!」

 自然に丈也の顔にも笑みが浮かぶ。

 その表情はどこか吹っ切れていて、少年としての感情に満ちていた。

「ハァッ……!」

 タイヤを入れ終えた丈也はその勢いを持続したまま自転車に乗った。

「シャーーーッ……!」

 そして走り出す丈也。

「………!!」

 自転車を漕ぐことで身体中に受ける風がとても心地良く感じた。

 が、その快感も長くは続かなかった…

「シャーーーッ……!」

 気持ちのままにペダルを漕ぎ続ける丈也。

「ハッ、ハッ……!」

 まるで自分が競輪の選手にでもなったような錯覚に陥っているようだ。

 自然と身体も前傾姿勢になる。

「ハハッ……!」

 笑いも漏れる。

「シャーーーッ……!」

 途中で何人かの島民を勢い良く追い越した。

 表情は判らなかった。

 もしかしたら怪訝な顔を浮かべていたかもしれない。

「………」

 しかし、もはやそんなことは丈也にとってどうでもいいことであった。

「イェーーーーッ……!」

 今風になっているこの刹那こそが至上の快感だった。

 心の中でわだかまっているものも今この瞬間だけは忘れることができた。

  

「シャーーーッ……!」

 丈也が最後に訪れた場所はやはりここだった。

 自転車は思い出の森へと向かっていた。

「………」

 笑顔を崩すことはなかったがどことなく神妙な顔つきになる丈也。

(いないよな…まさかね…)

 美久がいるかもという淡い期待を寄せる。

(いたら…謝ろう…!)

 丈也は数日前にここで起こった出来事を完全に思い出していた。

 いや、正確には押し込めていたものを無理矢理引っ張り出した。

(そうだ、謝らないと…帰れないよ…)

「キィッ…」

 森に入ると同時にそれまでのスピードを徐々に緩める。

「サァーーーッ…!」

 自転車に乗っている丈也の身体に木漏れ日が優しく降り注ぐ。

「……!」

 陽の光が顔に当たる度に彼の顔は歪んだが、心地良さそうにペダルを漕いでいる。

 その時だった。

「………!!」

 耳元にありえない音が飛び込んできた。

「キャハハハッ…!」

「そんでさぁ……」

「へぇ…」

 少女と思しき声が聞こえる。

 人目を憚る必要がないのでかなりの大声だ。

 声の主は残念ながら美久ではなかった。

(何だ……!?)

 慌てて自転車を停める丈也。

「………」

 息を潜めて手近な大木に隠れる。

「………!?」

 丈也は事態が飲み込めない。

 ゆっくりと声の方を覗き込む。

 真っ直ぐ進めば沼なのだが、右に曲がるとやや小高く盛り上がっている場所がある。

 数人でピクニックなどをしてランチをするのにピッタリという感じの場所だ。

 そこで3人の少女が菓子を食べながら気ままにお喋りをしていた。

 丈也が驚いたことにはそこでお喋りをしていた少女たちは美久をイジメていたグループのメンバーだったからだ。

「………」

 別にこの森は丈也や海斗姉弟にとってのみの遊び場ではないだろうから他の子供たちがいてもおかしくはない。

「………!?!?」

 ただ、彼女たちの会話の内容はあまりにも異質で丈也を驚愕させるものであった…
 丈也の気配など全く気づかずに楽しそうに、そして無邪気に会話に没頭する少女たち。

 しかし、その無邪気さに不釣合いなアイテムを少女たちは持っていた。

 それは黒色をした分厚い札入れだったり、また中学生が身に着けるにはまだ早いアクセサリーの類であった。

「それにしてもジュン、上手くやったなや…!」

「んだんだ…!今回のMVPはジュンだぁ…」

「オラがMVPだってか…!?そうかや…?一番のMVPはどう考えたってあのスケベオヤジだっちゃ…!」

「それもそうだなや…しっかし、あのお偉いはどこまでヘンタイなんだべ…!」

「関係ねぇっちゃ…オラたちがヤラれるわけでもねぇし…」

「んだよ…こんなに小遣い弾んでくれたんだからひとまずは感謝すっぺ…」

「うん…それにしてもジュンがその足首に巻いてるやつ可愛いなぁ…」

「”巻いてるやつ”っておめぇいくつだよ…!アンクレットっつうんだぞ…!」

「そかそかぁ…オラもそいづ欲しいなぁ…!」

「明日また買いに行くべし…!」

「うん…」

 少女たちの会話を丈也は青ざめた表情で聞いていた。

 おぼろげながらではあるが何が起こったのかを混濁した思考の中で理解しつつあった。

「………」 

 努めて冷静に聞いているつもりだったがその場にへたり込んでしまった。

 そんな丈也を尻目に少女たちの会話は続く。

「しかしさぁ…」

「うん…!?」

「村井のスケベオヤジが美久をねぇ…」

「それがどうかした…?」

「いや、あんなパーのどこが良いのかなぁと思ってよ…」

「パーでも可愛いからでねぇかや…?認めたくないけど美久はこの島で一番美人だし、ヘタしたら東京さ行っても通用すっかもよ…」

「ケッ…あんなおバカがねぇ…!」

「ジュンはホント美久が嫌いなんだな…」

「うんうん、もしかすると美久の顔に嫉妬してんのかも…」

「怒っと…!!」

「ゴメン…」

「ゴメン…んでもジュンさぁ…」

「ん…!?」

「訊きにくいけどジュンはあの丈也のこと実際にはどう思ってんのよ…?」

「どうって…?」

「あの盆踊りの時の態度が演技に見えなかったからよぉ…」

「ハハハッ、友だちをこうして騙せたらオラも女優になれっぺか…?あんな青っちろい東京モンなどアウト・オブ・眼中に決まってっぺ…!」

「そうかぁ、アハハハハ・・・!」

「アハハハハハ…!」

 森中に響き渡るような大声で笑い合う3人組。

「…ブツン…」

 丈也の心の中の何かが切れた。

「スクッ…!!」

 丈也は”確実な意志”を持って立ち上がった。

 

 

つづく

 

 

*この物語はフィクションです。

 

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「キャハハハッ…!」

「ウンウン……!」

「そんでさぁ……」

「アハハハハハ…!」

 ジュンと呼ばれた盆踊りで丈也に迫った少女ら3人は森中に響くような大声で会話を続けている。

「………」

 その話を傍らで聞いていた丈也。

 一部始終を耳にしたわけではないが、異常な会話の内容から異常な事態が起こっていることは丈也にも想像がついていた。

「………」

 しかしながらまだそれは丈也の想像でしかない。

「………!」

 確信に変えなければならない。

「ツカツカツカツカ……」

 既に明瞭な考えで立ち上がっていた丈也はジュンたちのもとへ歩み出した。

「アハハハハッ…!」

「そうそう…!」

「キャハハ…!……!?ちょ…ジュン…ヤバイって…!」

 一人の少女が丈也に気づいて頓狂な声を上げた。

「……!?何でここにいんだよぉ……?」

 ジュンの表情はそれまでのものと違い、明らかに戸惑いと狼狽の様子が見て取れる。

「ツカツカ…スッ…」

 座っている3人の前に仁王立ちする丈也。

「丈…也…どこまで聞いてたのや…?」

「………」

 丈也はジュンの問いに答えず怒りの表情を崩さない。

「……」

「……」

 ジュンのみならず他の少女たちも黙り込んでしまった。

 完全に気圧されてしまった様子で逃げることすら忘れたようだ。

「質問に答えろ…ちゃんと答えてくれたら手は出さない…」

 丈也の声は怒りを押し殺したかのように低いトーンで発せられた。

 有無を言わさぬ説得力に満ちている。

「こないだのことがヤラセだってことはわかった。首謀者が助役の村井ってことも。でもなぜ…?」

「それは…」

「ジュン…!言っちゃダメだべ…!」

「いんや、こいつマジだ…嘘言ったらオラたちみんなやられちまうぞ…」

「……」

 制止を振り切ってジュンが話し出す。

「村井は美久のことが好きなんだ…」

「……!?」

 思ってもみない回答が返ってきて丈也も驚きを禁じえない。

「村井は美久の母ちゃんと付き合ってっぺさ。んでも、村井が本当に狙ってるのは美久なのよ…」

「……」

 丈也の困惑をよそにジュンは続ける。

「そこに丈也、アンタが来たことで美久の関心がアンタに向かったことを村井は面白くなかったんだっちゃ…」

「バカな…!俺は一月で帰るんだぞ…!それに…俺と美久はいとこ同士で…」

「そんなこどあのオヤジにゃ関係ないんだって…とにかくアンタに嫉妬したんだっちゃね…んだからオラたちに声をかけて盆踊りの件を仕組んだんだぁ…」

「バカな……」

 丈也は胸の辺りに強い不快感を覚えた。それは村井と久子の逢瀬を覗き見た時に感じた嘔吐感と全く同じものであった。

「村井はどんな手使ってでもアンタのイメージ壊したかったんださ…」

「もう一つだけ答えろ…」

「ん……?」

「美久は今どこにいる…?」

「それは……」

 二つ目の質問に対して何故か口ごもるジュン。  

「答えろぉっ……!」

 ついに丈也の怒りが爆発した。

 これまでに見せたことのない怒りの形相で吠えた。

「ヒッ……」

 ジュンたちも思わず仰け反る。

 目にはうっすらと涙が浮かんでいる。

「答えろって言ってんだろうがぁっ……!!」

「……!」

 堪え切れずに涙を落とすジュン。

「今日の…最終の…船で、H市に行った……」

「一人でかっ…?」

「ううん…村井が連れてった…」

 最悪の答えだった。

 もうH市への連絡船は終わっている。

「アァッ…!!」

 どうすることもできないもどかしさに丈也は身悶えた。

「バタッ…」

 そのまま頭を抱えて突っ伏した。

「……どうすれば…いい…?美久を……俺は…どうすれば……どうしたら美久を…」

 しばらくの間意味不明な独り言を繰り返していた丈也だったが、

「スクッ…!ダダッ…!」

 突然勢い良く立ち上がると自転車へ向かって走り出した。   

「ガシッ…!」

「……!?」

 その丈也の腕を掴んで止めたのはジュンだった。

「待ってや…今からH市さ行こうってが…?」

「ムンッ…」

 ジュンを振り切る丈也。

「行かねぇでけろ…!村井の話に乗ったのはマジだけど、オラ…丈也のことが好きなのは…」

「そういうことじゃないんだよっ…!」

「ドカッ…」 

 再び丈也を止めようとしたジュンを突き飛ばした。

「バタッ…」

 草原に倒れるジュン。

「ダダダッ…!」

 後ろを振り返ることをせずに丈也は去って行った。

「ウゥッ……」

 取り残されたジュンは嗚咽するばかりであった。

  

「シャーーーーーッ……!」

 恐ろしいスピードで丈也の自転車が走っている。

「アァァァァァァッ……!!」

 風を切る音に混じって丈也の絶叫がこだました。


 

×××××××

 

「キィィィィッ…!」

 丈也の乗る自転車がけたたましいブレーキ音を上げて止まった。

 丈也は海斗家に戻って来た。

「ハァハァハァハァ…」

「ガタッ…ドタッ、ドドッ…」

 息を切らせながらも勢いを止めずに母屋のドアを開け無遠慮な音を立てて入っていく。

「どこだ…?どこだっ…?」

 誰を探しているのだろう。

 丈也は歩を緩めず、それでいて確実な動体視力で次々と薄暗くなってきた部屋を見ていく。

「…!」

 丈也がリビングへ入った時のことだった。

「……フゥ……」

 そこには久子がいた。

 夕食の準備もせずキッチンに椅子を持ち込み座っていた。

「フゥ………」

 そしてその手にはグラスが握られており、中には琥珀色の液体が入っていた。

 テーブルに見立てたキッチンスペースに置いてある瓶を目にするまでもなくそれが酒であることを丈也は瞬時に理解した。

 溜息をつきながら、何度も何度も少しずつ液体を口に含む久子。

「おばさん……」

「………」

 丈也は小さく呟いたつもりであったがその声に気づいた久子が丈也の方を向く。

 その表情は薄暗くてもはっきりわかるほど生気が感じられなかった。

 一瞬躊躇する丈也。

 しかし、すぐに思い直し言葉をぶつけた。

「知ってたの…?」

「ん…?」

「今日村井が美久をH市に連れて行ったことだよっ!」

「ん…くぅ……」

 久子は丈也の問いかけを無視して再び酒に意識を集中させた。

「無視するんじゃねぇよ…!」

「グイッ…!」

「何すんだ…!?」

 怒りの形相でグラスを奪う丈也。

 久子は取り返すさんとするべく手を振るが酔いが回っているようでおぼつかない様子だ。

「なぁ、おばさん、答えてくれよ!何でこんなことになっちまったんだよ…?娘を売るなんて、アンタどんな気持ちで今そうしてるんだよ…!」

 久子の肩を揺らして丈也が問う。

「何がわかる………」

「……!?」

「まだ何にも知らねぇガキが偉そうに説教たれんなや…!お前に大人の世界の何がわかんのや…?お前にこの島の何がわかるってのや…?」

「………」

 初めて自分に対して本音を露わにしてきた久子に丈也はたじろいだ。

「こうしないとここじゃ生きていけねぇんだ…お前のおじきが出はってからオラたちがどんな肩身の狭い思いしてきたか…村井の力がなかったらオラたち…オラたちぃ……ウッ…」

 言い終わらないうちに涙声になる久子。

「ウッ、ウッ、ウッ……」

 そのままキッチンスペースに突っ伏して泣き出した。

「………」

 その様子を見た丈也は言い過ぎたと思ったのか黙り込んでしまった。

(このままじゃ…いけない…!)

 そう思った丈也は一度天を仰ぎ、目を閉じた。

 数秒後、目を開き確かな意志を持つ。

「おばさん、そのままでいいから聞いて…俺は今から美久を取り返しに行く!何というか…口では上手く言えないけど…このままじゃ海斗の家ダメになっちまうと思うから…美久もおばさんも、そして賢も…今でさえバラバラなのにもっとバラバラになっちゃう…みんなが不幸になるのを俺、これ以上見てられない…余計なお世話かもしれないけど、それでも俺は行くよ…!」

「………」

 久子から返事はなかったが確実に耳には届いているようだ。

「それじゃ…いってきます…!」

 そう言うと丈也はゆっくりと久子の肩に触れそれからリビングを出た。

「………」

 久子は伏したまま無言だった。

「ドタドタドタ…」

 玄関へ向かう丈也。

「…!?賢…」

 玄関先に賢が立っていた。

 その目には涙が溢れていた。

「丈ちゃん……」

「聞いてたのか…?」

 丈也の問いに頷く賢。

 丈也はしゃがんで賢と正面から向き合った。

「賢…姉ちゃんに帰ってきてほしいよな…?また家族三人で楽しく暮らしたいよな…?」

 再度無言で頷く賢。

「よし、俺を信じてくれ…必ず姉ちゃんを連れて帰るし、また昔のように…昔のようにな…」

 丈也の中にも込み上げてくるものがあった。

「ウン…」

 今度は声を出して賢が大きく頷いた。

「じゃあ…」

 立ち上がり靴を履き外へ出る丈也。

「………」

 もうとっぷりと陽が暮れていた。

 

×××××××

 

 すっかり辺りが暗くなったU島。

 もはや人一人歩いていない状況であった。

「シャーーーーーッ……!」

 その静寂を切り裂いたのは丈也が漕ぐ自転車の音。

「………」

(ここに来てから走っているか自転車漕いでるかだけのような気がするなぁ…)

 そんなことをうっすらと考えながら自転車は進む。

 そうでもして気を紛らわせないと狂ってしまいそうなほど丈也の心の中のパレットは混濁していた。

「シャーーーーーッ……!」

「ハァッ、ハァッ……!」

 ペダルを踏む丈也の呼吸が一際荒くなった。

「シャーーーーーッ……!」

 海辺特有の潮気を含んだ風が丈也の身体を包み込む。

 と、間もなく

「キィィィィッ…!」

 港に辿り着いた。

 港といっても離島のこと、大きい岸壁があるわけでもない。

 連絡船の着き場が目立つ場所にあるのみ。

 あとは漁業用の小型船舶が4艘、暗くて正確な数は把握できなかったが釣り船用のモーターボートが数艘あるのみだ。

「ダダッ…!」

「………!?」

 丈也はまず望みがないとはわかっていても連絡船の時刻表を見た。

 しかし、あまりにも暗くて見えない。

「カシュッ…!」

 持っていたライターを点ける。

「………」

 連絡船の最終時刻はやはり『午後3時15分』だった。

「…!?……!?!?」

 連絡船がダメとなると漁船かモーターボートで行くしかない。

 だが、丈也がそれらを操縦できる由もなく、更に船着場には今誰もいない。

 おそらくここが賑わい出すのは早くても朝4時台であろう。

「クソッ…!」

 絶望的な状態と言わざるを得なかった。

「どうするっ…?ちきしょう…!こんな時…俺…どうするっ…!?」

 暗がりの中で同じ所を行ったり来たりしながら丈也は何度も同じ言葉を繰り返していた。

「泳ぐか…?」

 少しでも可能性のあることを口にしてみる。

 U島からH市までの距離は船で約1時間。

 丈也は泳げるが無事に着く可能性は極めて低い。

「……!」

 首を激しく振って考えを打ち消す丈也。

「ボートを手で漕ぐ…?」

 また可能性に挑む。

「無理だ…」

 結果は同じだった。

「ガアァァァッ…!!」

 声にならない丈也の叫び声が響き渡る。

「ポチャ…ポチャ…」

 返ってくるのは船着場に打ち寄せる波の音だけだった。

「ズサァッ…!」

 蹲る丈也。

 万事休すだ。

「ダアァァァッ…!」

 所謂”亀の状態”になって頭を抱え込んだ丈也は再び呻いた。
「グフゥ………」

 蹲ったままの丈也の口から嗚咽とも叫びともつかない声が漏れる。

「…パチャ…パチャ…!」

 波打つ音だけが答えだった。

「アァッ…!」

 美久を助けたくとも自分一人ではどうすることもできない。

 己の非力さに丈也は身悶え続けた。

「アァァァァァァァァッ…!」

 声を出し続ける。

 出し続けていないと正気でいられないからだ。

 今現在、美久がH市のどこで何をしているかを考えただけで例えようもない憤怒の感情が沸き上がってくる。

 それは権力を利用して思いを遂げんとする村井への侮蔑感、怒りだったり、それを許した久子への怒りだったり、そのような雰囲気を作り上げた島全体に対する怒りだった。

(俺は何しにここへ来たんだ……!?)

 旅の初めから繰り返し自問してきた事柄が再び頭をもたげる。

(大好きだったこの島を嫌いになるために来たのかよ…!美久がボロボロになるのをわざわざ見に来たってか…!?)

 考えを詰めていくうちに、

(結局俺は何もできなかった…!美久にも…!いや、美久ばかりじゃないや…賢にも久子おばさんにも、そしてあいつらにだって何も…できなかった…!)

 自分に対する怒りが勝り出してきた。

「ガアァァァァァァァァッ…!」

「ヅスッ!ヅスッ!」

 丈也は呻きながら何度もアスファルトの地面を叩き続けた。

「ガアァァァァァァァァッ…!」

「ヅスッ!ヅスッ!」
 たちまち右の拳に激痛が走ったが叩き続けた。

 むしろ殴っていた。

「ジューンッ……!」

「……!?」

 不意に物音が聞こえた。

 サッとその音を察知して身構える丈也。

「…!!」

 すると音の方から二筋の光が差してきた。

「ブゥーーーーンッ…!」

 音もより大きく聴こえる。

 光の正体はヘッドライト。

 音の正体はエンジン。

 静けさ漂う港に一台の車がやってきたのだ。

(もしや…!?)

 丈也はあり得ない予想をしていた。

 本当にあり得ない予想だった。

 だが、丈也がその仮説を立てたのには明確な根拠があった。

 それは普通なら「何だ!」と思って気にもしないことだった。

 いくら夜が早い離島とはいえ、まだ20:00台である。

 いくら人通りがほとんどない離島とはいえ、まだ20:00台である。

 車の1台や2台が通ったとしても全く不思議ではない。

 しかしながら、丈也はそこに光明を見出した。

 僅かな可能性に賭ける決意をしたのだ。

「ズサッ、サッサッサッ…」

 勢い良く起き上がり膝の土を払う丈也。

 若干立ち眩みを起こしたが、それすらもある種の快感と捉えていた。

「ダダダッ…!」

 そのまま丈也は走り出すと一番近くにあったボート屋の軒先に身を潜めた。

「………」

 丈也はGパンの左前ポケットに手を突っ込むとそこに意識を集中させた。
「………」

 必死に息を押し殺す丈也。

(停まってくれ!頼む、そこで停まって…!)

 そしてひたすら念じた。

 真っ暗な中でも車の外観がおぼろげながら掴めてきた。

 それはU島の風景にはどこかそぐわない外車のセダンであった。

「……!」

 仮説が段々と確信へ変わりつつあることを丈也は感じていた。

「ジリッ…」

 Gパンのポケットに突っ込んだままの左手にも力がこもる。

「キイィッ…!」

 車がちょうど船着場の辺りで停止した。

「……!」

 丈也は飛び上がらんばかりに喜んだ。

 また一つ確信へ近付いてきたからであった。

「バタム…バタッ…」

 運転席と助手席からほぼ同時に人が降りた。

「………」

「ブルルルルルルルルル……」

 車はアイドリング状態である。

 ヘッドライトも点いたままだ。

 そのヘッドライトの前に二人が立つ。

「……」

 目を凝らす丈也。

 二人の男だった。

 一人はスーツ姿、一人はTシャツに作業ズボン姿だとおぼろげながら判別できた。

「……!!」

 丈也の予想は完全に当たったようだ。

 身を潜めながらも嬉しさで身体をブルブルと震わせていた。

 それでも意識は左手に集中しているようで決して左手が外に出ることはなかった。

「まったく…めんどくせぇっちゃなぁ…!」

 丈也の存在など知る由もない作業ズボンの男が港中に響くような大声でぼやいた。

「しゃあねぇべよ…明日は定例があんだからよぉ…」

 今度はスーツ姿の男の声が聞こえた。

「んだったらわざわざH(市)になんか行かねくたってイイべよぉ…!ここでやったらイイんだぁ…!」

「そこはおめぇ、体面ってものがあるっちゃ…?まずあんまぼやくなや…後で謝礼に色付けるように先生さ頼んでやっからよぉ…」

「おぉ、あんがとなぁ!それにしても政治屋さんっつうのは羨ましい仕事だよなぁ…あんな小娘一人でも簡単にできちまうんだからよぉ…クックックッ…」

「ヘヘヘヘヘヘヘヘ…」

 およそ夜の閑散とした港で交わす会話とは思えないほど下品なやり取りが続く。

「………!」

 先程の嬉しさはどこへやら、今度は怒りで全身を震わせている丈也がいた。

「ブン、ブンッ……」

 怒りを抑えるべく2・3度首を振る丈也。

「……」

 そしてこれまでのこと、そしてこれからどう動くかを考え始めた。

 スーツ姿の男はおそらく村井の秘書だろう。

 作業ズボンの男は漁師だろうか、どちらにしても船を動かせる人間。

 つまりこの二人はこれから船でH市へ向かい、村井と美久を迎えに行くのだ。

 本当に丈也にとってこれは一縷の望みだった。

(まだ早い…どのタイミングで行く…!?)

 機会を窺う丈也だった。

「なぁ、ちっとばっかり早く行ってよぉ、酒でも飲んでねぇか?」

「ン…!?迎え時間は11時だべ…!?」

「んだよ、んだから早く行って飲むべし…!今から行きゃ2時間は飲めるべ…!」

「おめぇのオゴリならいいぞ…!」

「あぁ、わかった!んだから早く船持ってこい…!」

「あいよ…!」

 船主が彼方へと消えて行った。

「ふぅ…カシュッ・・・!」

 秘書が一息つくべくタバコに火を点けた。

(今だっ…!!)

「ダダダッ…!」

 丈也の身体がバネが弾けたように飛び出した。
「ダッダッダッダッ……」

 丈也の走る速度がグングン上がる。

「………」

 秘書はまだ気づかず、漆黒の海を眺めながらタバコをくゆらしている。

「ダッダッダッダッ……」

「ハッハッ…・・・!」

 息遣いが荒くなる丈也。

 秘書までの距離はあと50メートルほど。

「……!?」

 さすがに秘書も気づいた。

 振り向いたが時既に遅し。

「タアァッ…!」

 丈也が秘書めがけてジャンプした

「ビュウゥゥゥゥゥッ…!」

 風を切り裂く音が丈也の耳に届いた。

「ダッゴオォォォォッ…!」

 丈也の跳び膝蹴りが的確に秘書の顔面を捕らえた。

「ブゲェッ……!」

「ズザァッ…!」

 ガマガエルのような叫び声を上げて秘書は倒れた。

「ドスッ…」

 勢い余って丈也も倒れる。

「バタッ…!」

 しかしすぐさま起き上がり秘書の下へ向かいマウントポジションを奪った。

「……な…て、め……?」

 訳がわからない様子で言葉にならない声を上げる秘書を尻目に、

「村井はどこにいる?答えろ!」

 情報を探り出そうとする丈也。

「てめ…ぇ…海斗の家に来てたガキかい…!?こんなことして…」

「答えろっつってんだよぉっ…!」

「ジャキッ…!」

 苛立つ丈也はGパンの左ポケットから何かを取り出した。

 それは刃渡り15センチ程にもなりそうな飛び出しナイフだった。

「……!」

 暗闇の中でも妖しく光を放つ凶器に秘書が黙った。

「答えろ!答えてくれりゃ何もしねぇよ…!頼む…!」

「………」

 押し黙る秘書。

「答えろぉっ…!」

「ビュンッ…!」

「ガッキィィィィッ…!」

 ナイフは秘書の顔横をかすめてアスファルトの地面に突き立った。

「ヒッ…!」

 秘書が恐怖の叫びを漏らす。

「答えろぉっ…!」

 丈也の叫びに泣きの色が帯びてくる。

「ポタッ……」

 幾粒かの涙が秘書の顔に当たる。

「……わかったから……」

 丈也の本気に秘書も観念したようだ。

「H駅前通りにあるシーサイドホテルにいっから…」

「部屋番号は…?」

「4…12号室…」

「ありがとうございます…」

 丈也は心からの感謝を示した。

「申し訳ないですが…連絡されると困るんで…」

 そう言うと丈也は、

「…!?」

「ブンッ…!」

「ボゴォッ…!」

「ブエッ…!」

 ナイフの柄の部分で思い切り秘書のみぞおち辺りを殴った。

「グブゥ…」

 痛みで悶絶する秘書。

「すいません…!」

「ズルズルズル…」

 その秘書を引きずり人目のつかない所、船着場の待合室の裏まで運んだ。

 

 数分後。

「タッタッタッ…」

 丈也が小走りで戻ってきた。

 秘書のスーツを着ている。

「フゥ………」

 船着場に着いた丈也は無言で息を整え、

「ギュッギュ…」

 まだ火種が残っていた秘書の吸殻を足で踏み消した。

 

×××××××

 

「パチャッ…パチャッ…」

 寄せては返す波の音。

「グゥ…ムゥッ…」

 その規則的なリズムをかき消す呻き声。

「グゥッ……!」

 呻き声の主は船主だった。

 猿轡をされている。

「バダッ!バダッ!」

 身体も拘束されていた。

 必死になって自由になろうとするが上手くいかない。

「グムゥ…」

 ここはH市にある港。

 そこの船着場にU島からありえない時間にやってきた小さな漁船が停泊していた。

 船主は丈也に拘束されたのだろう。

「ググゥッ……!」

「パチャッ…パチャッ…」

 船主の呻き声と波の音がシンクロした。

 

×××××××

 

「ハァ、ハァ…!」

 H市の繁華街である駅前通を走る人影。

「クッ…、どこだ…!?」

 丈也が必死の形相で”シーサイドホテル”を探している。

 しかし、簡単に見つかると思ったホテルがなかなか見つからない。

 H駅にある大時計は既に22:00を回っている。

 丈也が上陸してから既に30分以上が経っていた。 

「……どこだよっ…!」

 焦燥感が声に出てしまう。

 思ったより人通りが多い中をすり抜けるようにして走る丈也。

 夏休みで長い時間島にいた彼には曜日の感覚が落ちていたのだろう。

 今日は金曜日の夜だったのだ。

 漁業が落ち込み若者離れが進んでいる街とはいえ週末には相応の賑わいを見せるのだ。

「アァッ…!」

 一向にホテルが見つからないので丈也は一旦立ち止まって怒りを露にした。

「フゥーッ……」

 そして驚いて彼を眺めていく通行人の視線などお構いなしに呼吸を整えた。

(どうする…どうすればいい…!?)

 心の中で自問する丈也。

 だが、彼の中で答えは既に出ている。

 ここは自分で探し出すしかないのだ。

 スーツ姿の中学生が道を訊いたらそれだけで怪しまれるに違いない。

「……」

 そう考えると丈也はさっき頓狂な叫びを上げてしまったことを軽く後悔した。

「チラッ…」

 腕時計を見やると22:15過ぎ。

(急ごう…!)

「ダダッ…!」

 再び丈也は走り出した。

(どこかで裏通りに入るか…)

 

×××××××

 

「……こういうことだったのな……」

 電柱に身を潜める丈也。

 その視線の先には”シーサイドホテル”があった。

「わかるわけないじゃん…!」

 おかしくて少し笑みが浮かんだ。

 丈也は”シーサイドホテル”をシティホテルだと思い込んでいたのだが、実際はホテルはホテルでもファッションホテルだったのだ。

「ハハハ…」

 笑い声まで漏れる。

 目の前でギラついたネオンの花を咲かせている”シーサイドホテル”はファッションホテルというよりもひと昔、いやふた昔前のモーテルを思わせる品のなさを漂わせていた。

「キッ…!」

 丈也の表情が引き締まる。

 そして目に再び怒りの炎が宿る。

 急にそれまで懸命に押し込んでいた”美久がどうなっているのだろうという気持ち”が涌いてきたのだ。

 何ともいえない胸が掻き毟られるかのような憤怒が湧き上がって噴き出そうとしている。

「モゾッ…」

 スラックスの左前ポケットに忍ばせたナイフの所在を確認する丈也。

「ダダッ…!」

 確認を終えると一直線に走り出した。
「ダダッ…ダダダダッ…!」

 勢い良く走り続ける丈也。

(ここ一月ずっと走ってばかりのような気がするな…)

 丈也は決してひ弱な少年ではないと自負していたがここまで全力で動くという経験はなかった。

「………」

 目の前に広がる流線の光景、狭くなる視野ももはや見慣れたものとなっている。

「ダダッ…ダダッ…!」

 先程とは違い人目など全く気にせズカズカとシーサイドホテルへと侵入した。

「……!?」

 エレベーターを確認する。

 4Fで停まっていた。

 部屋番号は『412号室』だったはず。

「階段っ…!」

 そう叫んで丈也は階段を探した。

 程なくして『非常口』と書かれたドアを見つけ、開け階段を一直線に駆け上がろうとする。

 すると、

「おい、おめぇ何やってんだぁっ?」

 と呼び咎められた。

「……!?」

 丈也が振り向くとそこにはホテルのフロント係と思しき50歳代の恰幅の良い男が立っていた。

 一見して素人には見えない。

「……いや……その…」

 狼狽する丈也。

 しかし、

「…!!」

 男の腰に鍵束がぶら下がっているのを見て恐怖心は消えた。

「ちょっと…ここの客に…用が…」

「ビュンッ…!!」

 階段を既に6段ほど上がっていた丈也はそのまま男めがけて飛び込んだ。

「ガドンッ…!」

「ブウッ……!!」

 見事に男に当たり、もんどりうって二人は床に倒れこんだ。

 想像以上の音がしたがどうやらフロントにいたのはこの男のみだったようで人がやってくる気配はない。

「クッ…!」

 素早く起き上がった丈也は、

「ドサッ…」

 男の腹の上に思い切り膝を落とした。

「ブゲェェェェッ…!」

 醜怪な呻き声を上げて男が悶絶する。

 胃の内容物を戻しながら。

「ブゲェェェェッ…!」

 うつ伏せになって嘔吐物の海の中で呻き続ける男。

「………」 

 丈也は何の関係もないこの男をここまで手荒く痛めつけたことに対してうろたえ、後悔の念を持ったが、それでも美久の姿を思い浮かべ男から鍵束を奪った。

「急ごう…!」

「ダダダダダダッ…!」

 そう呟くと丈也は階段を一段抜かししながら猛スピードで駆け上った。

「ハァハァッ……!」

 自分の残酷さを否定するかのようなスピードだった。

 4階を上り切った。

「ハァハァ……」

 息を整えながら鍵束を確認する丈也。

 鍵には一つ一つにシールが貼ってあり、部屋の鍵のみならず『屋上』や『ボイラー室』といった設備の鍵までがごっちゃになっていた。

「カードキーじゃねぇんだ…ハァハァ……」

 まだ良心の呵責があると見えおどけた独り言を呟く。

「あった…!」

 412号室の鍵を見つけた丈也。

「ピタッ…」

 奇しくも412号室の前に辿り着いていた。

「美久…」

「ゴクッ…!」

 丈也は唾を飲み込んだ。

 緊張からか、恐怖からか、不安からか?

 またはその全ての感情が入り混じったからか?

「カチャッ…」

 鍵を差し込んだ丈也。

 ドアが開かれる。

「ギィッ……」

 ドアを開ける丈也。

 何だかとても重く感じたし、思ったより軋んだ音を上げたドアに驚いた。

「………」

 丈也は入り口から中を窺った。

「………」

 だが、廊下(というほど広いものではないが)から右に入ったところに部屋があるらしくどことなく淫猥な明かりが漏れている以外はわからなかった。

「……フゥ……フゥ……」

 おそらくは村井と思しき男の息遣いのみが聞こえる。

「クッ…!」

 その音は丈也をひどく不快な気分にさせるものだった。

「ズカズカ……」

 意を決した丈也は確実な意志を持って部屋へと歩を進めた。

「……!?」

 廊下を右に曲がって飛び込んできた光景に驚く丈也。

 広さにして10畳はゆうにあろうかという部屋の奥には丈也から見て左側を頭にしてベッドが配置されており、手前の右方に丸テーブル、椅子、冷蔵庫などがあり左側にはテレビが鎮座していた。

 窓は右側にあった。

「……」

 椅子には村井の脱いだスーツが彼がたたんだとは思えないほど几帳面に整理されて置いてあった。

 それとは対照的に美久の見慣れた薄水色のワンピース、下着が無造作に床に放り出されていた。

 よほど乱暴に扱われたらしくワンピースも下着もひどく破れていた。

「ギシギシギシ……」

「……フゥ……フゥ……」

 ベッドの上で醜怪な声を立てているのは村井。

 ベッドの軋む音が不快さに拍車をかける。

「モゾモゾモゾ…」

「……フゥ……フゥ……」

 行為に夢中で丈也が侵入したことすら気づかない村井。

「………」

 その下には全く声を上げることもせず、動くこともせず、口を半開きにしたままただひたすら虚空を見つめるだけの美久がいた。

 美久の顔を良く見ると泣き腫らした目をしていたが涙はもう流していなかった。

 そして、相当抵抗したらしく口の端から血が一筋流れており、両の頬も明らかに叩かれた痕があった。

 時すでに遅かった。

 美久は村井に蹂躙されてしまったのだ。

「コクッ…」

 不意に美久が首を右に傾けた。

「……丈ちゃん……」

 空虚な美久の目に生気が宿り、彼女自身責められても上げることのなかった声が出た。

「アァ…!?」

 村井が頓狂な声を上げて振り向く。

「……おめぇ…こんなとこまで…」

 その村井の言葉が終わるか終わらないかだった。

「シュウッ…!」

 丈也は飛び出した。

「ドゴォッ……!」

 今まで出したことのないような最高の力で右足を繰り出した。

 靴を履いたままの足は的確に村井の顔面を捕らえる。

「ブギャァァァァッ!」

 獣のような声を上げた村井。

「ボドォッ…!」

 そしてその勢いで壁に身体をしたたか打ちつけ、

「ドダァァァァッ…!」

 手前の床に崩れて落ちた。

「ゲッ…ゲェッ…!」

 歯が相当数折れたらしくどことなく気の抜けたような調子で叫ぶ村井。

 口からは大量の血が溢れ出した…

「ウッ、ウッ……」

 村井の前に仁王立ちした丈也は大粒の涙を流しながら両手を握り締め、身体を震わせていた。

「アッ、アッ……」

 すぐに泣き声は嗚咽に変わった。

「アッ、アッ、アッ……」

 丈也は美久の姿を正視することができなかった。

「ズサッ…」

 足に異様な感覚を覚える丈也。

「アッ…!」

 下を見ると全裸で顔中を腫らした村井が丈也の足を掴んでいた。

「アッ…クッ…」

「た…すけ……て……か……」

 口から血を吐きながら懇願する。

「ブチィッ…!!」

 丈也の頭の中が真っ白になる。

 かつて河原で美久をイジメた集団を蹴散らした時にも味わった感覚。

 いや、それを遥かに超える怒りの感覚だ。

「てめぇこそ美久を、美久をっ……!」

 それが丈也が覚えている最後の言葉だった。

 

×××××××

 

 どのくらいの時間が流れたのか丈也にはわからない。

「………!?」

 ただ、丈也は己を取り戻したようだった。

「……何……?」

 目の前に広がるのはさっきと同じホテルの部屋。

 それは変わっていない。

 ただ変わったものがあった。

「…やめて…丈ちゃん…死んじゃう…」

 身体をシーツで隠し、起き上がった美久が泣きながら同じことを繰り返し呟いている。

「……ってぇ……」

 両方の拳がひどく痛む。

 目をやると拳の皮が所々でズル剥けて中の肉が剥き出しになっている。

「………!」

 テーブルは倒され、村井や美久の持ち物。ホテルの備品が床に散乱している。

「!!」 

 そして丈也の足元にはピクリとも動かず後頭部から血を流して転がっている村井の姿があった。

「む…ら……」

 興奮状態から冷めた丈也の背中を冷や汗が伝う。

 恐る恐る村井の手首を取り脈を確かめる。

「………」

「バダンッ…!」

 丈也は蒼褪め、おののき身を反らした。

「丈ちゃん…!?丈ちゃん……!?」

「脈…ない……」

「…!?」

 美久も身を硬くした。

「ころ…しちまった…人を…俺、殺しちまった……」

「………」

「どうしよう……」

「………」

 耐え難い沈黙が続いた。

 丈也は倒れている村井の後頭部をボンヤリと見つめていた。

 白髪混じりの髪の毛の一角から止め処もなく血が溢れている。

 流れ続けている血は床の相当部を濡らしていた。

「………」

「………」

 二人の少年少女はこれまで経験してきた日常とあまりにもかけ離れた現実に身を置いていることに恐怖を感じていた。

 そしてこの状況をどうもすることができない無力感に苛まれていた。

「………」

「………」

 沈黙がこの澱んだ空気に拍車をかけている。

 すると、

「ズカズカズカ……」

 乱暴な足音が聞こえてきた。

「……!?」

「……!?」

 ハッと我に返る丈也と美久。

「あ、先生…!」

「てめぇ……!」

 怒声と共に入ってきたのは二人の男だった。

 言葉と風貌から察するに一人は村井の秘書関係、もう一人はこのホテルの人間だろう。

「このクソガキゃあ…!」

 二人が丈也の方へ突進してくる。

「うるさいっ!」

 そう吠えると丈也は散乱している部屋から椅子を取り出し、

「ブウンッ……!」

「ボッゴォォッ…!」

 力の限り男の頭部めがけフルスイングした。

「ガァァァァァッ…!」

「バダッ…」

 右側の秘書と思しき男にクリーンヒットした

 かなりの衝撃だったらしく男は倒れ痛みにもがいている。

「……ガキめ…」

 ホテルの男が怯んだ隙を狙い。

「こんな所で捕まってられねぇんだよぉっ!」

 今度は左側から椅子をスイングさせた。 

「ブウンッ……!」

「ボッゴォォッ…!」

「ブギャッ…!」

「ズドッ…!」

 今度は男の右わき腹を捉えた。

 やはり痛みにのたうち回る男。

「クッ…!」

 その刹那に丈也は手早く着ている服を脱いだ。

 そして、

「美久、着なよ」

と言って美久の下へ優しく放った。 

「丈ちゃんは…?」

「俺はこいつの服をいただく。とにかくここを出よう!」

「うん…」

「サッ……」

 丈也は手早く男から服を取り上げると美久を気遣い、別方向を向いて着替え始めた。

  

 ×××××××

 

 「タタタタッ…」

 1階まで降りてきた丈也と美久。

 二人ともダブダブしたスーツ姿だ。

「………」

 慎重に辺りの様子を窺う丈也。

 しかし、

「ウーーーーーッ…!」

 けたたましいパトカーのサイレン音が飛び込んできた。

「マジかよ…!」

 パトカーの赤いサイレンも視野に入ってきた。

「丈ちゃん……」

 不安そうな表情の美久。

「だ…大丈夫…」

 そう言って美久の方を見た丈也。

「……!」

 美久が着ていた上着から鍵が一つ見えた。

 鍵束がまだ残っていたのだ。

「屋上だ、屋上へ…!」

「……!?」

 丈也の叫びの意味するところを美久は理解できなかった。

「急ごう!」

「タタタタッ…!」

 二人は踵を返して階段へと向かった。


 

×××××××

  

「………あ………」

「……!?」

「なが、れ…ぼし………」

「本当…!?」

「ウン、あの辺に……」

「残念だなぁ、見えなかったよ…」

「私も見えただけだぁ…願い事とかできなかったや…」

 夜空を見上げて他愛もない会話をする丈也と美久。

 二人は今、警察や村井関係の人間から逃れてシーサイドホテルの屋上に身を潜めていた。

 屋上には貯水槽がありそこにはハシゴが付いていて上れるようになっている。

 貯水槽の上に座ってボンヤリとしているスーツ姿の二人。

 さっきまでの悪夢のような出来事を満点の星空が優しく浄化してくれている。

 さっきまで二人の身体を濡らしていた嫌な汗を夜風が優しく乾かしてくれている。

「丈ちゃん……」

「ん……!?」

「ゴメンなぁ…私のためにこんなことになってしまってさ……」

「………」

 一気に現実に戻る一言だった。

 言葉に窮する丈也を構うことなく美久が続ける。

「なして…私の所さ来てくれたのや……?こんな無茶してさ…」

「……それは………」

「ウン……!?」

「それは………」

「……!?」

 丈也はその場にスクッと立ち上がった。

「美久のことが…好きだからだよ…」

 そして美久の方を向いて思いを伝えた。

「え…?」

 驚く美久。

「私たち…従兄妹同士だっちゃ…そんな……」

「関係ねぇよ、そんなこと…」

「……いつから……?」

「はっきり気づいたのは美久が連れて行かれたのを知った時…」

「そうなんだ……」

 俯く美久。

 その様子を不安そうに見つめる丈也。

「迷惑だった…?」

「ううん、そんなことないよ…ただ…」

「ただ……!?」

「う…れ……」

 それ以上は言葉にならなかった。

 俯いたまま美久は泣き出した。

「美久…」

 丈也は再び腰を下ろした。

 そして美久の肩を優しく抱いた。

「………」

 無言の丈也。

「ウッ…ウッ……」

 泣き続ける美久。

「泣くなよ……」

「ウッ……丈ちゃん……」

「うん…!?」

「ウッ…ゴメンね……私……汚れ、ちゃったよ…」

「美久……」

「私…よごれちゃ……」

 美久の悔恨の情を察した丈也は、

「ガバッ…!」

 口唇で言葉を塞いだ。

「……!」 

「………」

「………」

「………」

 どのくらいの時間が経ったか定かではないが、丈也が口唇を離す。

「……どんなことがあっても美久は美久だよ……」

「丈ちゃん……」

 再び身体を寄せ合う二人。

「ねぇ、丈ちゃん…」

「うん…」

「私、もうここさいたくない……」

「……!?」

「遠い所さ行きたい……」

「美久……」

 美久の言葉の意味するところを丈也は瞬時に理解した。

「一緒に来てけろって行ったら丈ちゃん…来てくれる…?」

「……あぁ……一緒に行くよ…」

 不思議と死に対する恐怖感はなかった。

 村井の件でどこか諦念が芽生えたのかもしれない。

「本当…?」

「あぁ…約束する……」

「嬉しい……」

「チャッ…」

 丈也はスラックスの左ポケットから飛び出しナイフを出した。

「丈ちゃん、ありがとう……好きだよ…」

 顔を涙でクシャクシャにしながら微笑む美久。

「美久…好きだ…」

 丈也の持つナイフの刃が暗闇で妖しい光を放った。

「ザクッ………」

  

×××××××

  

「ドガッ…ドガッ…!!」

 ホテル屋上へ通じるドアを激しく叩く音。

「ドガァッッ……!」

 頑丈にかけられた鍵が壊され屋上へ通じる視界が広がる。

「どこだ…!?」

「ここにいるのは確かだ…!」

 口々に怒鳴っている連中の正体は警官だった。

 5人の警官、そしてホテルの支配人と思しき中年男が丈也と美久を捜していたのだ。

「どこだっ…?」

 威勢良く捜索を続ける男たち。

「ズカズカ……!」

「…!!おーいっ…!」

 貯水槽の付近にいた警官が何かを発見したようだ。

「ここだっ…!」

 その声に誘われ全員が集合する。

「うわっ……」

 アイボリー色の貯水槽から血がしたたり落ちていた。

「ガツガツガツ……」

 慌ててハシゴを上る警官たち。

「あっ……!」

「……!」

 絶句する警官たち。

「………」

 そこにはしっかりと寄り添って丈也と美久が倒れていた。

 二人の左手首からは鮮血が川となって流れ続けている。

 夏なのに夜露が二人の身体を湿らせている。

 丈也と美久は穏やかな微笑を浮かべていた。

 全てから開放されたかのように…

 

 もう夜が白み始めていた。


 

×××××××

 

 ~半年後~

 

 ここは東京のとある初等少年院。

「カツッカツッカツッカツッ……」

「ガッガッガッガッ……」

「スタスタスタスタ……」

 院内の廊下を歩く3人の足音。

 そのうちの二人は法務教官だ。

「カツッカツッカツッカツッ……」

 そして法務教官に挟まれるような形で歩いている少年。

 丈也だった。

 

 自殺を図った丈也と美久は警官たちに発見された時まだ生きていた。

 そして救急車で病院へと運ばれ二人とも一命を取り留めたのであった。

 

「………」

 丈也は穏やかな表情で廊下を歩いていた。

 かねてから持っている優しさが前面に出たものである。

 少年院での生活のせいかやや頬がこけ気味であるが生気は失われていない。

 むしろ少し伸びた髪の毛と相まって成長を感じさせる風貌であった。

「カツッカツッカツッカツッ……」

 足音にも勢いがある。

「………」

 丈也は院内での生活のこともそうだが、半年前のことを思い起こしていた。

(……僕と美久の旅立ちは失敗に終わった。どのくらい意識を失くしたかわからなかったけど、とにかく目が覚めた時に飛び込んできた風景は病院の真っ白い天井だった…)

 

「カツッカツッカツッカツッ……」

 廊下を右へと曲がる三人。

(……退院してから間もなく僕は傷害で補導された…村井は死んではいなかった…重傷ではあったけど死んではいなかったんだ…でも、どんな理由があるにせよ僕にはおそらく殺意があったと思う…それに人を傷つけたのはまぎれもない事実だから……罪も罰も受け入れようと誓った……)

 

「カツッカツッカツッカツッ……」

 廊下をどこまでもまっすぐ歩く三人。

(……村井は僕のことを相当恨んでいたようで裁判の時も何かと圧力をかけてきたみたいだった…だから僕は本当なら3ヶ月くらいで退院できたはずだけど半年間の処分となった…もっとも美久の件や僕に対する圧力の話が島中の噂になって助役の座を追われたらしい……)

 

「カツッカツッカツッカツッ……ピタッ…!」

 三人は院の正門に辿り着いた。

(村井だけじゃない…海斗家も島にはいられなくなってしまった…久子おばさんは賢を連れて実家のあるI県へと引っ越した…美久の引き取りは拒否したとのことだった…)

 

「野瀬丈也君、今日で退院だ。これから色々と試練があると思うが君ならきっと乗り越えられる。頑張って!」

 法務教官の一人が声をかけ、丈也へ握手を求める。

「はい、ありがとうございました。」

 丈也は教官をまっすぐ見つめ両手で握り返した。

「ガラッ……」

 少年院の正門がもう一人の教官によって開けられた。

「頑張れよ…!」

 その教官が丈也を外へと促す。

「はい、ありがとうございました。」

「カツッ、カツッ…」

 丈也が娑婆へと一歩、また一歩踏み出す。

 正門を振り返る丈也。

「ガラッ……バタンッ…」

 丈也を送り出すと役目を終えた教官は素早く門を閉めた。

「………」

 丈也は深々と門に向かって頭を下げた。

「スッ…タタッ…!」

 そして踵を返すと勢い良く歩を進めた。

 

(……僕は少年院に入ったことで高校受験の機会も逸した…けれどもそんなことは大したことじゃない…!志望校に入るために1年間浪人して絶対に来年受かってやる…!それが僕の目標…!)

 院の外に並んでいる桜の木ももう間もなく咲こうとしている。

「………!」

 久しぶりに感じる木漏れ日がとても眩しく、心地良かった。

 

「カツッカツッ……」

 丈也の歩く先に三つの人影が見えた。

(……少年院にいる間一番気になったのは美久のことだ…久子おばさんは引き取りを拒否したけど元々親戚の間では親子は一緒に暮らせないという意見が多かったらしい…そうして野瀬家と海斗家の間で親戚会議が開かれた…その内容がどうだったかは大人の世界のことなので僕は興味ない…それよりも……)

 

 人影の正体は丈也の両親。

 そして美久だった。

 

(美久は家に引き取られることになったんだ…!)

 

「タタタタッ…!」

 丈也を認めると美久は他には目もくれずに走ってきた。

 立ち止まり両手を広げる丈也。

「ヒシッ…」

 丈也の胸に美久が飛び込む。

「………」

「………」

 二人はしばらくそのまま抱き合っていた。

「美久……」

 力の限り美久を抱きしめる。

「丈ちゃん……」

 顔を上げる美久。

 その顔は涙でクシャクシャだったが、嬉しさを発散させていた。

「あ……!?」

 美久の顔を見つめる丈也。

 木漏れ日が美久を照らしている。

 

(君の涙に虹が煌いていた…)

 

 

 

 

 

 

*この物語はフィクションです。

 

Copyright (C) 2007 by drivemycar All Rights Reserved.

 毎度。。。!!

 

 今回もあとがきめいたものを綴っていきたい。

 

 この「涙は煌く虹の如く」は「HELLHOUND,GO!」同様某マンガ週刊誌にて行われている原作賞に応募したものである。結果は言うまでもなく落選。。。

 

 で、このブログにてアップしようと思った時、シナリオ形式のものを単純にリライトするつもりだった。ところがPCのデータが全てオジャンになってしまう大事件が起きてしまった。

 (過去記事:http://myhome.cururu.jp/drivemycar1965/blog/article/40003135495参照)

 

 結局全てを書き直した。。。

 

 ラストシーンは以前書いたものと全く一緒だし、ストーリーの大まかな流れもほぼ同じなのだが出だしは全然違うし、登場人物の名前も皆一から考え直した。

 

 この物語を書くにあたって参考にしたものっていうのは正直なところない。それはこの物語のテーマが「俺の中にある少年性(青臭さ)」にあったからだ。30代になった時に自分の心にまだ”10代的なもの”が存在しているのかどうかを確かめることがテーマだった。。。

 

 その意味では”私小説”と呼べるのかもしれないが内容は当然100%フィクションである。ただ丈也が抱いている”モヤモヤ感”は今でも持っているのかもしれないね。。。 

 

 テーマがテーマだけにここまで長くする必要もなかったかなって思ってるし前にも書いたけど中盤は間延びした感は否めない。出来そのものは「HELLHOUND,GO!」の方が遥かに上だろう。

 

 それでも何というか。。。どこか「こういう話も悪くねぇじゃん!」っていう気持ちもある。

 

 それは取りも直さずこの作品が私的なものだから。。。

 

 何だかグズグズのあとがきになっちゃったけども、

 

 

 

 1年3ヶ月という長い間読んでくださった皆様に心から感謝いたします。。。!

 (後でひとまとめにしてアップし直します。。。)

 

 

 

 さて、これからのブログ小説の展開だけど以前予告したように月イチペースで短編小説を書いていこうと思う。

 

 自分には物語の構成能力が備わってないなということを痛感したので、よりスキルアップするために短編をたくさん書いていく。。。!

 

 早速4月から書くよ。。。!!

 

 まだプロットも何も決まってないけど書くよ。。。!!

 

 よろしく。。。!!

 

 

 ではまた次回^^

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